まだこちらは31日の朝方ですが。
ワールドワイドな世の中だと、新年とか時間の切れ目ってあくまでも幻想にしか過ぎない気がする。
朝の4時に目が覚めてパソコンに向かっちゃうのはどうかと思うんだけど。
寝巻きのままでベランダにいて寒くないって言うのが新年とか思えない。
今が冬とは思えない。
でも新年だもんなあ。年の瀬だもんなあ。
しばらく前に今年のそうまとめ的なことを書いてた気がする。
1月最初に仕事無くなって、仁神術セミナーを受けて http://kaichu.diarynote.jp/?month=201301、今気づいたら親知らずも抜いてた。
なんとなく遠くの目標が見えてきた気がした。
悶々としながら2月のペルー マチュピチュ失敗のまき。しかも寒いんだよね、高度が高いから(クスコで高山病のせいで心臓バクバクになる)http://kaichu.diarynote.jp/?month=201302、3月....なんて書いていたら思わず日記を読む羽目に。
夢日記なんてよんでみると意外に自分で覚えているのがすごい。しかも仁神術すごいしているね。最近してないから新鮮だわ。
ハワイに来て、思い出すのはこの辺の2-3月にぼんやりと前のアパートのダイニングルームで仕事のように日記を書いていたころの事。
なんだろう。懐かしいのかな。あれはあれで充足していたと言うか。
孤独な充足感。
そういや鹿を思い出させるナルシステックな男の子とスケート行ってキスしたっけ?
忘れてたわ。
ていうか他の人とも会ったりしてたんだ(みんなたいてい一回きり)。忘れてたなあ。
ハワイに来て変った動物保護を職業(!?でしょ?)としている貧乏弁護士(NJ出身、半分ジューイッシュで半分イタリアン)と会った以外は会ってないなあ。
なんとなく、町も小さいし、知られるのがいやなんだと思う。みんなNYと違ってrudeなやつ(精神的に)おおいし。
ていうか、田舎なんだよ、基本。他の文化とかわかんないし、想像もつかないような田舎者が多い。田舎ものの癖にワイキキが都会だと思っていきがったりするようなチンピラ多すぎ。
ワイキキは田舎なんだって。
高いけどね。
癒し系で普段着でまったりすればいいんだよ。
田舎から出てきた学生上がり見たいのが騒いでいるだけだし。
あとはじじばば。
俺もどっちかって言うとじじばばよりだよなあ。
・・・・・・・・・はなしがそっちにいくのか?
そうじゃなくて。
一年のそうくくりだったのに。
ま、このあとは、メキシコ→キーカーカー→ガテマラのたびに行くんだけどね。その後はインド行ってバンガロール行って、ニューデリー行って、バラナシとジャイプールとアグラーに観光旅行しに行くんだけどね。
そんでハワイ行きを心に決めて、My heart left in NYのまま暖かいハワイにきたんだけどさ。
ハワイに来て、意外にいろんなことを思い出さないのが幸い。
昨日のクリニックで、クリニックに入ると疲れているから最初の30分くらいは横になるんだけど、そこで、何でか昔のセラピーのことを思い出して、セラピーで泣けるようになるまで2年以上かかったこととか、泣くときパニック障害みたいになったこととか、その後レッドカーペットの敷かれた便器にセラピストの机の上でウンコしなくちゃなんない夢を見たこととか(セラピストの前で泣くことがすっげえ恥ずかしかったんだね....ていうかどんなプレイ....)、乳がんでなくした友達と、すごく仲良かったころのAとの関係とかをぼんやり思い出してたら涙が出てきた。
そうだ、NY出る前にやったトラウマセッションで大泣きして怒りの表現をしたんだ。
怒りの相手は神ってやつに
私が幼いときに必要なものをあたえず、
私がほしかったものを私からすべて奪い取って
お前はいったい私をどうしようって言うんだ
人を何だと思っているんだ
っていうことを
泣きながら
私が恋人がほしいと思いながら、でも実行するのを恐れるのは、
もう、なくしたくないと思うものを持ちたくないからだ。
手放すことになれてしまい、いつか手放さなきゃならないと知っているものを自分のものにするのが怖いからだ。
人間は意外に一人でも生きていける。
もちろんお金は必要だけど。
お金があれば結構生きていける。
通りすがりの人たちとのつながりや、近くて遠い人たちと距離をとって接していれば、失ってもそんなに辛いものではない。
いつもこのことを思うと、村上春樹が確かノルウェイの森(かなんか)の最初のほうで
「僕が定規をもって自分以外のものとの距離を計っていたころ」てところをおもいだす。
村上春樹は大学を終えた時点でそんなことを出来るくらいマチュアなひとだったんだなあ、と二度目くらいに読んだときにその意味がわかって感嘆したんだよね。
私はここ数年です。
距離があれば、手放しやすい。
締めくくり。
今年はいろいろあったけど、ここ長年の蓄積していた考えが具体化しただけなので、自分としてはそんなに大きな変動って思ってないんだよね。
この日記を見に来てくれている20人から30人くらいの見知らぬ皆さん、それに前に何度かあったことのある皆さん、どうぞあなたの2014年が心休まる年でありますように。
見知らぬあなたに見守っていただきまして、私も2013年を終えます。
どうかあなたの心が平安でありますように。
もしも悲しみにくれているならば、それが和らぐことを、そして幸せに恵まれているならば、その喜びが長く続くように
ハワイの夜空から願っています。
ワールドワイドな世の中だと、新年とか時間の切れ目ってあくまでも幻想にしか過ぎない気がする。
朝の4時に目が覚めてパソコンに向かっちゃうのはどうかと思うんだけど。
寝巻きのままでベランダにいて寒くないって言うのが新年とか思えない。
今が冬とは思えない。
でも新年だもんなあ。年の瀬だもんなあ。
しばらく前に今年のそうまとめ的なことを書いてた気がする。
1月最初に仕事無くなって、仁神術セミナーを受けて http://kaichu.diarynote.jp/?month=201301、今気づいたら親知らずも抜いてた。
なんとなく遠くの目標が見えてきた気がした。
悶々としながら2月のペルー マチュピチュ失敗のまき。しかも寒いんだよね、高度が高いから(クスコで高山病のせいで心臓バクバクになる)http://kaichu.diarynote.jp/?month=201302、3月....なんて書いていたら思わず日記を読む羽目に。
夢日記なんてよんでみると意外に自分で覚えているのがすごい。しかも仁神術すごいしているね。最近してないから新鮮だわ。
ハワイに来て、思い出すのはこの辺の2-3月にぼんやりと前のアパートのダイニングルームで仕事のように日記を書いていたころの事。
なんだろう。懐かしいのかな。あれはあれで充足していたと言うか。
孤独な充足感。
そういや鹿を思い出させるナルシステックな男の子とスケート行ってキスしたっけ?
忘れてたわ。
ていうか他の人とも会ったりしてたんだ(みんなたいてい一回きり)。忘れてたなあ。
ハワイに来て変った動物保護を職業(!?でしょ?)としている貧乏弁護士(NJ出身、半分ジューイッシュで半分イタリアン)と会った以外は会ってないなあ。
なんとなく、町も小さいし、知られるのがいやなんだと思う。みんなNYと違ってrudeなやつ(精神的に)おおいし。
ていうか、田舎なんだよ、基本。他の文化とかわかんないし、想像もつかないような田舎者が多い。田舎ものの癖にワイキキが都会だと思っていきがったりするようなチンピラ多すぎ。
ワイキキは田舎なんだって。
高いけどね。
癒し系で普段着でまったりすればいいんだよ。
田舎から出てきた学生上がり見たいのが騒いでいるだけだし。
あとはじじばば。
俺もどっちかって言うとじじばばよりだよなあ。
・・・・・・・・・はなしがそっちにいくのか?
そうじゃなくて。
一年のそうくくりだったのに。
ま、このあとは、メキシコ→キーカーカー→ガテマラのたびに行くんだけどね。その後はインド行ってバンガロール行って、ニューデリー行って、バラナシとジャイプールとアグラーに観光旅行しに行くんだけどね。
そんでハワイ行きを心に決めて、My heart left in NYのまま暖かいハワイにきたんだけどさ。
ハワイに来て、意外にいろんなことを思い出さないのが幸い。
昨日のクリニックで、クリニックに入ると疲れているから最初の30分くらいは横になるんだけど、そこで、何でか昔のセラピーのことを思い出して、セラピーで泣けるようになるまで2年以上かかったこととか、泣くときパニック障害みたいになったこととか、その後レッドカーペットの敷かれた便器にセラピストの机の上でウンコしなくちゃなんない夢を見たこととか(セラピストの前で泣くことがすっげえ恥ずかしかったんだね....ていうかどんなプレイ....)、乳がんでなくした友達と、すごく仲良かったころのAとの関係とかをぼんやり思い出してたら涙が出てきた。
そうだ、NY出る前にやったトラウマセッションで大泣きして怒りの表現をしたんだ。
怒りの相手は神ってやつに
私が幼いときに必要なものをあたえず、
私がほしかったものを私からすべて奪い取って
お前はいったい私をどうしようって言うんだ
人を何だと思っているんだ
っていうことを
泣きながら
私が恋人がほしいと思いながら、でも実行するのを恐れるのは、
もう、なくしたくないと思うものを持ちたくないからだ。
手放すことになれてしまい、いつか手放さなきゃならないと知っているものを自分のものにするのが怖いからだ。
人間は意外に一人でも生きていける。
もちろんお金は必要だけど。
お金があれば結構生きていける。
通りすがりの人たちとのつながりや、近くて遠い人たちと距離をとって接していれば、失ってもそんなに辛いものではない。
いつもこのことを思うと、村上春樹が確かノルウェイの森(かなんか)の最初のほうで
「僕が定規をもって自分以外のものとの距離を計っていたころ」てところをおもいだす。
村上春樹は大学を終えた時点でそんなことを出来るくらいマチュアなひとだったんだなあ、と二度目くらいに読んだときにその意味がわかって感嘆したんだよね。
私はここ数年です。
距離があれば、手放しやすい。
締めくくり。
今年はいろいろあったけど、ここ長年の蓄積していた考えが具体化しただけなので、自分としてはそんなに大きな変動って思ってないんだよね。
この日記を見に来てくれている20人から30人くらいの見知らぬ皆さん、それに前に何度かあったことのある皆さん、どうぞあなたの2014年が心休まる年でありますように。
見知らぬあなたに見守っていただきまして、私も2013年を終えます。
どうかあなたの心が平安でありますように。
もしも悲しみにくれているならば、それが和らぐことを、そして幸せに恵まれているならば、その喜びが長く続くように
ハワイの夜空から願っています。
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