実は昨日の日記を書いた後、カテゴリーしていた項目をクリックしたら、結婚していた当時に書いてた内容やらが出てきてびっくりした。

辛かったね〜〜〜。
かわいそうに。

あの頃の自分はすごくストレスを抱えていて、今思うと結局は親ときちんと愛着ができない過去を疑似体験していたんだけど、自分では何が起こっているのかわからないし、ものすごく苦しかったし、感情的精神的には幼児返りをしているのにも関わらず、大人であることを強いられ、というかそれ自体もネグレクトを経験した育つ過程をなぞることだったんだけど、そういうことの認識もできず、とにかくトラウマの再体験をして、その中に閉じ込められちゃってて本当に苦しかったのである。

でも本人には苦しいという認識しかできないし、その状況を冷静に見てくれる人もいなく、(これも過去の再体験)本当に孤独で辛かった。

アラノンのプレアンブルで
We who live, or have lived, with the problem of alcoholism understand as perhaps few others can.
という一文があるのだけど、
体験したことのない人にはおそらく理解ができない
というのは本当だと思う。
それと同じように、育つ過程でのネグレクトや虐待を受けた人の気持ちは、そうでない人にはよくわからないのだと思う。
わからない人には
「そんな昔のこといつまで話しているの?」とかおもえるのだろうけど、正直言って昔の方が何が起きていたのかよくわからなかったから、その生い立ちの影響がどのくらい自分という人間を作ってきているのかもよく理解できていなかった。
だから今となってみれば、あれも、これもそれも・・・ということがよく見える。見えるだけに辛いことも多い。
だけど理解ができないと改善や選択肢が見えないのだ。
ということで、私は自分を理解して自分がより良い環境に行くために回復の仕事を続けていく。
そして過去の自分をいたわって、理解して、同じように回復の道を選ぶ人たちを助け、そうでない人たちはそっとしておいて、自分の道を歩くことしかできないのだ。

なあ、と思ったのでした。

Live and Let live ですよ。
私は私の残りの人生を私のためによりよく生きることしかできないので

と時々言い合ったりするのですこちらの人は。
私は毎年、あらとものおじいさん2人からHappy Valantainテキストをうけます。
嬉しいもんだね。
一人はゲイのおじさんだけど。
なぜかゲイのおじさんからのが嬉しかったりして・・・。

今日は締め切り提出があり忙しかった・・・
でも終わったからいいや。
来週はまた締め切りがあるけど、仕方ない。

仕事があるだけいいってもんです。

回虫日記読者(いるのか。。。?)2はおなじみかもしれないけど、
うちの元DVパパはバレンタインデーに死んだんです。
71になって、統合失調症者親の会の皆さんと温泉旅行に行き、酒を7時間くらいぶっ続けで飲んで、温泉で一人息絶えたパパ。
なぜかかけていた生命保険は解約されてなく、なぜか貯金はたった600万しかなく、
一生サラリーマンで退職金とかあったんであろうけど、それも全く不明
父が死んで初めてその事実を知った母は、隠し子でもいるんじゃないか、ひょこっと表れるんじゃないかとしばらく戦々恐々としていた。
DVの夫が、死んでも妻に遺産を残さない、とか、逆に借金をこさえて路頭に迷わす、とかそういう話を聞いていたから、暴力は止んだけど経済的DVは続いてんだな、と思ってたけど、もう12年も経っちゃったら、単なる財テク下手なのか、なんかだろうと思ったり・・・・

でも、あの温泉事故で障害が残ったり、体が不自由になったら、体の大きな人だけに、家では面倒見きれずに、下手すりゃ600万の貯金どころか、父の介護費の捻出で家を売ったりしなくちゃなんなかったかもしれない・・・と思うとぞっとする。
母だって、できることがないから住み込みのお手伝いさんとかをしていたかもしれない。
そう思えば、家族思いのお父さんであったのだ。

あんなに暴れたけど、自分の気持ちを抑えられない、未熟なまま年を取ってしまい、
でも家族を守ろうとしていた気持ちはあったんだろうと、時に触れ思うようになった。
一生サラリーマンで、一生やめたり休んだりできないで、家族を養うような金額を稼ぐことがどんなに大変なことか、外で働かない人にはわからないと思う。
私だって、ここ数年になるまであまりわからなかった。
嫌とかなんとか言ってられない、やるしかない、そう思うようになるまで。

死ぬまで働くのかなあと思うとちょっとぼんやりするけど、自分だけならまだ楽なものだもの。愛する家族っていう他人も巻き込むと思ったらちょっとやそっとでは。。。

だからそんな思いを込めて、パパは精一杯やったんだと
そして、親が死んでも泣かなかったパパを私は(数えたら)素面で3回、よってたのいれれば4回もなかせてしまった。ごめんねパパ。

今は時々思うよ。
ごめんねパパ。
もっと優しい言葉おかけてあげれたらよかったな。
それは私だけのせいじゃないけど、もっと優しい親子関係や家族関係の中で生まれたかったけど、それは仕方ないね。

でもきっと、精一杯やってたんだね、って思うたびに、少し照れ臭そうに笑うようなパパが目に浮かぶように思うことがある。
その度に少し泣いてしまうけど、きっとそういうのがいいんだろうな。
寂しがりやだったけど多分もう寂しくないと思うよ。そうやって、私たちが少しづつ思っているのをわかるようになったから。

会社の上司や同僚の「お父さん」な部分を見るたびに、いつも少しパパのことを思い出す。こういう風に接してほしかったなって思うこともたくさんあるし、ああ、こういう風に思っててくれてたんだのにな、って思うこともたくさんある。

だからいつも、ちょっとだけおもう。ごめんねパパ。
でもパパは必ず許してくれるから。
だから言える。今だから言える。


日本から帰ってきてほぼ一週間

家の中がいろいろとっちらかってて、そのまま。
さっきやっと洗濯をしたので少しは片付いた。
今回の帰国は楽しかったので、片付けれることで終わりになってしまうのが嫌だから、片付けたくない自分がいる。
それはそれでいいのだ。

太った太ったと松本にも姉2にも言われたので、やせよう!とおもう。確かにここのところ油をやたらと使っていたと反省。油を使わないで調理をするようにしようと思う。

そこでスープ煮を作ったり、シチュー作ったり、カボチャ入りの雑穀粥を作ったり、凍ってた春雨スープをに返したりなんだかやたらと台所に立っている。
昨日はヨガの後サウナに入り、ご飯を食べて4時くらいから寝てしまった。12時くらいに起きて、また3時くらいに寝る。朝は起きたら9時くらいだったので、山盛りの洗濯をした。
時差ぼけも直したくないようだ。

昔は無理にいろいろなことを自分に強いてたけど、それが自分の気持ちを無視する行為だったことに気付き、やめる。
無理はよろしくない。
HULU でマドンナ&Breakfast Clubつうのをみた。
マドンナは売れる前、クイーンズのコロナに住んでた(私の一番最初の住処もコロナの隣の地区)。マドンナがダンスから音楽に移行してった頃、付き合っていた彼氏とその兄とでコロナのシナゴーグに住んで居たんだって。主にその彼氏とその兄と、その後に一緒にバンドを組んだ人と、マドンナが売れるまでの話だったけど、興味深かった。
すげえなマドンナ。
思わずマダムXツアーを見たいと思ったけど、もうアメリカではやっていないみたい。
あと、もう60になるマドンナは結構体痛いんでないかな。
姿勢がちょっとそういう感じになっている。
やっぱりものすごい稼働率だから・・・・。。そんな彼女を見るのも若干痛々しい(安くて200ドルくらいだし)

そのあとに見た夢では、私は猫を飼っていて、どこかに預けてあって忘れちゃっている、っていう夢と、父の妹で私が一番好きなおばさん夫婦と、うちの家族で海の近くの家にとまっているっていう話。
そういうことは現実でなかったけど。。。
夢がビビッドすぎて、そして楽しすぎて、心が持っていかれそう。内容はあまり覚えてないけど。

今回は本当に良い旅だったので、帰ってくるのが辛かった。
でも、よかった理由は、滞在期間を短くしたのと、自分にとって良いように他の旅行を入れたりして、友達にも会えたので、だからなんだよね。
もっと長くいたら、そうはいかなかった。

帰ってきたあと、病気の姉1にラインで、お料理のサイトを送ったら、また妄想ベースのことで電話をかけてきていたらしい。
28年前に・・・ってないこと言われても・・・・。
母が気をつけて、私がいる間ではそういう言動をしないようにきつく姉に言ってたんだと思う。その反動が出たかな。
治らない病気を持つ姉は、母がいるからこそ、母に守られているからこそ、子供として存在できるけど、大人として存在したことのない彼女が、母の健康が損なわれた時に、彼女自身の状態も悪くなることは目に見えている。
私たちはそれに対してどうすることもできない。

自分の将来もわからないのに、人のことまで引き受けられない。

会社の年下上司のご両親は、しっかりしてて、もうすでに介護型マンションに引っ越して住んでいるそうだ。資金もあって、しっかりしたご両親で羨ましい。
自分たちの最後、ということを見ながら、生活をしていけるのが理想だけど、このあとどうなるかわからない世の中だと、本当にどうしていいかわからないなあ。

うちの父が死んだ時、出費の最優先が毎月の酒代だったので、ろくな貯金さえ残っていなかった。家のローンが払い終えていたのと、厚生年金があったのが救いだよね。
それさいない自分は一体どうなるのかなあ?
うーむ。

まあ、不幸な家族は皆同じよう、というのはこういうのかな。

できることをすることしか、できない。
本当にそうだな。



結論
やっぱり自分を一番大切にするとみんなも幸せになる

今回は良かったわー
2年ぶりの帰国の10日間のうち4日間を沖縄で過ごすっつう、若干罪悪感に震える準備期間だったけど、おかけで栄養もとれたし(太った)、あったかいところで静かにできたし、大学の時の友達にも会えたし、きれいな海も見れた。
シュノーケルもしたけど、まあ、あまり期待してなかったので・・。
でもお一人様Vip 対応なので、快く驚きました。お兄ちゃん、可愛かったし。

沖縄の人は純朴だね。
いい意味でも悪い意味でも。無邪気っていうのかな。

おかげで家族とも距離を保てて、短いから精一杯やってきました。
ママと姉1のバランスもうまくいってて、本当に本当にこの平和が長く続きますように・・・。
母が具合が悪くなったら、姉も恐らく大変になるだろう、と思うと・・・・。

今回は母が、大学ノートに、母の得意な料理(とそうでないものも含め)を丸々一冊手書きで作ってくれて、裏表紙まで書き入れてあるそのノートを見て思わず大泣きしてしまった。
もしママがいつももたせてくれるおこわや煮物が作れなくなったら
私が作ってあげるからね、と言って。

止めておけない、平和で優しいひとときは、胸がいっぱいになるけど一瞬一瞬をなんとか覚えておこうと思って。
でもキラキラしたきれいな水を捕まえるみたいに指の間から逃げていくね。
そういうのも含め、日本に帰る時は感情の振れ幅が激しく、それなりに辛いけどありがたい。
ありがたいと言えることがありがたい。

楽しく切ないセンチメンタルジャーニーでした。

あっという間だわ〜

みなさんおげんき?
今年のハロウィンは18度とか度を越した暖かさだったけど、仕事で疲れた私は
パレードを見る気にもならず・・・帰りました。

最近は歳のせいか疲れてさー
まあ仕事は面白くなりかけてきたけど。
まあプロジェクト化(まだ十分にはしていないけど)し始めるとなんか安定するよね。しかしジャグリングな感じは拭えないが。

アパートの壁の剥がれたペンキをやっと剥がして塗り替えてくれることになったはいいけど、ものを置いたままなので家具を移動したり出してあるものをしまったり。
出してあるものをしまうっつうのが私にとっちゃ一番苦痛なの。
しまっておく場所が決まってないので、特に最近はわりとぐっちゃだなあ。
でも、いらない服とか古くなったスーツとかは寄付した。
わたくし、訪問ありの法人営業なので、靴が3−4ヶ月でダメになるわ。
まあ安い靴だからしょうがないが。長持ちする靴は硬くて足が痛いのでそんなのは吐きたくない。安くて柔らかく、そしてすぐにダメになるので良いのだ。

なんか〜昔共通の友達がいる知人で、飲み方がある中なみだったから、AAの話とかしたら翌日縁を切られてしまったひとがいるんだが、最近やめたひとの後に入るべく面接しにうちの会社に来てた。びっくりして思わず叫んでしまった。
ちなみにそのポジションには前の前の会社でカスタマーサービスしてたひとも応募している。両方共うーむな感じなので他のひとを雇ってほしいなあ・・・。

めんどくさい仕事をするポジションなんだよね。

それ以外はとくに・・・

しかしさ、私は本当に思うに、自分の育った家がなんか壊れてたりしたものがあったり、機能不全だったからか、家のことでばたつくのがほんと嫌なの。
だから今回のペイントも、2−3日で終わるんだけど、のんびりできないのが嫌。

つくづく思うに、私は贅沢な生活もぷれすてーじなかんじもいらんので、好きにさせてほしいひとなのよね。
時々自分の結婚生活のことを話す機会があって、その話をするたびになんかひとには
「(相手が)金持ちだったんじゃん!」とか言われることは多いのだけど、
お金を使っているのになんかビンボくさくて、そういうのがすごくやだった。
楽しくなくて、見た目ばっかり気にしてて。

しまいには、愛情ではなく、それ(=相手の場合は高いレストランとか金のかかるもの)しか与えられないから、意地になって高いもの食ったりしてたなあ。
でも高すぎると機嫌を損ねるので。。。。
とかさ。あああもうやだ。

一人は気楽だ。
誰かと付き合いたくないの?と聞かれるけど、あんな思いするのはもうやだし、まあやっぱりあれだね、自分は全然もてないと思ってたけど、歳取るとほんとに何もなくなるから、あれはもててた時期だったんだなあ、と思うわ今となっては。
モテるひとは半端なくモテるもん。
そう思うとねえ。

まあ、私くらいの容姿じゃそんなもんだな。
としとってももてているひともいるけどね。
モテようとしないでモテるかわいいひとも素敵だけど、私はもう無理だ。

でもそれ以外に、そういう関係じゃない関係が持てるようになってて、そっちの方が楽しい。仕事仲間?とか?
まあ、今回は流れに乗って(いまは)正解だったかな。

なんていうか、私の場合自分である程度の努力はするけど最終的なところはあまり頑張らなくて、開かれたドアに向けて歩くのがいちばんいいんだよね。
だから、まあいいやしばらくこれで。

来月は誕生日だ。最近周りのひとに半世紀カミングアウトを始めているのだ。
2グループくらいの人たちとご飯食べる予定。

そういうのもさ、自分が求めていた、っていうより、向こうから誘ってくれる若もの(私よりは)元同僚チーム。
ありがたいと思うよ。

深謝。
てやだ、毎回この題名じゃないの?

さっきGmail アカウントの掃除してたら、10年以上前の日記が出てきた。
(ここの日記よ)
思わず読んでしまい、え!この時期にこのこと知ってたの〜??
というようにいろいろ最近気づいたと思うことが書かれてた。
すごくするどい。
それにやっぱり書かれていることが元夫と父のことばかりだった。
あの二人はペアになっているので。
誕生日も近いし。
アルコホリック/アディクトで強度の共依存/ボーダーラインパーソナリティーだし。
Aもそうだったけど、やっぱり父もバイポーラーなのかな、と思うことはある。
私自身も強度の共依存/ボーダーラインパーソナリティーであることは認識済み。
まあ、笑える程度にはなってきているけど。

先週はきつかった。
私はあまり体が頑丈でないし、疲れすぎると眠るのも食べるのもあまり・・・になってしまうので、スタミナがない。
元々知っているけど、今回初!の外回り営業withノルマっていう、この歳になってなんだこれ、っていう状況なのでかなりきつい。

なんで、これとどっちにしようか迷った銀行事務職(私の履歴書がポジション募集のテンプレートになったやつ)のリクルーターに連絡取ってみた。
だってさ、今月30件回るんだけど、翌月40件だよ。
てか、これ、なに?
てか、これしてなんか変わるんかい?

つか体持たねえ。
多分すでに風邪が・・・。
私が風邪をひく=抵抗力が低下する=かなりひどい
になるんです。
だから無理は聞かないんだけど・・・・。

まあ、打てる手は打った。
あとは流れに任せる。

いや、先々月終わりに行った Byron Katie のワークショップ、未だに余波が続いているよ。
ていうか、
When Master enters the student’s mind, she will remain and expand in their mind.
みたいなフレーズを彼女の夫のスティーブンがオーディオブックで合いの手入れるんだけど、まさにその通りだ。

不快な感情や恐怖や怒りが出てきたら、
その元になる自分の中のコンセプトを問いただしてみる。
例えば、上司は私の話を聞くべきだ
とか、
会社は従業員を守るべきだ
とか

「上司は私の話を聞くべきだ」
is it true?
聞いてないなら、Noだよね。

もし私が
上司は私の話を聞くべきだ
と思っているなら、どういう気持ちになる?
彼はアホだ、
失礼だ
管理職としての資格がない
彼はもっと現実を見なくてはいけない

などなど

上司は私の話を聞くべきだ
と思わなかったら・・・
彼は話を聞かないね。そういう人なんだよ。
・・・
現実は聞かないんだから。
以上。別に怒ることもない。

turn around
彼 を 私 に置き換える。

私はアホだ(現実はちがうもんね)
私は失礼だ(彼が上司なんでしょう?Who do you think you are?)
私は管理職としての資格がない。(だって私管理職じゃないよね)
私はもっと現実を見るべきだ (だって実際彼は話聞かないし。)
等々

このturnaroundに記載されている内容を自分が少しでもできるように精進する。

ということなんです。

これをすると、どんな状況でも、他人の出来不出来に左右されない=他人に頼らない自立した大人になることができる。

もちろん完璧じゃないんで、
並んでいる列に横入りされたらむかっとくるし、
じゃあ、それを
自分が勝手に作り上げたどんな信条がむかっとする元凶か?
それは、真実に基づいた信条か?
その信条がなかったら、現状にかんしてどう自分は反応するか?
TurnAround(自分が変わらなくてはならない「かも」しれないっていうことはないか、調べてみる)

というのをしょっちゅうやっていると
かなりむかつきが減る=ストレスが減る=他人なんてどうでもよくなる=ムカつかせてくれた人がいればいるほど、回数が多ければ多いほど、自分を高める要素のチェックポイントに成ってくれる=より自分自身の中身が平和になる。

というループにはまります。

来年年明けに実家に帰るけど、その時すげえ頻度でこのinquirey使われると思うけど、今から練習しているの。

wish me luck



と思ってたら、治った。
ひさしぶり!

ということだがもう7月に入り、新しい仕事も2ヶ月目。
ゆったりしてんだか忙しいのかよくわからないが、実際は、合えば合うし合わなきゃ合わないという職場のようなので、まあ、様子を見続けるしかないだろ。
ただパワハラが社訓!のようなやわ銀に比べ、楽ではある。
でも日系の海外拠点なんて、風が吹けば飛ぶようなものなので、ちょっと雲行き怪しくなればあっという間、というのはありうるのだが。

先週末はLoving What Is の著者、Byron Katieのワークショップに行ってみた。2泊3日で宿泊費含めかなりの金額を払うことになったけど、まあ、Master はEnterしたね。
先のことはもう心配しない。過去のことはすべて、肯定する(肯定の課程に行くためのメソッド The Workまたは Inquiryがあるのだけど、なかなかそれも良いものだ。
長年信じていたネガティブな思いを一蹴してくれる。まあ、1センテンス at a timeだけど。
でもさーこういう場所にすんでて、こういう著者が生きている間にセミナー行けて、やっぱりあ私はアメリカ来てよかったなー。と思うわ。
まあこれもThe Work のおかげか。
ネガティブな思いが思い浮かんだらすぐに
Is it ture?
If I don’t have the thought, how I would be?
If I have the thought, how I would feel?
What you advise (or think )to the person?
What if turn around the thought?
というような質問をしてみるのです。
でもこれが1 Belief at the timeだからたーっくさんしなきゃいけないけどね。

こないだのリストラも、前よかいろんな面で良くなったことを考えると、ほんと、よかったなあとおもうし。

まあ先のことはわからないから、今だけ大切にするけどね。

しかし、オフィスが客先いくにももわりと自由な服装な感じだから、楽。おかげでまたごっそり仕事用の服を買ってしまった。
もう飽きちゃってさ、真っ黒クロとかおっさんサラリーマンスーツの女版みたいな格好に。
やたらとヂスラれることの多かった前職ではディフェンスとして、おっさんみたいな格好をしていたけど。はっきり言って衿つきのトップとか大嫌いだから私。

 Anyway, すっかり夏になって、独立記念日もロッカウェイ、明日もロッカウェイのビーチに行きます。こないだまたいるか見ちゃったもんね。

Have a nice Summer !
お元気ですかあ

日本はもう桜が咲く頃かいな。
こちらはやっと先週の零下6度とかをしのいで、氷点下は免れているけどさむい・・・。
でも毎日氷点下の3月初旬をすぎて、1度くらいになったらあったかい・・・と思うのが人の心よね。

さーて、最近はアクティブな12ステップワーク!
先月からACOAのステップワークグループに加わり、アラノンのテンポラリースポンサーをちょこっとやり。。。と思って、そこスポンサーワークで
「このままだと私もステップやらなきゃねえ」と思っていたとき、なかなか良いゲイメンのおじさんがいたので、その人に頼んでみた。
蓋を開けてみたら、その人は私の半分くらいのアラノン歴しかないんだけど、まあ、いいか。さらっとワークブックでやってみて、問題があるとこに戻ろうか、と。とにかく12、やろう、ということになり先週末より新しいワークブックでスタート。
まあ、もう何度も通った道だから、12345はいいんだけど、つっかえちゃった6789101112なわけさ。
ダブル12ステップを同時にやるのは結構きついけど、Acoaの女子会もたのしくて、ついついやってしまうわ。
女子会の方は、私以外は白人で、半分は29歳の二人のラブリーガール、ものすごいやり手ちゃんでかわいいのに、びっくりするくらいの悲しいバックグラウンド。もう一人は私よりちょっと年上の悩めるシングル女性。
まあ私も悩めるっちゃ悩めるけどシングルに関しては悩んでないな・・。
もういいです。デートとかでお出かけに連れてってくれる男女問わない人がいればそれで。いなくてもそれで。でもシングル女性、そういう(私はヘルシーな関係を気づきたいの!的な)ことを割と堂々と言ってしまうので、この歳だとなんか痛々しいと思ってしまうのは私だけかしら。
私の最近の発見は
「どうも暴力的な男に惹かれる傾向があるので、心身の健康のためにももういいです」というのが正直な回答になることに気づいた。
あとは、やたらのニーディな男・・・
これ以外でさっぱりさっくり美味しいご飯をおごってくれるならいいよ、ついてくよ。ご飯に。
ということで、どなたか若くて美しい心を持ったかいちゅうさんに美味しいご飯をnyでおごりたいという方はGansokaichu@gmail.comまでよろしく。

しかし、私のスポンサーさんは、時代的には私のシニアゲイ友sよりは若干若く、でもWest Village に住んでいることなどから、きっとマーチンとか知ってんじゃないかなあ?とおもう。
でもよく白人に「君日本人?日本人のなになにっていう人知らない?」と言われたりすると、「ばーか」と思うので、そういうことは言わない。
しらねーよ。

だから少し時間があるときはどっちかのワークブックをするようにしております。同時進行っていうのも面白いけどね。

今日は久しぶりに髪の毛を切れた。QBカットで。あるんですよ、QBカット。3店に増えたの。結構安くて質がいいということで、米人にもうけてるんだよ。しかしあそこでもらう金で生活できんのかなあ?
とおもうが・・・。

仕事、また真剣に探そうかな。よそに行ってみようかと思ったところはうーんでもターンオーバーが厳しそう。
でもアプライだけでもするか。関連会社だからどう転ぶのかな。

Anyway,resume書くだけでもためになる。
あとはヘルスケラプロキシとLiving willを完了した。あとは署名してWitnessにサインしてもらうだけ。

基本、延命治療はしないこと、栄養入れないこと、水分補給はすること、痛み止めは打つこと、臓器提供をすること程度だけど、それをしとかないとずっと生き長らえさせられる羽目になるので。その意思を伝える人を選定しておくことなんだけど、私の場合は家族が国内にいないし、彼らは英語もできないので、知人2名を選定。

臓器提供をすると残りは火葬して家族?に送られるのだけど、それは多分しなくていい。母親が生きてなかったら海に流してもらうことにする・・としたいんだけどそれは死んだ後の遺言なんだよね。
めんどくさいな。
メールで書いて姉に送っとくか?


色々と学んでおります。


日本ではなぜか女の人が配るチョコだけど、こちらでは友達同士で
ハッピーバレンタインデーなどとテキストをしあいます。
今回は5回くらいあったきがする。

日本のバレンタインの風習を説明しようと、頭の中で考えてたらこうなった。
日本Dねはもともと、女性差別の観点から女性から求愛をするというようなことは、社会的に認められていなかったため、欧米のバレンタインの風習が入ってきた時、この日だけは女性が求愛してもいい日にしよう、ときめて、(多分チョコレート会社が)バレンタインチョコの風習を作りました。

欧米の人から見ると、常に男性から女性が虐げられているにもかかわらず、バレンタインにさらに男性にサービス(チョコをあげる)するという状況がものすごく変に思えるわけです。なぜなら、欧米では男性が恋人にジュエリーや花束や甘いものを送る日なのですから。

日本人にこういう表現をすると、私の方が男性差別だというようなことを言われることがあるんだけど、男女の人口の差がないのに、女の天皇を許さない国、女性の管理職や政治家がものすごく少ない国、というバックグラウンドを見れば、日本は女性蔑視って言われたって仕方ないだろう。と思うんだけど、「客観的なものの見方」というのは、それぞれの人が慣れ親しんでいる場所や風習によって変わるっていうのはおのずとしれたもの。

イスラムの女性たちが女性は男性の権利の半分しかなくても、「当然」で「女性は男性に守られるべきものだから半分でもいい」という考え方に慣れ親しんでいるのといっしょだなあ。
と思ったわ。

ってな1日だったけど、
私にとってのバレンタインはここ10年ずっと父の命日=嫌な日だったんだけど、今年になって初めてそのことを思い出さなくて、普通に「バレンタインだなあ」と思ったのがすごくよかった。
そして、姉2からわざわざ命日の知らせを聞いても、気づかなかったことが嬉しかった。
そして今日になって、逐一自分の気持ちを確認してみたけど、曇りはひとかけらも見えなかった。
きっとあの人も、そんな風に思い出されたくないんだな。
と思った。

彼には彼のインテンションがあって、それが思い通りにならない病理を持った人だったけど(彼は多分サイコパス)、彼には彼なりに子供を経済的に守ろうとか、子供の精神病を理解しようとか、その病の深さを思い知って、できれば多分自分だけでなく姉にも、同情心を持ってた、持ちたかったのではないかと思う。

I wish his soul has been rested in peace.

そしてこれを読んでいるあなたにも
May your day was peaceful and filled with love.

もう2月じゃん!
こないだ正月だと思ったのに!

こないだのマイナス16度とかはすぎで、多分そんなにもう寒くなくなるんじゃ。。。

最近テンポラリーのスポンサー役をやることがあって、それはそれでありがたい体験だった。
ただ、相手の人はとてもチャーミングで頭のいい人で、多分にナルシストだから、自分に同情的な人(私)を引っ張ってきたんだろうなと思う。
あまり感情的に引っ張られないようにすることが大切・・・。
って思っていたとたんに、別のグループでステップワークグループに誘われた。
誘ってくれた人はこれは初めてらしく、最初の会合ですごく思考がぐるぐるしてて、若干きつかったのと若干不安になったのとがあったけど、まあ、始める前から悩まずに、とりあえず始めていこうよ、と。
私はこのワークブックは一度やっているので、まあ、初めての人のステップワークは大変怖いし、不安だし、期待も超高いのだけど、やってみたらやってみたで、自分に対する理解は深まるけど、基本別に変わらないよ、ということだけは確か。

でもおかげでいろいろなスポンサーやコ・スポンサーのこと思い出した。
最初のスポンサーは硬くて、多分彼女は準備ができていなくて、私が何気無くいった感謝の気持ちを表す言葉になぜかマジギレして怒鳴られたことがあった。
わたしはそれでも彼女をスポンサーにしたかったけど、途中で無理って思ってやめた。
二番目のサービスマシーンと言われた彼女は、優しいおばあちゃんみたいだったけど、自分でステップワークをしたことがなくて、私の言っていることがわかるのかどうなのかわからなくて、ギブアップ。
そのあとのコ・スポンサーは、彼女が良性腫瘍かもしれない、ということになった時、友達を亡くしたばかりの私は彼女との約束を覚えられなくなってしまい、相手がギブアップ。
彼女が助けを必要としている時に私がいてあげられなくて、すごく悲しい気持ちがした。
他の友達のことで、いっぱいだったことはずいぶんあとになってからわかった。
ACAのステップワーク(今回グループでやるワークブック)は別のコ・スポンサーとやったけど、最後はお互いの声を聞くのもやになるくらいやり続けたので、満足、かつ、お腹いっぱい。
そのあとはハワイで見つけたステップ45やり直しスポンサー。彼女も最後の方は私が飽きてきて、しかもnyに帰ることになり、うやむやに。まあ十分やったかな。
67はサクッとできるけど89が親に謝るのかと思うと前に進めなかった。でも、今は謝んなくていいことがだんだんわかってきたので、機会があったらオフィシャルにやろうと思う。

今はステップ1の答えを書いているけど、やっぱり疲労感半端ない。
そろそろ風呂入って、またベッドで寝ながらやろう。

過去に帰るとやっぱりすごく疲れる。
異様に眠くなる。

Let’s see.
 
すでに平成が何年なのかをまったくわからなくなっているのに
元号が変わるっていうのに驚く。
つうか、いい加減西暦にしないかい?
コンティニュイティがわからなくなるわ。

あけましておめでとう!

今年の大晦日は、近所のマケドニア人の友達と、その友達のブルガリア人と、コーシャ(主にウズベギスタンとか、ロシア系ユダヤ人も食えるルールに基づく)レストランでロシア系ユダヤ人の家族にまぎれご飯を食べ、その後マケドニアん(アルメニアんだっけかな・・・)の彼女のうちに行き、やもめになったブルガリアンを励ましている間に年が明けた。
なかなか良い年明けだった。
しかも俺たちみんな1969年生まれ。
離婚経験者(俺)、やもめ(ブルガリ)、未婚者(マケドニアんかアルメニアン)という3種3様の有様でした。
ブルガリアンはマケドニアンが好きならしい(と、マケドが言ってた)ので頑張ってほしい。
元気はないが、派手さはないがなかなかの男前で、私のことはタイプでないだろうが、こっちはツバつけたくなる様ないいやつ。
いいやつって俺本当に縁がないねえ。
ついつい、怖くて(本当にいいやつは怖い)つい反対側そうな振る舞いをしてしまう。
死ぬまで治らん。

最近は Anthony Boudain の Parts Unkown を見ているが、2016年にトランプが大統領選に出てきたあたりから 急にいろんなことが悲観的コメントが入りすぎて(悲観的かつ怒り)、確かMASAのオーナーシェフと日本に行く回あたりからだろうか、だんだん遺言を見ている様な気になってきた。
おかげで心もかなり沈み、酒が飲みたくなってきた。ので、濁り酒を一升瓶買ってきてしまった。
甘くて美味しい濁り酒。
アイスクリーム代わりの濁り酒。
どちらが体に悪いんだろう・・・。

機能不全家庭に育ち、嫌なことがあれば酒やタバコを取ればいいと親の背中を見すぎて育った私は、やっぱり精神的に弱いのかな。
強いけど、弱い。そういう人なんだろう。
そういうことを書くと強くなれ、とか私とまったく違う人生を行きている人が軽々しく馴れ馴れしく言ってくることがあるが、それを言うならお前も子供を自分と同じ様な間違いをする人間に育てるな、と言いたくなる。

めくそはなくそ。

しかし幼い子供がいるのに自殺しちゃうお父さんてどうなの。
お母さんもそうだけど>毛糸さん

そこだけは頑張ってほしいが、有名になるくらいのキャリアを積める人は、自分にも厳しいので、鬱になった時、こんな風な私だったら生きているくらいなら死んだ方が子のため、とか思っちゃうのかな。

そろそろボーディんも見るのやめないと鬱が移る。

ブルガリアンを励ましていた翌朝、父の夢を見た。
父が、「Xっちゃん」と電話をかけてきて、誰ですか?と聞いたら「パパ!」と嬉しそうな声で名乗りを上げていた。
その時はなぜか仕事のことで相談をしたかったらしいのだけど(内容うろ覚え)、目が覚めたら、そういう父のことを思い出して泣けてきた。
私とパパは、わたしがnyにきてから空港の送り迎えの車の中で話すことが増え、おかげで聞きたかった父の浮気相手のことや、なにやら話をする様になった。
酒を飲まないと饒舌でなく、変なことを言いだしたりしてびっくりするので、私も自分の期待度を調節しながら会話をしなくてはならなかった。正直にまっすぐ思うことを話せる相手ではなく、そうしてしまうとイライラしてきて腹が立ってくるので、その辺コントロールをしながら・・。
ただ、父は私がプンプン怒っていても、黙っていることが多かったり、まああの人が怒り出すとわけわからなくなるので、その辺も気をつけないといけなかった。
こうやって書いていると、やっぱりうちの両親はメンヘラーだったんだな。

母のメンヘラーぶりはかなり判明してきたが、プログラム初期の頃に死んでしまった父のことは、未だによくわからないことが多い。

その日のアラノンミーティングでこの夢の話をして、泣いて、11年経って、父を恋しいと思える様になって、思える自分を素直に感じることができてよかった、と話すことができたけど、帰り道、その「自分のニーズをうまく調整しながらしか話の出来なかった」ことを思い出すと、これって自分の中で勝手に作った妄想の父を恋しがっているのではないか?
と思う様になった。幸い深夜に電話で信頼できるアラ友と話をすることができて、「その恋しいと思う部分だけ、感謝して take what you like and the leave the restをしてみればいいのではないか?」というようなありがたい助言を聞いて、電話を切った。

このプログラムも16年目。
しかしこの近所のお友達も、知り合いになってから14年も経ってた。
10年くらい前は、nyで自分にはあまり長期間仲のいい人がいないと嘆いていたこともあったけど、時間ってすごいね。
ちなみにこの日記も20年目とかじゃないか?

時間て立つの早いなあ。
無料でウエブ組み立ててサーバーに残してくれているダイアリーノートさん、お世話になっています。
ありがとうございます。
って、昔のネットサーハーはボランティアの人が多かったから、たいへんだよね。
もしよろしければ、年間20ドルくらいお支払いしますがどうでしょうか?
(50ドルって言われるとちょっと悩むけど払うだろうな)100ドルまでならいけると思うけど。
任意で。Wikipedia みたいな感じで。
どう?



そんな言葉が頭に浮かびました。
今日は母の誕生日。
NYに帰国する前に、カードに、
「ママが健康で元気でいてくれることが私への最大の贈り物であるように、私が元気でいることが、ママへの最大の贈り物であったらいいなとおもいます。」

と書いてみた。
さっき誕生日おめでとうの電話をしたとき、
オンラインで注文しといた花のお礼を言われ、
「もらったカード読んだよ。綺麗なカードだね」
とだけ言われた。

私が元気でいることは、最大の贈り物じゃないんだなあ・・・・
と実感した。

私があげたものや、そういった「もの」が最大の贈り物なんだな。

だから、もうものをあげればいいや。
もう、行かなくていいや。今まで行きすぎだったんだよ。

It’s sad, sad family I grew up.
It’s sad that I had a mother didn’t love me as who I am.
でも、もういいや。

今日、いつも行くミーティングに行ったら、偶然にも10年くらい前にコースポンサーと、スポンサーをしてくれた人2人が立て続けて入ってきた。
思わずその彼女たちを見て、涙が出てきた。
私が彼女が辛いとき、乳がんかもしれないと言われて悩んでたとき、乳がんで友達を無くしたばかりの私は、辛くて話を聞いてあげられなかった。
数十年もアラノンをやっているそのあとにスポンサーをお願いした優しいPは、私が離れたあともミーティング出会うと、子供みたいにgigglingしてくれる。
しばらく見かけなかったので、どうしたかと思ったら、しばらくプログラムやめてたって。

こういう優しい人たちに、優しくしてもらったから、私は今、人にあげたい、とおもうのかもしれない。パーフェクトでないけど、少なくとも奪い合うようなことはしなくて良くなった。
いがみあうことはしなくて良くなった。
病んだ場所からは、離れればいいことを知った。
病んだ場所でない場所があることを知っているから。

アラノンがあったから、自分で自分を傷つけなくていいことを知った。
傷つけられるのは、自分のせいでないことを知った。

だからもういい。
そっとしておいて、 let’s go where it’s warm.
でした。一泊だけど。
直属上司が functional Alcoholicなため、なんか私が八つ当たり対象になっている模様。abused child はabuserを引き寄せてしまうというけど、まさにその状態。セラピストやアラノン、ACOAの仲間と話してて、その直属上司(今回は男)への恐怖感は父への恐怖感と重なる。
その近さと恐怖がなかなか取れなくて、しかもそいつとの出張でマジあまりにビビりすぎて失敗をしでかしそうになり本当に怖かった。
でも、ACOAセラピストをしているスポンサーみたいに困ったときに話をしてくれる人が、
「その人(上司)が父親に対する恐怖を書き立てているのは、その人に対する恐怖ではなく、子供のころに恐れおののきながら毎日を暮らしてた(実際生きているのが辛いと毎日死にたいと思ってたあの頃の)感情が表層に上がってきている」と指摘される。
そのために、その「あの頃の傷と恐怖」にフォーカスをして、あの頃に戻って感情を再体験することで、過去と現実の違いがわかって整理できるということ。
わかっていても怖かった。
というか、かなり泣いたわこの週末。月曜日に移動だけど、その人には顔を合わさずに済んだので、三日間かけてなんとか
「感情は出さない。やることを箇条書きにする。その”やること”にのみ集中する」ということをひたすら実行。
客(?)のアテンド無事にそいつと完了。
また、そいつがやれという前に報告、実行、お伺い、サポートをひたすらする。
おかげさまで無事終わりました。
しかし日本人のサラリーマンの多くはどうしてこう心を病んでいるんだろうか。ていうか、私がそういうの引き寄せすぎ???
こういうのを避けてきたけど、でもこのところ数年ずーっとあるこの手のこと。結果的には、荒れ狂う上司が親や姉の暴言暴力を思い出さして、私が金縛り状態になってしまう→対処ができないくらい恐怖心にかられる→そんで上司がもっと好き放題する
という図式に落ち着いているのだけど。

でもこの自分のインナーチャイルドをひたすら罰しない、慰める、あの恐ろしい家族からのabuseは私のせいではない→泣くというのをひたすら繰り返す。
(でも今の社内の人の暴言は個人的な感情を交えず、そいつにそんなことを言わせる隙を与えない、というのを何が何でもしなくてはいけない)
というのでなんとかなるとわかった。
がんばれ回虫。

過去のabusiveな家族からつけられた傷なんかで現在を台無しにしてたまるか。

でもついでに西海岸の仕事もアプライしてみとく。

それから一週間が立ったけど。
日本、meaningfulな訪問だった。
いつも私は心弱くて、目の前で起こる不快なことや意地悪な母の振る舞いを瞬時に忘れることができたので、あの家で生き延びて入られたのだけど、今回は、セラピーのおかげで、目を開けていることができた。

言った翌日からひどい左肩の痛みがあって、帰りの飛行機まで取れなかったけど、帰りの飛行機の中でセルフ仁神術一気にコリが取れた。それからは楽々だった。時差ぼけはひどいけど。

時差ぼけのおかげでエンドレスネガティブ思考はまだ目覚めてない。アルコホリックであろう直属上司も、昨日まではいい感じだったけど、今日からはいきなり(ていうか、私も時差ぼけでうまく頭が回っていず)ひどい言葉の暴力で結構ぐったりした。

今回の旅は、
「私ってこんな嫌な思いをするために数十万も払っているんだ」
という実感。
ていうか、もうやめる。マジで。これは自傷行為以外の何物でもない(経済的な)。ホストに貢ぐ風俗嬢となんら変わりない。
家族がいる、というだけで意味もない金を使うのはやめよう。
一人は寂しい。でも仕方ない。お金使っても自分の体を酷使して、有給を使い果たしても、寂しいものは寂しいのだ。

この目覚め感はすごい。最後の方は怒りが高まって、どうしようもないくらいだったけど、ふと
「ああ私はこういう母親を持って生まれて、常に卑下されて、常に”女の子”とか”男の子じゃなくてよかった”とか言われて(あ、最後の最後まで女の子を産んでよかった攻撃でてました。)、動物の雌牡みたいに扱われていたせいで、自分を尊重してくれる人に寄り添うことができず、いつも将棋の駒か使用人みたいに母の欲求を満たすもの(満たさなものは、使い物にならないから、いらないもの扱い)、人間扱いをされないで育ったから、私を大事にしてくれる人がどんな人かわからないんだなあ」
「でもその愛情の餓えを実感してみとめるだけ強かったから、こんな遠くの異国まで来て、なんとか生き延びようとしたんだなあ。」

と、あの人たちが今の私を作った感でいっぱいになりました。
中古の赤いスポーツカー(昔見た夢)は持っているから、大事にして、私は遠くまで行こう。

そう思った。
もう、戻らなくていい。

さーそう思うと、アビュージブな直属上司とコンフロントするのも時間の問題。やっぱり、仕事探しとかなきゃ。

第二のリカバリー(第3か4かもしれんが)フェーズが始まったなあ。
ていうか、この言葉を使う人は私しか知らない。今では。
いや日本離れて22年ですからね、こんなに日本語流暢なのも珍しいでしょう?
そんなことないか。ハワイであった日本の老人たちは日本語も英語も怪しかったしな。日本に大晦日も前日帰ってきました。
スパルタな翌日掃除地獄かと思いきや、やっと22年目にして私がフルタイムで仕事をしているということ、大枚叩いてわざわざ帰ってきているということに気づいたのか、それは免除された。
今年は往復1500ドル弱だったので日本円で16ー17万か。
セラピストになんで帰るのか、と聞かれた時に納得したのは、あまりにも母親というロールをしている人、してくれる人に飢えているので、ほんのちょっとでもそれを感じられるのならと、大枚をはたくといいことに。
私たち姉妹が実家に執着するのは、同じ理由と考える。
母は今日二日に来る姉2家族の訪問の全血力注いでおり、私が大枚叩こうが、事前に温泉予約しとこうが、関係なくただの労働力として、日々切り詰めた生活費を使い果たしてる。ていうか明日以降何食うの?と聞くと今日の残りとのこと。私は帰ってこないという選択肢もあるが、質素に扱われてたまに来る姉2の家族に生活費使っている母を(つまり常にないがしろ状態)の姉1が協力拒否する気持ちもわかる。二言目には高いから、とかそんなことだもの。客に使う金があるならもう少し自分の生活を居心地よく、整理するとか、ゴミ屋敷化する前に溜まったもの捨ててボロボロのもの捨てるとか、しないかな。でも私もこれは自分の学習材料とすることに。母はいつでも反面教師。とはいえ、この家母がいなかったら多分存在し得ない。だから今元気でそしていてくれることに感謝しよう。
でも私はやっぱ正月に帰るのはもういいかな。使われるだけってさみしいもの。
メキシコもいいけど、自分でもっと楽しいことを見つけていこう。
家も買わなきゃ。
地道な生活はつまんないけど、それに代わるのは空っぽな財布と人生。
今回は思わずdeprivation reactionsでオンラインでコートとブーツ買っちゃった。まあホリデイ開けで安かったんだけどね。
セルフケア!!!!!
つうことで、ドトールでお茶。しかしケーキセット安いね日本。こに値段じゃKaiserのケーキ一個分だよ。
いろいろ感じて考える帰国でした。
まだ終わってないけど。
行ってきましたサイコドラマ。
出席者の6人中4人がセラピストっていう濃い場所。あ、一人は心理学を教えていたって人か。当初、その人のポイントがなかなかしぼれないだだ漏れ喋りに早くも根を上げそうな私。
セッション中このだだ漏れな喋りを聴き続けなくちゃなんないのかと思うと激しく不安にかられる。
でもその人はセッション中は黙ってた。(時々でしゃばりにきてて、オーガナイザーに止められてたけど)
今日のドラマは、一人のセラピストさんが職場であっているひどい対応に関してだった。
その状況がいろいろと前の日系テレコムのゆうめいなキチガイ上司と私の関係にくりそつだったので、思わずビビりながら見てた。
すごいな、俺この状況からでてったんだよね。
私のサバイバーなACOA 気質に改めて感謝。
でもセラピスト業界って、ひでえな。ていうか、この職業になる人の多くはかなりのトラウマ抱えて育ってきた強度の共依存症の人がほとんどだから、それもん同士のぶつかり合いが激しい。しかも人を助けなきゃなんない仕事だから、まず自分を助けて・・・・とか言うわけにもいかないのかもしれない。

ああよかった。ケアテイカージョブにならなくて。それだけはやだと思ってたけど、本当によかった。

最後時間が余ったので、話したい人と椅子に向かって話す、というのをやった。面白いのは、相手に話したあと、自分がその人になって自分に向かって話す、というのを何度か繰り返すこと。それで自分の中の内部の会話をみんなに見てもらう。

終わったあと激疲れて、腹も減ったのでコリアンタウンで焼肉+スンドウブセットを食った。食ったあと地下鉄で撃沈して、帰ってからもベット直行。また11時頃起きて、ケーキ食ってこんなの書いてる。
明日からまた仕事。でもこういうことしていると仕事のことも忘れられて、なんかストレス解消になるな。
セラピー三昧の週末じゃった。

今日は新しいセラピストさんにあいに行った
前の人は、ふわっとしてて良かったけど、保険が切り替わってしまったのと、バケーションに戻ってきてからセッションに行ったらドアが開いてなくて、入れなくて、とか、請求がきちんとされてなくて、とかいろいろ不安なことがあったので、これを機会に6月でやめてた。

今回の人は、最初ちょっと悲しそうな人だな、とおもったけど、理性でセラピーをしてくれそうな人なのと、言葉の選び方もセンシティブな感じで安心できた。
まあ、アラノンとか12ステップやってると、来る人セラピストだったりするので、(最近長いこと知っている人もセラピストをしていることを知った)まあ、ね。人の心の闇を知るには、自分が歩いたことなければわからないのだから。

そこで偶然、前にアラともが言ってたサイコドラマのフライヤーを見つけた。月一回、が明日なので、いきなり電話とメールで参加希望をお伝えすると、オッケーがでた。

月曜日きついかもしれないけど、(多くの強いセラピーセッションをすると、しばらく揺り返しが来るので、精神的にきつい)まあ、今は体力と時間があるので大丈夫だと思う。

そのあと、うにとろろ蕎麦を食べようとセントマークスに行ったらまだ開いてなかったので、近くの別のジャパレス(?)で$1牡蠣とホワイトサングリアを食した。
牡蠣は新鮮で、サングリアも美味しかった。サングリア前にスパークリングゥオーターを頼んでたので、ダースの牡蠣とぜんぶでチップ入れたら32どるになっちゃった。そのあと蕎麦屋に行ってうにとろろ、追加でうにを頼んだらプラス8ドルでチップ込みで42ドル(かな?)
一人でデートをしたらなんか80ドルくらいかかっちゃったねえ、という話。でも80ドルのコースとか一人で行くのは気がひけるから、こうやってちょぼちょぼとお金をかけてしまう。
すっかり酔っ払って(サングリアで)、地下鉄で爆睡。帰ってからも爆睡。今23時に目が覚めた。

私はお酒弱いなあー。
ジャパンな会社で酒あり営業とかまじ無理じゃねえか。っていうかやったことないし。
まあそういうところは「女」ジェンダーを守ってくれようとするよね。ジャパンな会社。ていうか米系だったら、酒飲み営業なんてないんだけど。
アジアだよなあ。

2ヶ月先にLAに行くことになった。本社に年に2回行くんだって。へー!ミーティングしに。へー!!
もち泊まりがけ。
・・・・お金あんだね。
テクノロジーと言いつつ、なんかそういうところが妙にべたで不思議。
だからコストかかんだよね。

米系はコストかからないように、そしてかけるなら最大限のリターンを求める、とかあるけど。
・・・・あ、でもそういや地方オフィスの人はクリスマスパーリーとかに人を飛ばさせてたなあ。写真や。今は世界に散らばっているから、飛ばさせてんだろうけど。

まあいいや。
LAって、あれよ、むかし結婚してた時に、Aの仕事で滞在している時22泊3かで遊びに行ったんだった。
なんか不思議だったけどあの頃からすでにギクシャクしてたなあ。
なんでかあの旅行はやたらよく覚えてる。そして、互いのツボの外れ方にも。
10年以上ぶりか。私西海岸には本当に縁がないなあ。
今回もいけるかしら?まあ2泊だけだからいいか。
SFだったら知っている人もいるんだけど、LAって誰も知り合いいなかった。最後週末だからどっか行きたいんだけどなあ。
 まあ、行かしてもらえるだけでもありがたいわ。


遅ればせながら
いやーいまおもいだしてみても怒涛のいちねんだった。
去年の9月だもんね。パワハラ宣言されちゃって、HRにエスカレ、あんたらそっちでなんとかせい、そうは言ったものの、ビビる毎日。なにかに急かされるように思い切って日本に帰って、ロンと今思えば最後のランデブーをしたのだった。
わたしもストレスに重なるストレスで、疲労困憊してたけど、ロンの好きなまま行きたいだけ一緒にお散歩した。
ロンもずいぶんわがまま放題だったけど、きっとどこかでこれが最後ってわかってたのかもしれない。行きたいだけ、行きたいところに。

大好きなロンちゃん。帰るとき、残されるロンはいつも、しんじられない、と言ったかおでわたしがげんかんから出て行くのを見送る。
このまま一緒にいれると思ったのに....と裏切られた悲しみと信じられない、と言ったように、瞬きもせずにわたしを見つめる。

思い出すたびに涙が噴き出す。
連れてはいけない悲しみが思い出すたびに胸をえぐる。

パパが死んで、喪失を知ったロンは、わたしが現れては帰るたびに喪失を味わってたのかもしれないと思うと悲しい。

でも、その分私達ラブラブだったよね。
ままはわたしが帰った後、数日間はいつもロンがわたしを探す、といってた。そして見つからないとクンクンと鳴くと。
ロンもかわいそうだが、母だってかわいそうだ。それを聞いて心配したわたしには、もう言わなくなった。

ロンは実家にいると誰よりも可愛がられれ構われるので、王子様になっちゃって、姉宅に帰って犬身分に再アジャストするのに数日かかるらしい。

ロンは王子様だもん。
かわいいんだもん。

おうちのなかでおしっこしたりしないし、発情期だって暴れたりしなかった。時々姉宅から脱走したらしいけど、ロンは本当にお利口さんでいい子だった。

わたし大好きだもの。

連休で、色々やろうと思っても疲れてしまって、必要なことだけやってゴロゴロしている。
思ったように動けないなあと思うけど、やっぱり、いろいろいそがしくてめまぐるしくて、前の仕事こととかそこからの脱出とか、仕事探しとか本当色々大変だった。今でもまだバタバタしてて、なんかあれだけど、まあ少しは落ち着いた。
だからこそここでダラダラして、いいや。
ゆるそう。海に行こうかと思ったけど、いいや。いや、これを書いたら元気になったかな?
いけるかな?
いけたら広いとこに行くのはスッキリするからいこうかな。

疲れたなあ。



ここのところ女の子の話ばかりね。

今日は仕事のあとACOAのWomens ミーティングにいった。向かっている時、ポーランド人(て今日知ったんだけど)のナチュラルブロンドの可愛い女の子であるKちゃんからテキスト入ってた。
ミーティング行くけど行く?来るなら終わったあと一緒に話そう、というと、来るという。
私も遅れてきたけど、彼女も遅れてきて、終わったあとに近くの公園みたいなところで(マンハッタンのど真ん中ですが)話をした。

大人っぽいし英語も上手い彼女は、多分まだアメリカに来て数年。そしてなんと私の年の半分くらいってことを知った。
うわーわたしが23、4の時に子供産んでたらこんなな訳?

スタイルも抜群で、金髪で、きれいな薄い青緑色の目をして、自分で自分を十分じゃない、ダメだ、と責めたてている彼女をみて、心の底から
「いつか彼女が私の見えている彼女自身を見ることができたらいいなあ」
と思った。
臭いな、と思ったけど思わず出た言葉は、
あなた自身は自分自身にとっても、周りの人にとっても素晴らしいギフトなのよ、という言葉。
 ACOAである私たちは、周りが何を言っても、誰がどう褒めても、心の中で自分はダメだ、十分じゃない、まだ足りない、どうしてこんなことしかできないのか、どうしてこんなことをしているのか、と常に責め立ててしまう。
こんなきれいな女の子の心の中が、自分批判する言葉で満ちているなんて、誰が想像するんだろう、と思ってしまった。
でも、私も随分と、プログラムにいる母のような年齢の人や年上の女性に「あなたはとてもきれいよ。中側も外側もきれいな人よ」と言ってくれてもらってた。
私は、(それはあなたから見て私が若いからよ)とか、
(勝手に私を偶像化しないでよ)とか思ってた。
今でも思ってしまう。でも、それが私の病気だし、それが私が機能不全の家族で育ったから、そう反射的に思ってしまうのは仕方のないことだ。褒められたら、その人は気分が良かったんだな、とおもうだけ。
私のこと、どうせそんなに知らないくせに。と思うだけ

いろんなはなしをして、彼女の若さと賢さと美しさに圧倒されながら、どうか彼女がゆっくりと回復してって、幸せになって欲しいと思った。
彼女はまだ24歳。これからうんといいことたくさんある。

そう思うとなんか救われた気がした。
ハナウマ湾あとの話を書く間もないくらい忙しい。

昨日は母達だけでダイアモンドヘッドに上った後、うちでご飯。
その後はポリネシアンセンターでHAというショウを観覧。
席は遠かったけど、なかなかよかった。
まあ食事・送迎つきで90ドル以下というのはブロードウェイのミュージカルとかを考えればやすいのかな?
食事はブッフェスタイルで、まあシンプルだけど食べられないというものではないもの。
HAはポリネシアンの島のダンスや歌を物語風に組み立てて見せてくれるもの。
これってハワイからサモアからタヒチからニュージーランドからフィジーまで。
フィジーはインド洋じゃないの?という突っ込みはおいといて。

なかなかむずかしい母や姉1からの集金も姉2が請け負ってくれ、しかも私の分は姉2がプレゼントしてくれた。
びっくりしたけど、なんかうれしかった。いつも姉1や母にこれでもかと尽くしても、母の機嫌を損ねれば、姉1とぐるになって嫌がらせ的なことを平気でする母なのでいつも私が疲れた上に切れることも多かったけど、姉2のおかげでいやな気持ちになることはほとんど無かった。

私もこれからははとの付き合い方はもっとちゃんときをつけなければ、と参考になることばかり。
どうする?と相手に決定権を譲れば、どんどん図に乗ってきて、最終的にはこちらがいやになってpush awayしなくてはならなくなるので、こちらからきちんと線を引いておいて、その線を守ること、
とか。
自分の境界線の甘さが出てきてしまう。
うちの母親は私に対しては母親であるというよりも、利用できるコマンドが一個増えたくらいにしか思ってないようなので、余計に・・・。

母親でもある姉2に対しては、ライバル視しているからか、自分の母親としての至らなさが暴露するのを恐れているのか、わからないけど、母親「らしく」振舞おうとつとめる。
その辺の行動の変化が大きいと思う。
そして、たぶん二人きりになれば
「XXはきつい」などのぐちをたれこぼして、それに引き換えあんたはいうことを聞くので使いやすいという意味のことを違った言葉で言ってくる。

母のそのやり方は自分の足で自立することを一切しなかった人特有の他人の操り方だと思う。すべて悪いことは他人のせい。攻められれば
「そうよ私がすべて悪いのよ!」
といって相手を加害者に仕立てるやり方。

などなど
他人のインベントリーをとっても仕方ないのだけど、そういうパターンに従う、あるいは迎合する癖がある自分を見て愕然と模する。
とにかく今回の家族のたびは本当に自分のパターンを見るのにとても役に立った。そして、自分の境界線を守りつつも、相手と接するということにも。

でも毎朝、アラノンの友達とテキストしながらないてた。病んだ母も姉1も、もともとは残酷な人ではないし、もともとは優しい人だし、もともとは・・・・・
だからこそ、私の家族を蝕んでいったアルコール依存症やそのほかの依存症を含む病的なシステムが、私が大好きな優しい人たちを、見るも耐え難いほど変形してしまった事実が悲しかった。

わたしたちはもともと、やさしい気持ちをわすれなかった人たちだったのに。

その翌日、お昼をうちに呼んでご飯を食べて、ご飯を食べた後ラナイでうつらうつらしている3人の写真を撮って、大切にして。

私の好きだったこの3人の女性が平和で安全にくらせるようにと、幼い私はどのくらい祈って、そしてそれが適わないことを理解したときどのくらい絶望してどのくらい悲しんだか。

それがどのくらい長い期間だったのか。

この人たちは絶対に知ることは無いんだと思った。
それでも、そんな安心した3人の寝顔を見ていたときに、そんなことはどうでもいいと思った。

今、ここで、この瞬間にでもこの人たちの平和で安全な時間があるっていうことが。

それがすべてを帳消しにしてくれると思えた。
私にはそれ以上を望むことは出来ないし、これで十分だと思えた。

これで幼かった私は、報われた、と思えた。

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