朝から日記書いちゃっていいのかしら
2020年12月3日 日常続投を続投し続けていた回虫@NYC!
でございます。
初めて来ていただいた方もいたようで・・・
読んでくれる人がいるってだけでもありがたいのう。
一ヶ月ほど前、昔くっついていろんな国に行ってた舞踏チームのリーダーのZがあちらに渡った連絡が入りました。
たった3歳しか違わなくて、実家は同じ路線だったから、一緒に旅することが終わった10年以上あとも行き来をしていたけど、お父さんが亡くなりお母さんの痴呆が始まり、いろんなことがうまくいかなくなって、もともとお酒を飲むのが好きだった彼は、お酒を飲まなければならない体になっていって
実はこの日記も読んでてくれて、酔舞というハンドル名で彼も日記を書いてた時期もあった。
いろいろあるとき、日本時間の夜中でこちらの昼間の時間に電話かかってきたり、FB コールがきたりしてた
実家に帰った時も、日本に帰るよ、というと、会おう、と言ってくれたりしてて
最後に一緒に劇を下北まで見に行った時、手が震えてた。劇が始まる前にファミレスに立ち寄っていっぱい飲みたい、って言ってた。あの時どうしたか記憶はない。
私の父はアルコール依存症で死んだけど、手が震える、までは見たことがなかったので、その時見に行った劇はとても良かったんだけど、その前後は気持ちが暗かった。
自分のことを何よりも、一番大事にしなくちゃいけないんだよ、と何度言ったかわからないセリフを繰り返したような気がする。
あと、自分や誰かを傷つけたくなったらとにかくそこから離れるんだ、というようなこと。
依存症の人は、私が異常な状況でも平静を保って普通に接することができるせいか、私のことを好いてくれることが多い。
私もそういう演技は、情の移っている人にしかしない。
そして今はもうほとんどしない。
静かに退場していくだけ。
優しさってなんなのか、相手のことを思うということ、そして自分のことを大切にするということはどういうことなのかは、12ステップの自助グループで学んだこと。
依存症とDVのある家族で育つと、自分を大切にすることということはよくわからない。
30すぎて、学んだことだ。
ここに書いていることは自分の罪悪感を和らげるため
最後にあったとき、手が震えてた、
帰国する日の朝、夜通し飲んでいたという彼から電話があって、30分といって話を聞いていたけど、もういかなきゃ、と言ってももう少し、と言って結局1時間半電話にへばりついていた
そのあとはもう、日本に帰ることをいう相手ではなくなっていった
FBのコールも返さなくなった
最後に話せる?ってメッセージが来てたのは2017年
10分なら話せるよ、っていう返事に少しチャットしただけだった
I wasn’t the person believing in praying, but I’ve learned there are so many things I can’t change, and the only thing I can is just praying.
彼は舞踏家としてより、演出家、舞台振り付け師としてとても才能のある人だと思っていた。
でも演出家とか振付師って、相手がいないと始まらないんだよね
そして依存症は関係を壊していく病
初めて会った人も、興味本位で近づいてきた人も、軽くかわして取り込んで、その時必要としていることをうまく割り振って自分の味方にしてしまうような人だった
manipulative っていえばそうだけどね
あれは結構疲れるんだ
お金もらわないとやりたくないよ私はもう。
仕事なら、やるけどさ、
彼なら今はなんて言うだろうね
まあ〜しょうがなかったんだよね
って言いながら結構くよくよ悩むかな
乾いた笑いと、人も自分も下げずんたような目をして
以前、こういう人と付き合いたい、助けてほしい、みたいな話をされたとき、
あんたそれは、自分の生活を見て、自分のアートを応援してくれて、自分がまた演劇とかパフォーマンスアートとかに返り咲くのを後ろ盾してくれる人って、
誰?って・・・
仕事としてそういう人を見つけていくのが大変じゃないみんな。だから私はサラリーマンをして空いている時に旅したり好きなことをすることにしたんじゃん、
生活は生活だよ。
みたいな話をした気がする
どこかから始めないと、と思っていろいろやっても見てたよね。。。。
でも何か、どこか、なんだろ、その動きは
お姫様っぽいっていうか
夢見る乙女っていうか
主婦とか、実家に家族に養ってもらっている人の動きっていうか
覚悟、ないのかなっていうか・・・・
自尊心なんて仕事に必要ないです。
必要な時に使えるようにちゃんと場所作ってとっとかなきゃいけない。
それをするのは人ではなく自分。
なんか、そんなこと考えた
アイデンティティーとか、それは自分の物で、お金貰ってやる行動は全く別でもオッケー
仕事で提供する時間や能力は、私が人にお金と交換して提供してあげるサービスですから
サービス=奉仕っかんじか
私はNYやハワイである時期それができるようになったから今があるんだなとおもう。
私ができる奉仕をしてあげる
なので会社はお金をくれる
私という人には揺るぎはないのです。
何を着てようが、誰にどういうことを話そうが
肩書きが何であろうが関係ない
なんか自分defence 話になってきたな
罪悪感を抱えている自分を守りたいんだな
I can’t save anyone but myself
でも、一つ言えることは、彼は安らかだと思う
痴呆で長男の彼を溺愛して、手放しても手放しても戻ってくるお母さんを背負ってこれ以上は行けない、と思ったんじゃないかな
入院したときも、退院、したくなかったんじゃないかな
疲れちゃったんだと思う
だからゆっくりまたさ、あっちの世界で糸引いて、こっちの世界でいろんな人をくっつけてめぐり合わせて、才能のある人たちをまた集めてやらかしてほしいわ
楽しかったね
夢みたいに
また会おう
でございます。
初めて来ていただいた方もいたようで・・・
読んでくれる人がいるってだけでもありがたいのう。
一ヶ月ほど前、昔くっついていろんな国に行ってた舞踏チームのリーダーのZがあちらに渡った連絡が入りました。
たった3歳しか違わなくて、実家は同じ路線だったから、一緒に旅することが終わった10年以上あとも行き来をしていたけど、お父さんが亡くなりお母さんの痴呆が始まり、いろんなことがうまくいかなくなって、もともとお酒を飲むのが好きだった彼は、お酒を飲まなければならない体になっていって
実はこの日記も読んでてくれて、酔舞というハンドル名で彼も日記を書いてた時期もあった。
いろいろあるとき、日本時間の夜中でこちらの昼間の時間に電話かかってきたり、FB コールがきたりしてた
実家に帰った時も、日本に帰るよ、というと、会おう、と言ってくれたりしてて
最後に一緒に劇を下北まで見に行った時、手が震えてた。劇が始まる前にファミレスに立ち寄っていっぱい飲みたい、って言ってた。あの時どうしたか記憶はない。
私の父はアルコール依存症で死んだけど、手が震える、までは見たことがなかったので、その時見に行った劇はとても良かったんだけど、その前後は気持ちが暗かった。
自分のことを何よりも、一番大事にしなくちゃいけないんだよ、と何度言ったかわからないセリフを繰り返したような気がする。
あと、自分や誰かを傷つけたくなったらとにかくそこから離れるんだ、というようなこと。
依存症の人は、私が異常な状況でも平静を保って普通に接することができるせいか、私のことを好いてくれることが多い。
私もそういう演技は、情の移っている人にしかしない。
そして今はもうほとんどしない。
静かに退場していくだけ。
優しさってなんなのか、相手のことを思うということ、そして自分のことを大切にするということはどういうことなのかは、12ステップの自助グループで学んだこと。
依存症とDVのある家族で育つと、自分を大切にすることということはよくわからない。
30すぎて、学んだことだ。
ここに書いていることは自分の罪悪感を和らげるため
最後にあったとき、手が震えてた、
帰国する日の朝、夜通し飲んでいたという彼から電話があって、30分といって話を聞いていたけど、もういかなきゃ、と言ってももう少し、と言って結局1時間半電話にへばりついていた
そのあとはもう、日本に帰ることをいう相手ではなくなっていった
FBのコールも返さなくなった
最後に話せる?ってメッセージが来てたのは2017年
10分なら話せるよ、っていう返事に少しチャットしただけだった
I wasn’t the person believing in praying, but I’ve learned there are so many things I can’t change, and the only thing I can is just praying.
彼は舞踏家としてより、演出家、舞台振り付け師としてとても才能のある人だと思っていた。
でも演出家とか振付師って、相手がいないと始まらないんだよね
そして依存症は関係を壊していく病
初めて会った人も、興味本位で近づいてきた人も、軽くかわして取り込んで、その時必要としていることをうまく割り振って自分の味方にしてしまうような人だった
manipulative っていえばそうだけどね
あれは結構疲れるんだ
お金もらわないとやりたくないよ私はもう。
仕事なら、やるけどさ、
彼なら今はなんて言うだろうね
まあ〜しょうがなかったんだよね
って言いながら結構くよくよ悩むかな
乾いた笑いと、人も自分も下げずんたような目をして
以前、こういう人と付き合いたい、助けてほしい、みたいな話をされたとき、
あんたそれは、自分の生活を見て、自分のアートを応援してくれて、自分がまた演劇とかパフォーマンスアートとかに返り咲くのを後ろ盾してくれる人って、
誰?って・・・
仕事としてそういう人を見つけていくのが大変じゃないみんな。だから私はサラリーマンをして空いている時に旅したり好きなことをすることにしたんじゃん、
生活は生活だよ。
みたいな話をした気がする
どこかから始めないと、と思っていろいろやっても見てたよね。。。。
でも何か、どこか、なんだろ、その動きは
お姫様っぽいっていうか
夢見る乙女っていうか
主婦とか、実家に家族に養ってもらっている人の動きっていうか
覚悟、ないのかなっていうか・・・・
自尊心なんて仕事に必要ないです。
必要な時に使えるようにちゃんと場所作ってとっとかなきゃいけない。
それをするのは人ではなく自分。
なんか、そんなこと考えた
アイデンティティーとか、それは自分の物で、お金貰ってやる行動は全く別でもオッケー
仕事で提供する時間や能力は、私が人にお金と交換して提供してあげるサービスですから
サービス=奉仕っかんじか
私はNYやハワイである時期それができるようになったから今があるんだなとおもう。
私ができる奉仕をしてあげる
なので会社はお金をくれる
私という人には揺るぎはないのです。
何を着てようが、誰にどういうことを話そうが
肩書きが何であろうが関係ない
なんか自分defence 話になってきたな
罪悪感を抱えている自分を守りたいんだな
I can’t save anyone but myself
でも、一つ言えることは、彼は安らかだと思う
痴呆で長男の彼を溺愛して、手放しても手放しても戻ってくるお母さんを背負ってこれ以上は行けない、と思ったんじゃないかな
入院したときも、退院、したくなかったんじゃないかな
疲れちゃったんだと思う
だからゆっくりまたさ、あっちの世界で糸引いて、こっちの世界でいろんな人をくっつけてめぐり合わせて、才能のある人たちをまた集めてやらかしてほしいわ
楽しかったね
夢みたいに
また会おう
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