母のことはあまり書いてない気がするな。
さっき母から、母の異母姉の子供(母より年上の甥)がなくなったとメールが来てた。
母の母は、私の祖父の3番目の妻だ。
母の異母姉は、祖父の一番最初の奥さんの子供だった。
その奥さんは、若い頃に死んでしまい、2番目の奥さんを迎えたけど、離婚だか死別だかで、祖父は一人だったらしい。
そこに、身寄りもあまりない田舎から出てきた祖母が、後妻に入ったらしい。確か年は20くらい離れてたとか。実際はいくつ離れていたのか、母もよくわからないと思う。ただ、末子の母が生まれた時は、祖父は50歳だった。祖父は母が20の年に心臓発作で亡くなった。
私の祖母は、東北の貧しい農家で生まれて育った。小学校3年生の時に、彼女の母親が死んだので、父親が奉公に出した。いわゆる昔話に出てくるみたいな子守をさせられたらしい。だから教育は三年生までしか出ていなく、読み書きもあまりできなかった。
横浜の中心地に工場を建てて、自営業をしていた祖父だったけど、その母の異母姉一家が住んでた地域が二次大戦の空襲にあい、疎開していたその年上の甥だけが生き残ってあとは全員死んでしまった。
孤児となった甥は、母と一緒に育ったらしい。
母は兄が二人いて、本当なら姉も一人いたらしいが、「事故」で死んでしまった。なんでも生まれたばかりの頃、今に寝ていたら「誰か」誤って踏んでしまい、内臓破裂で死んだそうだ。
その話は子供の頃から聞いていて、そのあとに祖父が宗教に入ったことを思うと、(あくまで推測だけど)酒飲みだった祖父が酩酊して、誤って生まれたばかりの娘を死なせてしまったんではないかと思う。
祖父はその宗教にずいぶん寄進したらしく、というか、その教祖を信じたのは祖父が最初だったらしい。(その教祖はもともとセールスマンだったんだってネットに書いてあった)
今では立派な(?)日蓮系の宗教団体になっている。
母の二番目の兄は、大学進学を親に阻まれて、祖父の工場で働いていた。その「甥」の人とおばあちゃんの法事であった時に、その二番目のお兄さんは、鬱だったんじゃないかと言っていた。その私のあったこともないおじさんは、20代で冬山に登り、そこで遭難死した。「甥」さんはうつ病で自殺したんじゃないかと言っていた。
そんな複雑な家に育った母だけど、母は
「何不自由なく育った」
「自分は可愛がられてた」
「お父さんはなんでも買ってくれた」
「お父さんはよくすき焼きや鰻を食べに連れてってくれた」
とよく繰り返してた。
母の生い立ちと、母の言っていることが合致しないのは私がNYに来てアラノンに通うようになってしばらく経ってからのことだ。
ACOAの中には、
「自分の家庭は完璧だった」
「とても幸せだった」
「何一つ不自由なく、両親は素晴らしかった」
という人もいる。そういう人はアラノンに来て
「なんでそんな風に親を責めるんだ」
とか、
「そんな風に親のことや家族のことを言うのはおかしい」
とムキになる人もいる。
そういう人にもあって、私もだんだんどういうことだったのか理解をするようになった。
私自身も、親や兄弟から「可愛がられてた」と言われてて、すごく自分の中で矛盾する気持ちがあったから。
まあ、結局のところ、間違った認識を信じる人、信じ続けたい人はミーティングには来なくなる。
時に、うんと時間が経って、自分の子供や孫が依存症になり、アラノンに再度足を運ぶこともあるのだけど。
兄弟のように育ったはずの甥が、祖父母から高校進学を拒否されたり、使用人だと言われたり、そんなことがあったことすら知らない母、あるいはあったけど、どうしてだかわからない、と否認し続けてきた母が、自分を求めてくる父に惹かれて結婚したのは仕方ないと思う。
残念なことは、結婚した時はお酒が飲めなかった父が、結婚後に依存症になってしまったことだと思う。
そして一番二人が望んだ子供が、精神分裂病になってしまったことだとも思う。(父はもともと一人しか子供がいらないと思ってたので)
母の人生は、本人が認識しているよりもうんと辛くて悲しいものだと思う。
さっき母から、母の異母姉の子供(母より年上の甥)がなくなったとメールが来てた。
母の母は、私の祖父の3番目の妻だ。
母の異母姉は、祖父の一番最初の奥さんの子供だった。
その奥さんは、若い頃に死んでしまい、2番目の奥さんを迎えたけど、離婚だか死別だかで、祖父は一人だったらしい。
そこに、身寄りもあまりない田舎から出てきた祖母が、後妻に入ったらしい。確か年は20くらい離れてたとか。実際はいくつ離れていたのか、母もよくわからないと思う。ただ、末子の母が生まれた時は、祖父は50歳だった。祖父は母が20の年に心臓発作で亡くなった。
私の祖母は、東北の貧しい農家で生まれて育った。小学校3年生の時に、彼女の母親が死んだので、父親が奉公に出した。いわゆる昔話に出てくるみたいな子守をさせられたらしい。だから教育は三年生までしか出ていなく、読み書きもあまりできなかった。
横浜の中心地に工場を建てて、自営業をしていた祖父だったけど、その母の異母姉一家が住んでた地域が二次大戦の空襲にあい、疎開していたその年上の甥だけが生き残ってあとは全員死んでしまった。
孤児となった甥は、母と一緒に育ったらしい。
母は兄が二人いて、本当なら姉も一人いたらしいが、「事故」で死んでしまった。なんでも生まれたばかりの頃、今に寝ていたら「誰か」誤って踏んでしまい、内臓破裂で死んだそうだ。
その話は子供の頃から聞いていて、そのあとに祖父が宗教に入ったことを思うと、(あくまで推測だけど)酒飲みだった祖父が酩酊して、誤って生まれたばかりの娘を死なせてしまったんではないかと思う。
祖父はその宗教にずいぶん寄進したらしく、というか、その教祖を信じたのは祖父が最初だったらしい。(その教祖はもともとセールスマンだったんだってネットに書いてあった)
今では立派な(?)日蓮系の宗教団体になっている。
母の二番目の兄は、大学進学を親に阻まれて、祖父の工場で働いていた。その「甥」の人とおばあちゃんの法事であった時に、その二番目のお兄さんは、鬱だったんじゃないかと言っていた。その私のあったこともないおじさんは、20代で冬山に登り、そこで遭難死した。「甥」さんはうつ病で自殺したんじゃないかと言っていた。
そんな複雑な家に育った母だけど、母は
「何不自由なく育った」
「自分は可愛がられてた」
「お父さんはなんでも買ってくれた」
「お父さんはよくすき焼きや鰻を食べに連れてってくれた」
とよく繰り返してた。
母の生い立ちと、母の言っていることが合致しないのは私がNYに来てアラノンに通うようになってしばらく経ってからのことだ。
ACOAの中には、
「自分の家庭は完璧だった」
「とても幸せだった」
「何一つ不自由なく、両親は素晴らしかった」
という人もいる。そういう人はアラノンに来て
「なんでそんな風に親を責めるんだ」
とか、
「そんな風に親のことや家族のことを言うのはおかしい」
とムキになる人もいる。
そういう人にもあって、私もだんだんどういうことだったのか理解をするようになった。
私自身も、親や兄弟から「可愛がられてた」と言われてて、すごく自分の中で矛盾する気持ちがあったから。
まあ、結局のところ、間違った認識を信じる人、信じ続けたい人はミーティングには来なくなる。
時に、うんと時間が経って、自分の子供や孫が依存症になり、アラノンに再度足を運ぶこともあるのだけど。
兄弟のように育ったはずの甥が、祖父母から高校進学を拒否されたり、使用人だと言われたり、そんなことがあったことすら知らない母、あるいはあったけど、どうしてだかわからない、と否認し続けてきた母が、自分を求めてくる父に惹かれて結婚したのは仕方ないと思う。
残念なことは、結婚した時はお酒が飲めなかった父が、結婚後に依存症になってしまったことだと思う。
そして一番二人が望んだ子供が、精神分裂病になってしまったことだとも思う。(父はもともと一人しか子供がいらないと思ってたので)
母の人生は、本人が認識しているよりもうんと辛くて悲しいものだと思う。
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