っつってもわたしはどこにもいかんがな。
確か去年はテレビかったっけ。オンラインで。
でもマックのデスクトップを夏に買ってから、全然テレビつけなくなった。
やっぱラップトップがあったら(それにテレビつなげるから)いいなあ。

まあいいけど。

昨日はなんだかたまってた(てか見てなかった)ゴジムを集中的に見てた。
あとはNetflixのBlack Mirror...まじこれすごいよ。さすがイギリスってすごいなあ・・・・。

昔母と河口湖周辺に行った時に、なんか昔の村を再現したお店部落で衝動買いした練香セットで練香作ってみた。
貴重なジャコウとかあるの。サンダルウッドの粉とかは、体や髪につけるシェア+ココア+ココナツバターに混ぜといた。
ほんのり白檀の香りがするかと。

いま、くるしいなあ。いろいろくるしいなあ。

スパキャッスルに行こうと準備してたけどなんか気がそがれた。でも明日の夜はミーティングに行くって言ったし、明後日は日曜日で疲れるし。

美味しいもの、すこしでも自分に気にいるもの、すこしでも自分を楽しくさせてくれるもの、というお金で買える範囲の快を求めてきたけど、金がヤバ目になってきたら、自分のレパートリーの少なさに愕然としてきた。

かタックをやめなくてはならない(あとで読み返したら、先生の方からさよならを言われてた。わたしが批判的なことを書いたから)ことにおいて、一番愕然としているのは、自分で作り上げた架空の自己像を失うことで、自分自身の個人的な関係の希薄さを目の当たりにしなくてはならないことだ。

わー彼氏もいないし、親しい友達もいない。
プログラムがあるからそれだけは他のそうでない人よりは「何か」があるけど、家族もいないし。

・・・・・・と思ったらまじで恐ろしくなってきた。

こわいな。
孤独ってこういうことか。

ていうかずっとそうだったけど、見たくなかったから、アマゾンでクルタかったり、サリーかったり、昔の男に連絡とってみたり。

もう少し、オープンになろう現生活で。
あと数十年なんだから。

できたら、ただ耐え忍んで生きていくような生き方はしたくない。
そのために何をしなくてはいけないのか。
何ができるのか。少なくとも、何をしようとすればいいのか。

今回のことで、長いことちょこちょことかおを見てたプログラムの友達、でも親しくはなかったんだけど、彼女と話すことができた。
もう一人、いま行っているグループの中で、キモセラピーを受けながら、しっかりしたプログラムを持っている人とも話せた。

正直になることは、内臓が出そうになるくらい怖いことだけど。
何度かここにきているんだから、怖がらずに話をしていかなくちゃいけない。

誰かがわたしに何かを与えてくれるのではなく、わたしの中のことを見出していかなくてはいけないのだから。

スパキャッスルに行く前に、9月に帰った時母がもたせてくれた大量のおこわを蒸して食べた。

美味しかった。

過去は変えられなく、変えられないことに関していつまでも考えていても、現在が死んでいくだけだから、もう、考えるのはやめよう。

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