母に思い立って電話したら、叔母の死を知らされた。血は繋がってないけど、叔父と結婚してた時にはよくいとこと会ったものだった。ちいさいときには夏休みに泊まりに行ったりもしたことあった。面白いおばさんだった。
最後に会ったのは、父の葬儀前。父の弟と離婚をしているので、もう他の親戚には会いたくないと、父の遺体を安置している時にお別れに来てくれた。その後、施設に入ったはなしをきいた。まだ若いのに。会いに行こうなどと言ってたけど、時間の短い来日期間に行くことはなかった。

このおばや、その不貞な夫だった叔父、その下の十代の子供3人を孤児にして飲みつぶれて死んだ叔父の話をしていたら、アルコール依存症とそれだけでない「イズム」に飲み込まれた代々のうちの家系を思った。妻に不貞と心身への暴力を働いた父を含む五人の兄弟を。それぞれ程度の差こそあれ、子供に被害が広がったその結果を。

そして、悲しいことにみんながそのイズムの被害者で誰も逃れられなかったことを。

母への母の日のカードを書きながら、今が一番いい時と口癖のように言う母も、いつかこの世からいなくなり、私にとって唯一の親であった幼い母も失くしてしまうのかと思うと悲しくて涙がこぼれ続ける。

Amy shumar で涙がこぼれつつも、笑えることにかんしゃをしながら。

最後に、私は面白くて色っぽかったおばさんのこととしておぼえてようとおもう。
私だって、悲しい最後を迎えるかもしれない。その時にその悲しい最後の事を思い出してくれるより、変わった人だったね、自由にいろいろと飛び回っててたね。自由な人だったね、と覚えてて欲しいもの。

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