デビッド ボウイ死んじゃったのね。
2016年1月12日 日常今朝会社のお昼時間の会話で知りました。
私達ミュートマ世代にはブルージーンのデビットボウイが一番かっこいかった。
そんなことよりお正月、日本に帰ってました。主に大掃除と、墓参りと、たまに一体ロンの散歩、それとお正月後はいとこがきたり、石垣に移住した美大の時の友達に会ったり、(帰ってきてたから),あとは姉家族が来て。
思いの外疲れずに、思ったよりも動けた。
ロンは、やっぱり血が少しづつだけどちょくちょく出るので、いつでもかかりつけの獣医に行けるようにと、実家には最後の日だけ遊びに来ただけだった。
でもそれでよかった。
ロンのいない実家は、空耳みたいにいつでもロンの足音が聞こえるみたいだけど、でもそれにもなれなければいけない。
うちに来ていたロンが、時々階段の下でじっと上を見上げていて、まるで死んでしまったパパが降りてくるのを待っているみたいだった。
帰りには、さよならの挨拶をみんなが仏壇にするのに、一緒に登ってきて、でも降りるのをちゅちょしていた。足腰が弱くなっているので、実家の急な階段は怖いみたいだったので抱っこして降りてあげた。
そして、車に戻る時も、抱っこして連れて行った。
もう会えないかもしれないから、ロンの小麦色の首の後ろの硬い毛にキスをして元気でねと言った。
ロンがうちに来てくれて、本当に良かった。あまりかまってあげられない時も世話ができない時もあったけど、ロンがいた時はいつだって帰ってくるとすごく喜んでくれた。
スリッパを噛んじゃうので、ダメを覚えさせるのが大変だったけど、卯喜んでくれるのはいつもすごく嬉しかった。
私にはあまりロンにしてあげられたことはなかったけど、でもロンはとても可愛がられてみんなにたくさんの楽しい思い出を分けてくれた。
パパとの思い出もロンのおかげでとてもいいものに変わっていってくれた。
本当に感謝をしてもしきれない大切な家族の一員だった。もう次に日本に帰る時にはあえてないかもしれない。
ママだって、次の日本に帰る時には、もっと問題を抱えているかもしれない。
だからこそ、一回一回帰る旅に少しでも楽しい思い出を作りたいと思う。少しでもあの時は楽しかったと思える時間を作っていきたい。
私にできるとこは本当に限られてて、時間も限られてて、いつかみんな私を置いていなくなってしまうかもしれないけど、その時でも私には優しい家族がいたんだということを忘れたくない。
DVやアルコホリズムやネグレクトや虐待があったけど、それでも私のの父と母は自分たちのできる限りの、理解できる限りの仕方で自分たちの子供を愛そうと努力をしてきた。
ゆがんだものは彼らが受けてきた愛情や環境がゆがんでいたからで、彼らのせいではなく、彼らはできる限りのことをしてきた結果なんだということが今はよくわかる。
それでも子供は精神を病み、二度と抜け出せない妄想の恐ろしい世界に住んでいるけれど、でも本当は私達は皆今はとても安全で安心して生きていける環境にあるのだ。
いろんなことが悲しいけど、取り返しのつかないかこにはもうもどれなく、それでも私には家族がいたことと、家族が精一杯彼らのできる仕方で私を愛してくれたことに深く感謝をしている。
そして今これを涙でぐしゃぐしゃになりながら書けていることにも感謝をしている。
読んでくれた皆さんありがとう。
私達ミュートマ世代にはブルージーンのデビットボウイが一番かっこいかった。
そんなことよりお正月、日本に帰ってました。主に大掃除と、墓参りと、たまに一体ロンの散歩、それとお正月後はいとこがきたり、石垣に移住した美大の時の友達に会ったり、(帰ってきてたから),あとは姉家族が来て。
思いの外疲れずに、思ったよりも動けた。
ロンは、やっぱり血が少しづつだけどちょくちょく出るので、いつでもかかりつけの獣医に行けるようにと、実家には最後の日だけ遊びに来ただけだった。
でもそれでよかった。
ロンのいない実家は、空耳みたいにいつでもロンの足音が聞こえるみたいだけど、でもそれにもなれなければいけない。
うちに来ていたロンが、時々階段の下でじっと上を見上げていて、まるで死んでしまったパパが降りてくるのを待っているみたいだった。
帰りには、さよならの挨拶をみんなが仏壇にするのに、一緒に登ってきて、でも降りるのをちゅちょしていた。足腰が弱くなっているので、実家の急な階段は怖いみたいだったので抱っこして降りてあげた。
そして、車に戻る時も、抱っこして連れて行った。
もう会えないかもしれないから、ロンの小麦色の首の後ろの硬い毛にキスをして元気でねと言った。
ロンがうちに来てくれて、本当に良かった。あまりかまってあげられない時も世話ができない時もあったけど、ロンがいた時はいつだって帰ってくるとすごく喜んでくれた。
スリッパを噛んじゃうので、ダメを覚えさせるのが大変だったけど、卯喜んでくれるのはいつもすごく嬉しかった。
私にはあまりロンにしてあげられたことはなかったけど、でもロンはとても可愛がられてみんなにたくさんの楽しい思い出を分けてくれた。
パパとの思い出もロンのおかげでとてもいいものに変わっていってくれた。
本当に感謝をしてもしきれない大切な家族の一員だった。もう次に日本に帰る時にはあえてないかもしれない。
ママだって、次の日本に帰る時には、もっと問題を抱えているかもしれない。
だからこそ、一回一回帰る旅に少しでも楽しい思い出を作りたいと思う。少しでもあの時は楽しかったと思える時間を作っていきたい。
私にできるとこは本当に限られてて、時間も限られてて、いつかみんな私を置いていなくなってしまうかもしれないけど、その時でも私には優しい家族がいたんだということを忘れたくない。
DVやアルコホリズムやネグレクトや虐待があったけど、それでも私のの父と母は自分たちのできる限りの、理解できる限りの仕方で自分たちの子供を愛そうと努力をしてきた。
ゆがんだものは彼らが受けてきた愛情や環境がゆがんでいたからで、彼らのせいではなく、彼らはできる限りのことをしてきた結果なんだということが今はよくわかる。
それでも子供は精神を病み、二度と抜け出せない妄想の恐ろしい世界に住んでいるけれど、でも本当は私達は皆今はとても安全で安心して生きていける環境にあるのだ。
いろんなことが悲しいけど、取り返しのつかないかこにはもうもどれなく、それでも私には家族がいたことと、家族が精一杯彼らのできる仕方で私を愛してくれたことに深く感謝をしている。
そして今これを涙でぐしゃぐしゃになりながら書けていることにも感謝をしている。
読んでくれた皆さんありがとう。
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