ハナウマ湾あとの話を書く間もないくらい忙しい。

昨日は母達だけでダイアモンドヘッドに上った後、うちでご飯。
その後はポリネシアンセンターでHAというショウを観覧。
席は遠かったけど、なかなかよかった。
まあ食事・送迎つきで90ドル以下というのはブロードウェイのミュージカルとかを考えればやすいのかな?
食事はブッフェスタイルで、まあシンプルだけど食べられないというものではないもの。
HAはポリネシアンの島のダンスや歌を物語風に組み立てて見せてくれるもの。
これってハワイからサモアからタヒチからニュージーランドからフィジーまで。
フィジーはインド洋じゃないの?という突っ込みはおいといて。

なかなかむずかしい母や姉1からの集金も姉2が請け負ってくれ、しかも私の分は姉2がプレゼントしてくれた。
びっくりしたけど、なんかうれしかった。いつも姉1や母にこれでもかと尽くしても、母の機嫌を損ねれば、姉1とぐるになって嫌がらせ的なことを平気でする母なのでいつも私が疲れた上に切れることも多かったけど、姉2のおかげでいやな気持ちになることはほとんど無かった。

私もこれからははとの付き合い方はもっとちゃんときをつけなければ、と参考になることばかり。
どうする?と相手に決定権を譲れば、どんどん図に乗ってきて、最終的にはこちらがいやになってpush awayしなくてはならなくなるので、こちらからきちんと線を引いておいて、その線を守ること、
とか。
自分の境界線の甘さが出てきてしまう。
うちの母親は私に対しては母親であるというよりも、利用できるコマンドが一個増えたくらいにしか思ってないようなので、余計に・・・。

母親でもある姉2に対しては、ライバル視しているからか、自分の母親としての至らなさが暴露するのを恐れているのか、わからないけど、母親「らしく」振舞おうとつとめる。
その辺の行動の変化が大きいと思う。
そして、たぶん二人きりになれば
「XXはきつい」などのぐちをたれこぼして、それに引き換えあんたはいうことを聞くので使いやすいという意味のことを違った言葉で言ってくる。

母のそのやり方は自分の足で自立することを一切しなかった人特有の他人の操り方だと思う。すべて悪いことは他人のせい。攻められれば
「そうよ私がすべて悪いのよ!」
といって相手を加害者に仕立てるやり方。

などなど
他人のインベントリーをとっても仕方ないのだけど、そういうパターンに従う、あるいは迎合する癖がある自分を見て愕然と模する。
とにかく今回の家族のたびは本当に自分のパターンを見るのにとても役に立った。そして、自分の境界線を守りつつも、相手と接するということにも。

でも毎朝、アラノンの友達とテキストしながらないてた。病んだ母も姉1も、もともとは残酷な人ではないし、もともとは優しい人だし、もともとは・・・・・
だからこそ、私の家族を蝕んでいったアルコール依存症やそのほかの依存症を含む病的なシステムが、私が大好きな優しい人たちを、見るも耐え難いほど変形してしまった事実が悲しかった。

わたしたちはもともと、やさしい気持ちをわすれなかった人たちだったのに。

その翌日、お昼をうちに呼んでご飯を食べて、ご飯を食べた後ラナイでうつらうつらしている3人の写真を撮って、大切にして。

私の好きだったこの3人の女性が平和で安全にくらせるようにと、幼い私はどのくらい祈って、そしてそれが適わないことを理解したときどのくらい絶望してどのくらい悲しんだか。

それがどのくらい長い期間だったのか。

この人たちは絶対に知ることは無いんだと思った。
それでも、そんな安心した3人の寝顔を見ていたときに、そんなことはどうでもいいと思った。

今、ここで、この瞬間にでもこの人たちの平和で安全な時間があるっていうことが。

それがすべてを帳消しにしてくれると思えた。
私にはそれ以上を望むことは出来ないし、これで十分だと思えた。

これで幼かった私は、報われた、と思えた。

コメント

モカ
2015年6月15日18:33

よかったね、なんだか泣けたよ。よかったねー。

kaichu
2015年6月16日8:31

ありがとうー。
切なかったけど楽しかった。
本当に心から楽しかったって言えてうれしかったの。