おとといやっとスノーレパードにアップグレードして、音楽も聴けるようになったよーン!なんて言ってたじゃない。
帰り道に音楽聴きながら、イアフォンのよれをなおそうとヒモを引っ張ったら、コンセントが抜けてばしゃん!とガラス面を下にしてコンクリに衝突!
よく見かける割れたままのガラスがついているiphoneに自分のがなってしまって、思わず笑ってしまった。
第一世代iphoneは二年以上も持ったのに!このリファーブッシュのばかIphoneは半年でこれかよ!
スプリントで使ってたiponeはまだ傷もない(しかも4S,いまのは4でも32gb)。でも売れないのよ, 日本でも使えるしインドでも使えるけど(SIMカードあれば)。考えてみれば、日本のIphoneはGMS かも!!とおもったらCDMAだった。(つまり私の売れないやつと同じ)
ちー!それだったら1万円以下で売っているのに!
とおもってみたが。
ちなみにガラスは50ドルで直してくれるので、ガラスだけ直すことにした。この際にいpほね5に!と思ったけど(失礼iphone5)貧乏な今は我慢してこのまま大切に古いいpほね4を使うわ。
******
今日は昨日作った甘鮭を焼いたのと、チキンかリーを弁当に持ってきた。最近はこの冷凍ワイルドキャッチ鮭を解凍して塩と砂糖をかけて一日置いたものをフライパンで焼いて生めの甘塩鮭にして炊き立てご飯で食べるのがマイブーム。でもこれをすると食べ過ぎるらしく、夜にぺろりと食べていた量をお昼にお結びにして持ってきたらなんかすごい量が多くてたべるのにひとくろお。でも夜なら、炊き立てご飯に焼きたてしゃけならこのくらいはささっとバンパイアダイアリー見ながら食べちゃう。(また最近復活してきているのでビンジウォッチしております)
昼はあまりおなかすかないし、食べ過ぎると一日苦しいからどうも夜食べてそして太る、みたいな事みたい。
私はあまりおなかすかない人だけど、どうもおなかが好きっぽくなるとそのとき考えている食べ物を繰り返し妄想していることがあって、身体感覚でおなかはすかないけど、頭脳でおなかがすくことを主張するらしい。
あ。また脱線。
書きたかったことは、おにぎりのことじゃないの。
おにぎり食べてカレーチキン食べて、アカシアの花が咲き乱れている花壇を眺めていたら、日本からゴールデンウィークで来ているカップルらしき若い二人が楽しそうに二人のセルフィーを撮ってた。男の子が一生懸命とってて、結構かっこいい目なんだけど、女の子はそうでもなくて(失礼)でも二人ともすごく仲良くて楽しそう。きっと二人はうちに帰ったら平凡だけど優しい家族がいて、そのうち結婚式を挙げたりして、子供が出来て、おじいちゃんおばあちゃんも孫をかわいがって、なんか平凡だけど温かい家庭を築いていくんじゃないかなあ、と思った。
そして、それって人がするにはものすごく当たり前なんだけど、その当たり前のことって私の中で小さなころから絶対に自分にはありえないことって思ってきたんだなあ、って思った。
姉たちが精神や心理を病んで子供のころから症状を発症しているのをみて、心理学の本を手に取ったのは中学生のころ。
うちの家族がへんだときづいたのは小学校低学年のころ。死にたくて仕方がなかったのこそこから始まっている。
私にとっては、家庭は牢獄みたいなところだった。みんながしがみついて、でも出て行かない。恐ろしいところ。わたしの家族は正直言ってみんなが恐ろしかった。
でも日常は平和にしている。
でも夜になったり、本当のところをみると本当に恐ろしい。
みんながいがみ合ったり貶めあったり、いつもしていた。
そういうところには絶対にいたくなかった。
私にとって家族はそういうものだった。
だから、安心して帰れる家なんかなかった。
安心して家に帰れるようになったのは、私が一人で暮らすようになってから。そのときだって、鹿っていういつ爆発するかわかんない時限爆弾みたいな彼氏が私のうちにしがみついていた。
あのあたりでセラピーに通いはじめたんだけど、時限爆弾を家の中に抱えていないと寂しくて仕方ない自分というのがどこかでおかしいと思っていた。なんとなく変だと。
あの空虚さ。あの寂しさ。
あれから十年以上たって、セラピーにも何年も通って、プログラムにも行くようになって本当に変わったなあと思うのは寂しくないこと。
こんなに一人で寂しくなくて大丈夫か?と思うくらい寂しくなくなった。
でも時々インド人に連絡するから、それもちょっとうそなのかもしれない。
でも少なくとも家の中に時限爆弾を抱えているようなことはなくなった。
家族のことも冷静に見れるようになった。
あまり感情はない。
多少のめんどくささはあるし、会えば楽しいこともあるしすごくいやなこともあるけど、そういうところからきているのだから仕方がないと思えばそういうことだ。
家族が変わってほしいとかそういうことも思わなくなった。
自分さえきちんと生活が経済的に出来れいれば、遠くにいて元気でいてくれればそれでいい。ロンちゃんもあのもふもふが恋しいけど、でもロンはロンで多摩川近くの姉のお家でのんびり暮らしている。
おじさんや兄ちゃんに厳しくされているかもしんないけど、でもそれでもロンは日向や涼しいところでのんびり老後を過ごしているんだし。
あの拷問みたいな子供のころの毎日に比べれば、今の私の問題だってなんて普通の人並みになったんだろうか。
こないだのミーティングでも、そんな話をしてた。
私たちの問題ってすごく普通の家庭から来た人たちと同じ問題になったよね~って。
暴力やアルコール依存や精神病の巣窟みたいなところから来た私たちが。
ありがたいことだ。
帰り道に音楽聴きながら、イアフォンのよれをなおそうとヒモを引っ張ったら、コンセントが抜けてばしゃん!とガラス面を下にしてコンクリに衝突!
よく見かける割れたままのガラスがついているiphoneに自分のがなってしまって、思わず笑ってしまった。
第一世代iphoneは二年以上も持ったのに!このリファーブッシュのばかIphoneは半年でこれかよ!
スプリントで使ってたiponeはまだ傷もない(しかも4S,いまのは4でも32gb)。でも売れないのよ, 日本でも使えるしインドでも使えるけど(SIMカードあれば)。考えてみれば、日本のIphoneはGMS かも!!とおもったらCDMAだった。(つまり私の売れないやつと同じ)
ちー!それだったら1万円以下で売っているのに!
とおもってみたが。
ちなみにガラスは50ドルで直してくれるので、ガラスだけ直すことにした。この際にいpほね5に!と思ったけど(失礼iphone5)貧乏な今は我慢してこのまま大切に古いいpほね4を使うわ。
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今日は昨日作った甘鮭を焼いたのと、チキンかリーを弁当に持ってきた。最近はこの冷凍ワイルドキャッチ鮭を解凍して塩と砂糖をかけて一日置いたものをフライパンで焼いて生めの甘塩鮭にして炊き立てご飯で食べるのがマイブーム。でもこれをすると食べ過ぎるらしく、夜にぺろりと食べていた量をお昼にお結びにして持ってきたらなんかすごい量が多くてたべるのにひとくろお。でも夜なら、炊き立てご飯に焼きたてしゃけならこのくらいはささっとバンパイアダイアリー見ながら食べちゃう。(また最近復活してきているのでビンジウォッチしております)
昼はあまりおなかすかないし、食べ過ぎると一日苦しいからどうも夜食べてそして太る、みたいな事みたい。
私はあまりおなかすかない人だけど、どうもおなかが好きっぽくなるとそのとき考えている食べ物を繰り返し妄想していることがあって、身体感覚でおなかはすかないけど、頭脳でおなかがすくことを主張するらしい。
あ。また脱線。
書きたかったことは、おにぎりのことじゃないの。
おにぎり食べてカレーチキン食べて、アカシアの花が咲き乱れている花壇を眺めていたら、日本からゴールデンウィークで来ているカップルらしき若い二人が楽しそうに二人のセルフィーを撮ってた。男の子が一生懸命とってて、結構かっこいい目なんだけど、女の子はそうでもなくて(失礼)でも二人ともすごく仲良くて楽しそう。きっと二人はうちに帰ったら平凡だけど優しい家族がいて、そのうち結婚式を挙げたりして、子供が出来て、おじいちゃんおばあちゃんも孫をかわいがって、なんか平凡だけど温かい家庭を築いていくんじゃないかなあ、と思った。
そして、それって人がするにはものすごく当たり前なんだけど、その当たり前のことって私の中で小さなころから絶対に自分にはありえないことって思ってきたんだなあ、って思った。
姉たちが精神や心理を病んで子供のころから症状を発症しているのをみて、心理学の本を手に取ったのは中学生のころ。
うちの家族がへんだときづいたのは小学校低学年のころ。死にたくて仕方がなかったのこそこから始まっている。
私にとっては、家庭は牢獄みたいなところだった。みんながしがみついて、でも出て行かない。恐ろしいところ。わたしの家族は正直言ってみんなが恐ろしかった。
でも日常は平和にしている。
でも夜になったり、本当のところをみると本当に恐ろしい。
みんながいがみ合ったり貶めあったり、いつもしていた。
そういうところには絶対にいたくなかった。
私にとって家族はそういうものだった。
だから、安心して帰れる家なんかなかった。
安心して家に帰れるようになったのは、私が一人で暮らすようになってから。そのときだって、鹿っていういつ爆発するかわかんない時限爆弾みたいな彼氏が私のうちにしがみついていた。
あのあたりでセラピーに通いはじめたんだけど、時限爆弾を家の中に抱えていないと寂しくて仕方ない自分というのがどこかでおかしいと思っていた。なんとなく変だと。
あの空虚さ。あの寂しさ。
あれから十年以上たって、セラピーにも何年も通って、プログラムにも行くようになって本当に変わったなあと思うのは寂しくないこと。
こんなに一人で寂しくなくて大丈夫か?と思うくらい寂しくなくなった。
でも時々インド人に連絡するから、それもちょっとうそなのかもしれない。
でも少なくとも家の中に時限爆弾を抱えているようなことはなくなった。
家族のことも冷静に見れるようになった。
あまり感情はない。
多少のめんどくささはあるし、会えば楽しいこともあるしすごくいやなこともあるけど、そういうところからきているのだから仕方がないと思えばそういうことだ。
家族が変わってほしいとかそういうことも思わなくなった。
自分さえきちんと生活が経済的に出来れいれば、遠くにいて元気でいてくれればそれでいい。ロンちゃんもあのもふもふが恋しいけど、でもロンはロンで多摩川近くの姉のお家でのんびり暮らしている。
おじさんや兄ちゃんに厳しくされているかもしんないけど、でもそれでもロンは日向や涼しいところでのんびり老後を過ごしているんだし。
あの拷問みたいな子供のころの毎日に比べれば、今の私の問題だってなんて普通の人並みになったんだろうか。
こないだのミーティングでも、そんな話をしてた。
私たちの問題ってすごく普通の家庭から来た人たちと同じ問題になったよね~って。
暴力やアルコール依存や精神病の巣窟みたいなところから来た私たちが。
ありがたいことだ。
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