思い出したこと

2014年10月29日 日常
寝る前に書いとく

今日のミーティングのテーマがステップ12だった。

するとなぜか、最初に私が日本で行ったミーティングを守ってたm山さんのことを思い出した。彼女はお母さんを10代のときにアルコール依存症でなくして、看護婦さんになって、そして乳がんにかかり、それが再発したので実家のある関西に戻る、という時が最後になってしまった。彼女が何ヶ月も一人で守ってたミーティングは、前回日本に帰った時にはもうなくなってた。

あのミーティングは、私が実家に戻って辛くて仕方なく、仕事をしているのでカウンセリングを受けに行くこともできないから、とアラノンをGoogleでサーチしたのが行くきっかけになった。
彼女はちょっと内気そうで、でもとても優しくて、静かな雰囲気を持った人だった。結婚をしたくて、お見合いをしている、とも言ってた。でも男の人が怖くて、、。と言ってた。

酔っ払って正体もなく失禁してしまうお母さんを一人でまだ子供なのに、世話をしててた時の話をしてくれた。
世の中に、自分とその酔いつぶれた母親しかいなく、誰も助けてくれない真っ暗な闇の中に落ちて行くような気がしていた、と言っていた。
私がであった頃は、もう30歳の半ばを過ぎていたんだろうに、少女のようにはにかむ、とても愛らしい人だった。

また、ミーティングに来てくださいね、
と優しい声で話してくれた。

一度思わずハグをしたことがあった気がするけど、恥ずかしそうに顔を赤らめていた。
私は、ちょっとバウンダリーを越してしまったかな?と心配になったけど、彼女の心から微笑んでくれた笑顔は、忘れる事のできない輝きを持っていた。


私は、アルコール依存症や家庭内の暴力や精神病のあるうちに生まれ育って、そういう大きな問題がいつもあるところで育ったので、人が怖くてたまらないけど、世の中の人がみんなうちの人みたいで無いことを知った。

私がセルフケアを!とことあるごとに口にするのは、そういう悲しい境遇に育った私の仲間たちが、自分の思いどうりに生きていけなくて、若くして死んで行ってしまうのをみているからで。

自分でアルコールを飲んだりくすりをのんだりしたわけでもないのに、悲しみの中で消えて行ってしまうのが悲しくて、苦しくて、ぜったいに、同じような境遇で育った人に、一人でも、少しでも早く気づいて自分を苦しめるシステムから出て行くための一歩を踏んで欲しくて、

私を助けてくれたあの人たちが、できなかったことを
少しでも幸福な人生を
送って欲しいからで
それが私にできる
わずかな供養だから

彼らが果たせなかった思いを
彼らが過ごせなかった時間を
すこしでも誰かが
取り戻してくれたら



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