悲しいなあ

2014年9月10日 日常
人の感情に同化してしまうのはどうかと思うのだけど(しゃれでなく)、

ダンス姉ヘマのお母さんが亡くなった。

ちょうど去年の9月、NJのヘマのうちに呼ばれて、初めてお父さんとお母さんに会ったのだった。

お母さんは色白で気品のある人だった。
若いころの写真は本当に女優さんみたいで、きれいな人だった。

私はその集まりにバラナシで買ったオレンジのサリーを着て行ったんだった。

途中でバングラデシュ人の家族連れに会って、サリーを直して(笑)もらったもんだ。

それでポートオーソリティーでナジマにあって(ナジマも私のサリーを「短い」と言って引っ張ってた・・・・。

先のバングラデシュの家族の人たちも、私のサリーを短いっつってすそを引っ張ってくれたんだけど、それは私が背がでかいからであって、
「そんなに引っ張ったら脱げちゃうからやめて~!」

とやんわり抵抗したのだが。


ヘマからお母さんの話はたくさん聞いてて、厳しくって怒ると怖くっていつもすぐに思い通りにならないとすごく怒る人だと聞いていた。

でもあの時代のインドに生きて、女性で才知があるのに妻と母でいることしか社会的には許されていない人のフラストレーションというのは大きかったんだろう。

でも優しくて愛情深くてまじめなお父さんと結婚して、女の子を3人生んで、3人とも異国で立派に成功して、そんなお母さんはきっと誇りに思ってたんだと思う。

一番小さくて、体の弱いヘマも、ずっと独身なのにアメリカで自力で自分の家を買って、そこにご両親を招待してあげられるくらいだもの。

お母さんは、私に子供にするように食べ物を分けてくれて、わたしがはじめておいしい思ったチックピーのカレーの作り方も教えてくれた。

「赤いたまねぎのスライスを乗せて食べるのよ」

と教えてくれた。

サリーを来ている私に踊れといい続け、いや、サリーじゃ踊れないと問答をしていると、ナジマやヘマが代わりに踊ってくれたんだけど、最後まで

「次に会うときは、踊りを見せてちょうだいね」

と言ってヘマのお姉さんのうちに戻っていった。


気丈さや、癇の強さはヘマも持っているよ。


なにか懐かしい感じのするお母さんだった。

インドに戻って数ヶ月で、乳がんが見つかり、ステージ4だった。
それからへまは2度ほどインドに戻り、肝臓不全による黄疸が出たとヘマからメールがあったのが先々週くらい。

おとといの夜になくなったそうだった。

きれいな満月の夜だったから。

ヘマは最後まで一緒にいて、こん睡状態のお母さんの枕元で歌を歌ってあげたそうだ。その間に最後の息を引き取ったと。

ヘマのお母さんも歌が好きで、ヒンドスタニの歌を歌うのが好きだったそうだ。

今日会社に来るとき、ヘマとお母さんのことを考えていて、踊ってといわれて、無理にでも踊ればよかったなあ、と思った。

でもそれは、ヘマのお母さんから
「もっと踊りなさい」
という最後の励ましだったのかもしれない。

カタックが私にナジマやヘマという師を与えてくれて、さらにNrityagramの経験までさせてもらったんだもんな。

しかしレパートリーのすくなさを考えると、人に教えることに限度もあるし、人に見せるにも限度がある気がする・・・。

何かいい案ないかな?


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お世話になっているゲイともカップルの片割れマルコの50歳の誕生日の今日。
サプライズが好きなマルコにシャツを昨日買ったんだけど、お金持ちのうちに生まれ育ったマルコは(だからお金を使うのはだーいすき)ブランド品とかが大好き。

さすがにマイナス給料の身ではもちろん高級ブランド品は買えないけど、派手なシャツをセールで買った。

でもな~逆になんかいい感じじゃないかも・・・・。

とおもってたけど買った。

でも昼に行ったお気に入りのケーキ屋さんでケーキを食べて少し元気になったので、やっぱりマルコの好きなシュークリームと生チョコを買ってサプライズで職場に持ってってあげた。

箱に新しい名前を書いてあげて。


高いものじゃないけど、お誕生日にもらったちょっと特別な甘いものっていいよね。とおもってさ。

うれしいじゃない、一日。

そういうのって。

だからシャツは返品した。

それで会社に戻ってきた。





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