わたしが。

あまりに延々と続く人事のおばちゃんの話しに。


この人は私が通訳してこの人はこういっているよ、って言う話に対してああいうこういうと言って論議を仕掛けてくる。
でもそれは、結論に結びつかなくてだだ漏れなはなしで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。


これいつまでつづけるんですか?と思わず、日本人の女性ボスに伺う。

私は通訳として雇われているようだから、あんたこれいつまで云い続けるの?とは立場上云いづらく。

っていうか言ってもいいけどけつまくるわ。



https://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=EIZKGLr9564


FBで友達がコメントしてて、俺らの年代のおざけんファンsが反応してた。

私は、おしゃれで賢いサラブレッドの男の子がさらりと歌って稼いでいる感じや、日本語の歌詞の意味が良くわかんない・・・・・といことで、どっちかって言うとユニコーンの大迷惑とかのほうが好きだったんだけど、(それよりも戸川純のほうが好きだった)、小沢健二ってNYに98年から08年くらいまで住んでたんだってね。

あの辺ですれ違ってた可能性は高いけど(絶対ダウンタウンに住んでたろうから)、ファンじゃないので見かけたって小さいこじゃれ日本人な、って気が付きもしなかったろう。

日本人小さいので良くわかんないです。

みんな同じに見えます。


でもこのビデオ見てて、そういえば、私が04年に日本で働いてて、NYに戻るって決めたとき、送別会を開いてくれて、隣に座ってた大石さんがオザケンの歌を歌ってくれた。


http://kaichu.diarynote.jp/200403282038300000/

このとき。(けんさくしちった)

でも私はファンではないのでどの歌を歌ってくれたのかはよくわかんない。

ぼくらが旅に出る理由
とか
さよならなんて云えないよ

の歌詞を読んでみたら、そんなような内容だったような気がする。

でも私はそのときあふぉだったので、

「そんなに熱いこといわれても・・・」と少し困惑気味だったかもしれない。


若かったんだよね。

そんなことを思いながら自分の日記を読んでいたらこんなのにもあった。

http://kaichu.diarynote.jp/200404131356280000/



あのころはまだ、いろんなことがわかってなくて、自分以外のすべては変わらないと思ってたんだよね。


まさかそのあとすべての急展開になるとは思っても見なくてさ。


03年から04年の間はつらかったけど、そのあとのことから考えると心にともった灯りのような一年間だったなあ~。


なんかなつかしい。


同時に私にとって一番大切なことは自分の感情と一緒になってあげるってこと。なかなか自分の感情がわからない。なんだかよくわからないのです。悲しいのか、寂しいのか、つらいのか、うれしいのか、怖いのか。
時々いろんな感情がごっちゃになるので、とりあえずフリーズしてしまうのだけど。日本に帰ってきてよかった。NYに行く事がいいことなのかどうかはわからないけど、きっと自分にとっては必要なんだと思います。

なにかもう、がんばっていくって事が間違っているような気がしています。もっとだめな自分のそばにいてあげることのほうが大事な気がして。私にとって悲しいとか寂しいとかそういう気持ちは許されないものだったから、つい貯めてためて、一気に怒りとなって爆発!というパターンが多かったのですが、それをすると自分も傷つくということを知って、できるだけ丁寧に、丁寧に自分と付き合っていきたい。自分の感情に振り回されてもいい。何者でもない、自分の感情なのだから。

自分の感情に振り回されるのが怖いので、人の感情に振り回されてみるのです。人の感情のコントロールに躍起になるのです。人の気分を盛り上げたり、楽しませたり、元気付けたり、そんなことをしたってね、その人の感情はその人のもので、その人が悲しい、といってたら悲しいのね、って受け止めてあげればいいだけなのだ。それができなかったらそっとしておけばいいのだ。

自分の感情と一緒に入れますように。何層にも重なった嘘の自分の感情をかきわけて、奥底に眠っている感情と出会えますように




これは当時の秘密日記に書いてあった内容の引用です。




I’ve come long way.

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