母今朝ハワイに到着。
いろいろいろいろすったもんだ(私が内部的に)したけど、来てみるとほんわか~な母にしてやられる。思ったけど、家で会うよりももっとリラックスしているような気がする。それは姉1が一緒じゃないからだと思うけど。
生まれて初めての一人暮らしを75歳で体験して、たぶん母はずいぶん楽になったんじゃないだろうか。と思った。前よりもヒステリックな感じはしずまり、内観的になったように感じる。おかげで私の反応も穏やかな気がする。
ラナイでお茶をして、そのまま朝ごはん(昼過ぎだけど)を作って食べて、母も飛行機内で眠れなかったらしく、とりあえず落ち着いてさっき寝た。
ハワイは快晴で、湿気も無くて過ごしやすい。
私もひとしきり話をして、今は落ち着いて日記を書く。
母に、英語はずいぶん話せるの?何で話せるようになったの?と言われ、(母は私が突然英語ができるようになったので不思議に思ってたらしい)勉強が嫌いな私は、10代のころからプリンスとか洋楽の歌詞の意味を自分で調べたりはしてたし、大学~就職あたりは彼氏がみんな外人だったり、六本木遊び友達が外人あるいは外人彼氏つきだったりと言うことで自然に話はできるようになったんだよ、と言った。
ちなみにまじめに英文科とか行ってた人たちは、文法とかライティングには強いかもしれないけど、その辺はいつまでたってもなかなか上達しないけど、コミュニケーション能力は長けていったんだなあと思う。
まあ、きっとここ10年くらいが山場だったんじゃ・・・・あれ?アラノンキャリアと一致するわ。
まあ、それもとても大きかったと思う。英語で自分のことを大勢の前で常に話す機会を持つ。いつの間にか、それがsecond nature になっていったんだと思う。
考えてみると、どうなってそうなったのかわかんないなあ・・・。
NYでずっと一人だったんだもんね、と言われて、一人で何でもするくせがついていたから。と答えた。本当に一人で考えて一人で行動して問題を解決するくせがついていた。周りがどんなに混乱していても。周りと自分を切り離す訓練は子供のころからしていたから。
なんでも一人でやるっていうのがxxちゃんの口癖だったもんね、と言うので、
やってもらいたいと思っても言えなかったり、頼んでもしてもらえなかったりしたことが多かったからきっと自分で何でもするくせがついたんだね。そのおかげで一人でも外国でやっていけるけど、でも気持ちの上ではしてもらえなかったって言う気持ちがどうしても引きずるんだろうね。
でももう仕方ないよね。と笑った。
母は少ししんみりしてしまったけど、でもそうやって自分のことを客観的に話せたのはよかったなあ、と実感した。
ひとつの物事に必ずいい面と悪い面がある。いい、わるい、というより、その「こと」が他の場面で不都合だったり都合が悪かったり、と言うことなんだけど。
私は自分がアダルトチャイルドであることを知っているし、そのために自分がどんなことで反応するかもしっている。その反応は、不愉快なこともたくさんあるけど、自分の病が良くなりたいと言う痛切な思いを持っていることも知っている。そして、その同じ病が、私と周りの人を滅ぼしたいと思うくらいの怒りのエネルギーも持ち合わせていることも知っている。
それは傷ついた子供のエネルギーで、子供のエネルギーはどのような方向にむかうにせよ強い生命力を持つ。
だからこそ今まで一人でもやってこれた。
逆に一人でないとやりづらかった。
なんかそんなことをおもっていたなあ最近。
母が来ることになったきっかけで、またさらに自己理解力が深まった気がする。
アラノンのグループの力も私には本当に合っている。
私は私を無視したくない。
私は私の安全や健康をおざなりにしてまで救いたいと思うような他人との関係は持たない。なぜならそんな関係はいずれ相手も滅ぼしてしまうような関係になりかねないから。
私のwellbeingが保てない関係であれば、それは手放していくしかない。
私には私しかいないのだから。
私には私しかいない、と言うのは子供のころからの繰り返し言い聞かせてきたこと。
その言葉を自分の持つ孤独の痛みを咀嚼する道具ではなく、もっと有益なものに変えていけるならば。
いろいろいろいろすったもんだ(私が内部的に)したけど、来てみるとほんわか~な母にしてやられる。思ったけど、家で会うよりももっとリラックスしているような気がする。それは姉1が一緒じゃないからだと思うけど。
生まれて初めての一人暮らしを75歳で体験して、たぶん母はずいぶん楽になったんじゃないだろうか。と思った。前よりもヒステリックな感じはしずまり、内観的になったように感じる。おかげで私の反応も穏やかな気がする。
ラナイでお茶をして、そのまま朝ごはん(昼過ぎだけど)を作って食べて、母も飛行機内で眠れなかったらしく、とりあえず落ち着いてさっき寝た。
ハワイは快晴で、湿気も無くて過ごしやすい。
私もひとしきり話をして、今は落ち着いて日記を書く。
母に、英語はずいぶん話せるの?何で話せるようになったの?と言われ、(母は私が突然英語ができるようになったので不思議に思ってたらしい)勉強が嫌いな私は、10代のころからプリンスとか洋楽の歌詞の意味を自分で調べたりはしてたし、大学~就職あたりは彼氏がみんな外人だったり、六本木遊び友達が外人あるいは外人彼氏つきだったりと言うことで自然に話はできるようになったんだよ、と言った。
ちなみにまじめに英文科とか行ってた人たちは、文法とかライティングには強いかもしれないけど、その辺はいつまでたってもなかなか上達しないけど、コミュニケーション能力は長けていったんだなあと思う。
まあ、きっとここ10年くらいが山場だったんじゃ・・・・あれ?アラノンキャリアと一致するわ。
まあ、それもとても大きかったと思う。英語で自分のことを大勢の前で常に話す機会を持つ。いつの間にか、それがsecond nature になっていったんだと思う。
考えてみると、どうなってそうなったのかわかんないなあ・・・。
NYでずっと一人だったんだもんね、と言われて、一人で何でもするくせがついていたから。と答えた。本当に一人で考えて一人で行動して問題を解決するくせがついていた。周りがどんなに混乱していても。周りと自分を切り離す訓練は子供のころからしていたから。
なんでも一人でやるっていうのがxxちゃんの口癖だったもんね、と言うので、
やってもらいたいと思っても言えなかったり、頼んでもしてもらえなかったりしたことが多かったからきっと自分で何でもするくせがついたんだね。そのおかげで一人でも外国でやっていけるけど、でも気持ちの上ではしてもらえなかったって言う気持ちがどうしても引きずるんだろうね。
でももう仕方ないよね。と笑った。
母は少ししんみりしてしまったけど、でもそうやって自分のことを客観的に話せたのはよかったなあ、と実感した。
ひとつの物事に必ずいい面と悪い面がある。いい、わるい、というより、その「こと」が他の場面で不都合だったり都合が悪かったり、と言うことなんだけど。
私は自分がアダルトチャイルドであることを知っているし、そのために自分がどんなことで反応するかもしっている。その反応は、不愉快なこともたくさんあるけど、自分の病が良くなりたいと言う痛切な思いを持っていることも知っている。そして、その同じ病が、私と周りの人を滅ぼしたいと思うくらいの怒りのエネルギーも持ち合わせていることも知っている。
それは傷ついた子供のエネルギーで、子供のエネルギーはどのような方向にむかうにせよ強い生命力を持つ。
だからこそ今まで一人でもやってこれた。
逆に一人でないとやりづらかった。
なんかそんなことをおもっていたなあ最近。
母が来ることになったきっかけで、またさらに自己理解力が深まった気がする。
アラノンのグループの力も私には本当に合っている。
私は私を無視したくない。
私は私の安全や健康をおざなりにしてまで救いたいと思うような他人との関係は持たない。なぜならそんな関係はいずれ相手も滅ぼしてしまうような関係になりかねないから。
私のwellbeingが保てない関係であれば、それは手放していくしかない。
私には私しかいないのだから。
私には私しかいない、と言うのは子供のころからの繰り返し言い聞かせてきたこと。
その言葉を自分の持つ孤独の痛みを咀嚼する道具ではなく、もっと有益なものに変えていけるならば。
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