あまり日記の内容とは関係ないんだけど。

カタックのクラスで、ヘマが教室に入ってきたら、へまのお姉さんの安寿よりスパイス詰め合わせを持ってきてくれた。
こないだヘマのおうちに呼ばれたとき、ヒヨコマメのカレーがすごくおいしかったので、どうやって作るの?と聞いたのだ。
そのときにものすごいいろんな種類のスパイスをを入れることを知ったのだけど、安寿がメールで造り方を教えてくれた。良かったらスパイスもあげるよ、といってくれたので、一部のスパイスを分けてほしいとお願いしたのだった。

あーなんか胸がつまってきたぞ。

クラスで先生が、あなたの好きなものやるから何がいい?といわれたので思い出のピースをひとつあげたのだけど、(それ以外のは結構先生忘れているから)、今やっているのでいいよといった。

思い出のピースを三人で踊っているとき、こみ上げてくるものがあった。このピースが私がまだビギナーだったころ、バリとヘマがアドバンスクラスで踊っていたもので、私はそれを見てなんてすてきだと思っていた。

今こうやって三人で踊れるのも、信じがたいことなのだ。

私がビギナーだったころ、ビギナーのレギュラーの人は必ず3-4人はいて、それプラスアドバンスだった。途中でヘマが針の勉強をするのでクラスがひとつになり、ビギナーの人たちも一人やめふたりやめ、一時期は私とバリしかいなかったことも長いことあった。そのうちヘマが戻ってきて、今のクラスの状態が確立されたのだけど、私はどっちかって言うとビギナーだったのにダンス歴20年近いヘマと一緒で二人のクラスだったりすることもあって、私は教えてもらうというより何をやっているのか理解して部分的にでもついていく、というやり方でほぼずっと学んできた。おかげでインドに行っても、教えてもらえないけどやらなきゃいけないという状態におかれてたけど、なれているので、精神的には強いほうだと思う。

インド舞踊が私の生活に入ってきて、少しづつ少しづつ私が変っていって、私の踊りも変っていって、私の生活も変っていったと思う。それは何よりも先生と二人の先輩の三人が私と深くかかわっていったからだと思う。

バリにも先生にもヘマにも腹を立てたことはあったけど、結局は家族みたいになんとなく忘れてしまう。そのうち相手のよさも悪さもわかってくるのだから、仕方ないよなあ、という気持ちになってしまう。

この人たちから離れて、私はだいじょぶなのかと思ってしまう。まるで家族から離れるかのように。

取替えのきかない人たちから離れるときはいつだって悲しい。その人たちはその人しかいないから。

私はずいぶん人との距離を保つことが上手になって、あまり人に執着しなくなったと思ってた。でも大事なものはわかっているんだね。良かった。


今日も辛いけど、できることをしていこう。昔のFCPのノートをタイプしてみる。そうやってしばらくは気持ちを落ち着けよう。


あっところでマンゴパウダー、初めて使った。独特のおいしいにおいがするのです。キドニービーン・・うずら豆?赤豆?をゆでてあったので、ココナツバター(本来はギー)にクミンシードを入れてシャーっと音がするまで火を通して、トマト、ショウが、にんにくのみじん切りを加え、それにマンゴパウダーとチョラマサラをくわえてペースト状にになるまで加熱。それを茹で上がってる豆にくわえて煮込むのです。
うまいまめができたぞ。


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