って昨日の胸板敦くん(こだわる)の願望を唱えた後に、クレイグズリストで募集してたルームメイトの返事をしてた人からメールが来て、その人今NYにいるから会わない?ということになってウエストビレッジ出会うことにした。

まさに着々と進みすぎていて怖いくらい・・・。

元はユーゴスラビアで生まれてシカゴで育った人なんだけど今はフィットネス+マッサージセラピーを派遣する会社を運営している金髪の日焼けしたお姉さん。
私前後の年齢だよね、と思いながらも話を聞く。
ちょうど電話でのスケジュール管理+ 客さん対応の人が穴を開けたとかでとてもテンス。この人と生活はしたくないなあ。でも海の前のアパートというのは魅力的・・・・。

昔友達だった、ロシア人のレーナを思い出してしまう。でもなんとなく話がかみ合わない。私のせいかと思ったら、ウェイターともなんだか微妙に頓珍漢な感じで話してた。そういうタイプの人なのかもしれない。

月がきれいだったので、チェルシーマーケットに寄って、私のおきにのチーズを買ったあと(ブタラとかそんなようななまえ。いつも読めない/覚えられない)、朧月が濃い青の空にきれいだったので、ユニオンスクエアまで歩くことにした。

アンソロポロジーもつい癖で覗いてみてしまったけど、アンソロポロジーのセールで買った服たちは捨てたものの中にかなり含まれてたことを考えると、ビンジ買い物(なんていうかやけ買い?)アイテムだったのね。
今はほしいものなんて無いわ。人生生きている気がするから。

変化したいのにできない(しない)を選んでいると、弊害が出る。そのために収入もあったけど(ないし、仕事があったけど)それをキープするのにどれだけ無駄使いをして自分をコントロールしてきたことか。

それは、依存症といるために飲みたくも無いアルコールを飲むのと一緒な気がする。そうでないと正気を保てないから。正気を保つために、正気でない行動をするというのはよくある話で。

そんでユニオンスクエア。

ついたら楽しそうにハレクリシュナの人たちがチンチンどんどん鳴らしてハレクリシュナを謳ってた。昔はカルトめ~。と思ってたけど、インドにいってからというもの、結構こういうのりで毎晩近所のお寺でちんちんどんどんやってたんだよね。
あるとき、あまり楽しそうだったから、カップルに
「なんかストリートフェスティバルみたいだから見に行って来る」
といったら、
「お祭りじゃないって。近所のお寺でプジャやっているんだよ。」というので、「それは見に行けないの?」と聞いたら、だめだという。
「え、でもちょっと確認しに・・・」としたまで降りて道を見たけど何にも起こってなかった。

しょんぼりして帰ってきた思い出がある。
ある晩なんかちんちんどんどんうーうーわーわーと一晩中歌ったりなんだりしているので
「うるせ~~~~!!!」と怒鳴ったことがある。もちろん何の変化も無いけど。


・・・・という前置き長く、そういう環境にいたのでハーレークリシュナちんちんどんどんがなんか懐かしくたのしい。しばらく噴水のふちに座って聞いてた。

堪能した後に、地下鉄の駅に降りてったら今度はすごくいいドラム(プラスチックのバケツだけど)とパーカッションの黒人二人と管楽器の白人三人のチームの演奏を聴けた。おりてったときクライマックスで終わっちゃったので、次の曲を聴いてからCDを買ってみた。
NYに着たばかりのとき良くこうやってストリートバンドのCDを買ってたなあ。でも大体ライブのほうが良くて、CD捨てちゃうんだけど。

これは後で聞いてみます。

うちに帰ったら、別のお部屋の件で電話が入ってて、電話をかけてみるとおばあちゃんが出て、マッサージスクールと同じビルの部屋を貸してくれるそうだ。
眺めがいい(17階??)とかで写真もついててよかった。とりあえず、ジムに部屋を見に行ってもらうことにした。

昨日の朝にはテレビもビデオも廊下に出して誰かにもらってもらったし。
着々と荷物は片付いておるのであります。

今悩んでいるのは、Aからもらった棚を捨てるか捨てないか。
思い出を引きずるのはいやだから、捨てるつもりなんだけど。
それと同時にA宅から引っ越すときに買った本棚。高さ的にはちょうど良くて重宝しているけどこれも思い出があるので捨てる。

きっと新しい生活をまた始めるときにはまた一から買いなおそう。

しかし、服は要らないけどホーム系のもの(シーツとかコンフォーターとか)をほしがって仕方ない。

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