インドでたくましい人々を見て来て、俺なんか何言っちゃってやがんでい、彼らのつめの垢でも飲んでみろやい!(のめないけど)
的ながらっぱちいけいけどんどんムードできた私ですが、先ほど元夫とそば食いに行ってきました。
この人といて別れるとなんかものすごく寂しい気持ちになるなーと思いながら帰ってきたんだけど、たぶん理由がわかった。
気分的には昔からの友達に会う感じ!と思って張り切って出かけでも、会話はちぐはぐだし、何かというとすぐ仕事の話を持ち出してきて、はっきり行って退屈だし、なんていうか・・・・ホントこの人と付き合って結婚して一緒に住んでいたのかと思うのが信じられないくらいあまりにもなんていうか・・・・ちがいすぎる。感覚が。
なんだろなー。融合できない感じだな~。
たぶん私は人とチューンを合わせてなんとなく共感できる状態に持っていくのがすきなんだと思う。そういう人との付き合い方をする人なんだろうと思う。それなのに、知人/友人/あるいはかつてとても近かった人なのにそれができないとなるとものすごく寂しい気持ちになるようだ。
インド人はたぶん私と似たような性質を持っているから、お互いにあっという間にチューニングしてしまうのだけど、(言いか悪いかは別として)たぶんAはそういうのを意識的か無意識的に避けているような気がする。あるいは私とはもうそういう共感状態になりたくないんだろう。いろんな理由で。
君はとてもmanipulative だ、でも君は意識しないでそれをしている。
と元夫に別れ話をし始めたころいわれたことがある。そんな意識しないでmanipulativeだなんていわれても、意識してやってないんだから止めようが無いじゃん!私何もしてない!なんて思ったことがある。でもそういう人私も知っているから、そしてそういう人と付き合っていると(友人でも)いつも何か利用されたような気がして後味が悪いから、どんなに親しそうにされても距離を置いていくしかなかった。
ま、実際はそんなに親しくなかったんだけどね。
でもそんなふうに思われてたんだなあ、と思うと悲しくなる。悲しいけどしょうがない。
みんないい面と悪い面を持ってて、そのすべてに自分で気づくということはできない。できないからしょうがない。そうやって自分と他人を許していくしかない。
実際この結婚の後、そういう自分ではわからない自分の姿というものが把握できなくて、それが許せなくて怖くて、人と近づくのが怖くなってしまったということがある。今まで一緒にいた誰よりも強く批判されたし、それがアディクトの性質の一部だと頭ではわかっていても、やっぱり怖かった。
でも今回インドでいろんな人に親切にされて、なんとなく自分を許すことができたような気がする。自分のままでいいんだ、といわれたような気がする。善意で行ったことが善意で受け止められて、感謝されて、うれしかったんだとおもう。
かえりに服の寄付にも付き合ってもらって、別れ際にハグをしたときに、keep in touchといわれ、それってもう会わないかもしれない人とかに言う言葉だよなあ、と思った。
ハワイに行ったらもう会うことは無いかもしれないな、と思った。
NYの猥雑さやうるささ、そんなものがわずらわしくなってなんとなく自分の性に合わないな、と思うようになってから、この人が持っていると思っていた魅力というものは単に自分が作り上げたものだったんだな、とうすうすは感じ取っていた。
わかってはいたけど、私の望むような人でいてほしいという気持ちは強かった。でも今ふと考えてみたら、2004年から付き合っているってことはもう丸9年もたったってことだ。もう時効になってもいいな。このひととは。
私はやっぱり結婚とかひとっところにじっとしてじっと一緒にいなくちゃならない関係とかは難しいんだなあ、と思った。
まあ、もしかしたらね、ハワイで花開くかもしれないけどね。 笑
さあ、片づけをするぞ。
後ろを振り向いても何も無いのだ。
的ながらっぱちいけいけどんどんムードできた私ですが、先ほど元夫とそば食いに行ってきました。
この人といて別れるとなんかものすごく寂しい気持ちになるなーと思いながら帰ってきたんだけど、たぶん理由がわかった。
気分的には昔からの友達に会う感じ!と思って張り切って出かけでも、会話はちぐはぐだし、何かというとすぐ仕事の話を持ち出してきて、はっきり行って退屈だし、なんていうか・・・・ホントこの人と付き合って結婚して一緒に住んでいたのかと思うのが信じられないくらいあまりにもなんていうか・・・・ちがいすぎる。感覚が。
なんだろなー。融合できない感じだな~。
たぶん私は人とチューンを合わせてなんとなく共感できる状態に持っていくのがすきなんだと思う。そういう人との付き合い方をする人なんだろうと思う。それなのに、知人/友人/あるいはかつてとても近かった人なのにそれができないとなるとものすごく寂しい気持ちになるようだ。
インド人はたぶん私と似たような性質を持っているから、お互いにあっという間にチューニングしてしまうのだけど、(言いか悪いかは別として)たぶんAはそういうのを意識的か無意識的に避けているような気がする。あるいは私とはもうそういう共感状態になりたくないんだろう。いろんな理由で。
君はとてもmanipulative だ、でも君は意識しないでそれをしている。
と元夫に別れ話をし始めたころいわれたことがある。そんな意識しないでmanipulativeだなんていわれても、意識してやってないんだから止めようが無いじゃん!私何もしてない!なんて思ったことがある。でもそういう人私も知っているから、そしてそういう人と付き合っていると(友人でも)いつも何か利用されたような気がして後味が悪いから、どんなに親しそうにされても距離を置いていくしかなかった。
ま、実際はそんなに親しくなかったんだけどね。
でもそんなふうに思われてたんだなあ、と思うと悲しくなる。悲しいけどしょうがない。
みんないい面と悪い面を持ってて、そのすべてに自分で気づくということはできない。できないからしょうがない。そうやって自分と他人を許していくしかない。
実際この結婚の後、そういう自分ではわからない自分の姿というものが把握できなくて、それが許せなくて怖くて、人と近づくのが怖くなってしまったということがある。今まで一緒にいた誰よりも強く批判されたし、それがアディクトの性質の一部だと頭ではわかっていても、やっぱり怖かった。
でも今回インドでいろんな人に親切にされて、なんとなく自分を許すことができたような気がする。自分のままでいいんだ、といわれたような気がする。善意で行ったことが善意で受け止められて、感謝されて、うれしかったんだとおもう。
かえりに服の寄付にも付き合ってもらって、別れ際にハグをしたときに、keep in touchといわれ、それってもう会わないかもしれない人とかに言う言葉だよなあ、と思った。
ハワイに行ったらもう会うことは無いかもしれないな、と思った。
NYの猥雑さやうるささ、そんなものがわずらわしくなってなんとなく自分の性に合わないな、と思うようになってから、この人が持っていると思っていた魅力というものは単に自分が作り上げたものだったんだな、とうすうすは感じ取っていた。
わかってはいたけど、私の望むような人でいてほしいという気持ちは強かった。でも今ふと考えてみたら、2004年から付き合っているってことはもう丸9年もたったってことだ。もう時効になってもいいな。このひととは。
私はやっぱり結婚とかひとっところにじっとしてじっと一緒にいなくちゃならない関係とかは難しいんだなあ、と思った。
まあ、もしかしたらね、ハワイで花開くかもしれないけどね。 笑
さあ、片づけをするぞ。
後ろを振り向いても何も無いのだ。
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