ただいまあああああああ
2013年8月23日 旅行かえってきたよおおおおお
また俺と私と私と私の生活が始まるわ。(つまり俺だけってこと)
しかしバンガロールの一ヶ月はさておき、後半のデリー中心生活は本当に人に恵まれ、いいんですかこんなに!!っていうくらい27歳新婚さんのカップルのお宅に住まわせてもらった。
最後の方は、やっぱそろそろリビング生活にだんだんきつくなってきて、(きっとホスト側も私がいるからリビングにいることは少なかったし、不便だったと思う)ホテルに移ろうかなー、と思ったんだけど、なんだかんだいって最後の方までおジャマしました。
でも最後の週末はアグラーにいって、そして、最後の夜は、秀才女子モスミ嬢のおたくに(コーネル大学の博士とかもっている)おジャマさせていただき、最後にカップル宅に帰って荷物を引き取って空港に向かいました。
今回は
デりー、ボンベイ、フランクフルト、しかもDCと3回乗り継ぎ、しかもあいだ5−8時間街という過酷なスケジュール。計48時間くらいかかったんじゃなかろうか?まあ40時間くらいか?
でも思ったのは乗り継ぎあった方が直行16時間とかより体は楽。
8時間8時間くらいで割った方がいいな。
最後の方はカードメンバーなのでもらえるUAのラウンジとかを利用して(今までわざわざ行くのが面倒だからいったことなかった)爆睡しました。
さすがに40時間も体が横たえられないときつい。
......なんて、甘えたこといっているんだなあ、と思った今回の旅。
最初から中流以上のお嬢さん達といた今回の旅。そのうち物乞いの子供の虫の仕方も覚えたけど、子供は見ている。私のよけ方が同情的なことを読み取って、アグラのバス停ではかなり長いこと来られた。逃げるようにしてバスに乗り込む。
何か買ってあげれば良かったんじゃないかと思いながら、買えばまたこの子は物乞いをするんだろうと。
それもつらかったけど、今回知ったのは多くの自転車リキシャのおじちゃん達のこと。自転車の骨組みくらいにやせたおじちゃん達は、夜になると、着の身着のままでお客さんの座る荷台に体をおいて、手足や頭を宙に浮かせたまま眠る。
モスミにこの人たちは、仮眠をとっているの?それともこれで夜を過ごすの?と聞いたら、このまま朝まで寝て朝からまた働くと。
うちはないのか?と聞くと、多分どこかの村にうちがあるんだろうけど出稼ぎにでてきているんだと思う。だからこうして毎日寝て、朝になると起きて働くんだと。
............
言葉がでない。
三輪車の上で寝起きをして、朝になればまた炎天下の中を車がフルスピードではしる中自転車をこいでいくばくかのお金をえてまたよる眠る。
リキシャのおじさん達は、今でもビートルナッツを口に入れて赤いつばを吐きながら自転車をこぐ。暑い中食欲がわかないけど、ビートルナッツのせいでハイになって、ずっと自転車をこいでいられるからだ。
私はおじさん達があんまりにも気の毒で、オートリキシャしか使わない。よっぽどのことがない限り。だから私はいいお客ではないのだけど。
一回バラナシで使った。カントメントにいったら何かこぎれいなお店でもあるかといってみても何も無くて、しょうがなくてバーガーキングでセットメニュー(しかもインド料理)を頼んで戻ってきた。片道150ルピーといってたのに、往復したら500ルピーにねあがってた。
すごいボラレているのはわかったけど、シバ祭りでいろんな道が塞がってて、おじさんがんばってたから、せめて400にしてと思ったけど、まあチップも入れて450にしといた。
私の払った価格はおじさんのいつもの一日の上がりなんじゃないかと思う。
でもいいかと。
せめて少しでもいいことあったら、と。あたしにとれば、9ドルか7ドルかの違いくらいしかない。でもおじさんにはおおきなちがいなんだもの。
おじさん達はすごくまじめに、お酒を飲む訳でもなくひたすら自転車をこいでいる。こんな人生で何が楽しいんだろうと思ってしまわないのかしら。
いきているのがつらくならないのかしら?
と心配してしまう。
きっと私は貧しいインド人だったらとっくに死んでいるだろうな。
こんな生活を続けるのはいやだと。
貧しいインド人は橋の下とか道とかにいて、目が合うと物乞いの仕草をする。胸が苦しくなってくる。だけど私は何もしない。何もあげない。なにもあげれない。
あげた方がいいのか、何も変わらないけど、死にそうな赤ちゃんはもしかしたら少しは持ち直すのかもしれないとか思うけど、でもやっぱりだいだいなにもあげない。
何がいいのかはわからない。
そういう気持ちになって帰ってきた。
また俺と私と私と私の生活が始まるわ。(つまり俺だけってこと)
しかしバンガロールの一ヶ月はさておき、後半のデリー中心生活は本当に人に恵まれ、いいんですかこんなに!!っていうくらい27歳新婚さんのカップルのお宅に住まわせてもらった。
最後の方は、やっぱそろそろリビング生活にだんだんきつくなってきて、(きっとホスト側も私がいるからリビングにいることは少なかったし、不便だったと思う)ホテルに移ろうかなー、と思ったんだけど、なんだかんだいって最後の方までおジャマしました。
でも最後の週末はアグラーにいって、そして、最後の夜は、秀才女子モスミ嬢のおたくに(コーネル大学の博士とかもっている)おジャマさせていただき、最後にカップル宅に帰って荷物を引き取って空港に向かいました。
今回は
デりー、ボンベイ、フランクフルト、しかもDCと3回乗り継ぎ、しかもあいだ5−8時間街という過酷なスケジュール。計48時間くらいかかったんじゃなかろうか?まあ40時間くらいか?
でも思ったのは乗り継ぎあった方が直行16時間とかより体は楽。
8時間8時間くらいで割った方がいいな。
最後の方はカードメンバーなのでもらえるUAのラウンジとかを利用して(今までわざわざ行くのが面倒だからいったことなかった)爆睡しました。
さすがに40時間も体が横たえられないときつい。
......なんて、甘えたこといっているんだなあ、と思った今回の旅。
最初から中流以上のお嬢さん達といた今回の旅。そのうち物乞いの子供の虫の仕方も覚えたけど、子供は見ている。私のよけ方が同情的なことを読み取って、アグラのバス停ではかなり長いこと来られた。逃げるようにしてバスに乗り込む。
何か買ってあげれば良かったんじゃないかと思いながら、買えばまたこの子は物乞いをするんだろうと。
それもつらかったけど、今回知ったのは多くの自転車リキシャのおじちゃん達のこと。自転車の骨組みくらいにやせたおじちゃん達は、夜になると、着の身着のままでお客さんの座る荷台に体をおいて、手足や頭を宙に浮かせたまま眠る。
モスミにこの人たちは、仮眠をとっているの?それともこれで夜を過ごすの?と聞いたら、このまま朝まで寝て朝からまた働くと。
うちはないのか?と聞くと、多分どこかの村にうちがあるんだろうけど出稼ぎにでてきているんだと思う。だからこうして毎日寝て、朝になると起きて働くんだと。
............
言葉がでない。
三輪車の上で寝起きをして、朝になればまた炎天下の中を車がフルスピードではしる中自転車をこいでいくばくかのお金をえてまたよる眠る。
リキシャのおじさん達は、今でもビートルナッツを口に入れて赤いつばを吐きながら自転車をこぐ。暑い中食欲がわかないけど、ビートルナッツのせいでハイになって、ずっと自転車をこいでいられるからだ。
私はおじさん達があんまりにも気の毒で、オートリキシャしか使わない。よっぽどのことがない限り。だから私はいいお客ではないのだけど。
一回バラナシで使った。カントメントにいったら何かこぎれいなお店でもあるかといってみても何も無くて、しょうがなくてバーガーキングでセットメニュー(しかもインド料理)を頼んで戻ってきた。片道150ルピーといってたのに、往復したら500ルピーにねあがってた。
すごいボラレているのはわかったけど、シバ祭りでいろんな道が塞がってて、おじさんがんばってたから、せめて400にしてと思ったけど、まあチップも入れて450にしといた。
私の払った価格はおじさんのいつもの一日の上がりなんじゃないかと思う。
でもいいかと。
せめて少しでもいいことあったら、と。あたしにとれば、9ドルか7ドルかの違いくらいしかない。でもおじさんにはおおきなちがいなんだもの。
おじさん達はすごくまじめに、お酒を飲む訳でもなくひたすら自転車をこいでいる。こんな人生で何が楽しいんだろうと思ってしまわないのかしら。
いきているのがつらくならないのかしら?
と心配してしまう。
きっと私は貧しいインド人だったらとっくに死んでいるだろうな。
こんな生活を続けるのはいやだと。
貧しいインド人は橋の下とか道とかにいて、目が合うと物乞いの仕草をする。胸が苦しくなってくる。だけど私は何もしない。何もあげない。なにもあげれない。
あげた方がいいのか、何も変わらないけど、死にそうな赤ちゃんはもしかしたら少しは持ち直すのかもしれないとか思うけど、でもやっぱりだいだいなにもあげない。
何がいいのかはわからない。
そういう気持ちになって帰ってきた。
コメント