摂氏3度だからそんなに寒くないはずなのに。

昨日は、ひっさびさにチャイナタウンのタイチー集まりに行った。
行ったら、みんなあれ~?見たいな顔をして、FBでお友達になっている画家のおじいさんには、
「君にはもう二度と会えないのかとおもってたよ!いろんなところに行っちゃって!」
といわれた。
いやいや、NYにいますよ。旅行に行っているだけで・・・。

考えてみれば、こないだのペルーも、その前のドミニカから3ヶ月くらいしか離れていないので、いまだに3ヶ月にいっぺん海外旅行ライフを続けているのか・・・。と改めておもった。

いや、自分では自覚がないんだよね。

そして久々のタイチ。

・・・・・・・わすれとる。
最初の24すらさえも・・・。

でも最後のほうになって思い出してすらすらできるようになった。
そして昨日は新しい少林タイチを教えてもらったのだ。
なかなか優雅ですてき。
しかもわたし最近動いてないから、筋肉が落ちてひざや腰が柔らかいので面白くて何度もしていたら、やっぱり今日になってひざとか腰が痛い。

でも余計なテンションはずいぶん取れたとおもう。
働かないってすごいなあ。
精神的には結構つらいけど、つらいのは、いろんなことに直面(内部のね)するからなんだなあ、とおもった。

だからみんな仕事なくなると落ち込むっていうのか。
俺なんか自分の問題に直面しつつ働いてたから、(最後のほうは仕事の苦痛をやわらげるためにミーティングに通ってたけど) そんなでもないのかな。

なんておもってたら、土曜日のアラノンパパのカールと話してて、私、両親のこともう個人としては許していたって言うか、お互い様だよね、的な心持になってたんだけど、やっぱり親という役割としてはすごい怒っているんだってことがわかった。
あと父にも。

だから子供を作れないし、作りたいという人といても、あんたのせいで作らないみたいなことを結構平気でいってたんだな、とおもう。

ひどいね。

ごめんな、元彼氏たち。

でもあんたのせいもあったけど、自分がやっぱりちゃんと育てられてないから、相手の問題もあるなかで、子供を育てることはできないとおもった。
Aのときは一緒にいっしょにいたかったから、子供を作らないんなら私は一緒にいたいけど、ACOAを新たに作りたくないから子供は作れない、といって関係ははっきりと終わった。
Aはわたしという個人より、自分の子供とそれを育ててくれる人がほしかったから。

なんて、ここでも書き尽くしたようなことを書いていたんだけど、カールはソーシャルワーカーなので、話を聞いてくれて、なんとなく自分の中でつじつまがあってきた。
カールの一番若い娘さんは、独身だけど女の子をアダプトしていて、しきりに
「子供をアダプトする気はないか」
と聞いてくるんだけど、シングルマザーだったら子供のそばにいてやれないし、自分が罪悪感に苦しむし、何かその子供が正しくない方向に行ったときに、またひどく自分を責めるんだとおもうと、考えるだけでもうなんか疲れちゃって無理だわ。

でもアメリカには、生んだ親が子供を育てられなかったり、虐待があったり、薬物中毒があったりで、子供の親権が政府のもとにあって、そのために扶養者のいない子供がたくさんいる。
それはよくわかっているんだけど。

まあね、もう少し年寄りになってから考えようかな。
孤児院とかで働くっていうのは考えてるんだよね、と話したんだけどね。


でもなんか、タイチといいカタックといい、アラノンといい私には仕事や家族なんかとは違ったすてきなつながりがあるんだよなあ。そしてそれはNYにあるんだよなあ、とおもう。

まあハワイは先でもいけるんだけどね。

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