書いていた日記を消してしまった。
相変わらずたいしたことではなかったのだけど。
夕方に雪になったことと、
ジンシンxチェンジをジョリンとしたことと
ミディエーターがマジ聞いたこと
くらいしかたいしたことはないのだけど。
お料理関係は、黒豆入りに豆乳を作ったことと、
おとといにカリフラワーブロッコリー(っていうの?)でサブジを作ったことと、
塩麹につけといた鮭を焼いてみたらすごいしょっぱくなって塩鮭状態になってたので白いご飯に混ぜて酒ご飯にしたらマジうまかったことを除いて特記することはなく・・・。
んも~どうしようかな~旅行~
インドはやめたって昨日書いたけど、インド人とチャットしてたら人恋しさがあふれ出てきてしまって、でも最近読んでいる
Diamond Cutter
の本で、過去のinprint(刷り込みですね)から自由になることが、まあ、それぞれの人生の上での課題なのだ的な話を思い出して、インド人は、死んだパパに性格が異常に似ているので、どうしても振り切れない自分のinprintがあることを感じた。
そこから自由になること。
過去の刷り込みから自分が自由になること。
ACの課題と一緒じゃないか。
最近はプログラムと仁神術とか、瞑想とか、チベット仏教とか仏教とかの重なりを感じざるを得ない。
こないだの家族の夢の中の父の描写にかんしてなんとなく何度も考えている。
つまり、父は自分の世話は家族に任せて自分自身を捨ててしまったのだ。
ACのような人間には、自分の責任をとりたがらない人がものすごく多い。子供のときに自分の世話をしてくれなかった親を求めて、配偶者や子供を作る。精神的肉体的に頼り続け、うまくいかないと相手のせいだとおもう。
問題は大人になった自分の世話を他人がしてくれないことにではなく、大人である自分自身の世話を他人に任せたり頼ったりすることを期待するのがもんだいなのだけど。ACやきょういぞんやその他の人格障害者にはそれは見えない。
自分のWell beingを母や私たちに任せてしまった父は、自分が年老いて死にそうになっているにもかかわらず、それを省みず、心理的な痛みも自分で見ようとはせず、お酒を飲むことで痛みを忘れるという生きかたを選択してしまった。
他人の人生を抱えることはできないのだ。
たとえそれをしたくても。
相手のせいだとおもうのは、私だって同じだ。
そうおもう相手がいるたびに、私は自分の依存度を目の前に突きつけられる。
インド人が馬鹿だとか、母は人格障害だとか、書くたびに私は彼らへの自分の依存度をさらけ出す。
今は見たくないとおもって書いているけれど、私はこの日記を残しているので、少なくとも数年後に振り返ってみたときに自分のおもったことはここに残っている。
残っているだけではなく、これを読んでいる人にも丸見えだ。
私の自己分析なり、だらだら愚痴なりを読んで、読んでいる人が自分もそうだな、とか共感して自分自身の心理や行動を省みたりしてもらえたら御の字ですが。
ところでこないだはインドから、昨日は日本から、翻訳の仕事せんかい、サンプル送ってやるからやれや的なメールが来るんだけど、なんか信用できないなあ・・・・。
うーん。
・・・・・・しょうがない。メキシコにでも行くかなあ。
相変わらずたいしたことではなかったのだけど。
夕方に雪になったことと、
ジンシンxチェンジをジョリンとしたことと
ミディエーターがマジ聞いたこと
くらいしかたいしたことはないのだけど。
お料理関係は、黒豆入りに豆乳を作ったことと、
おとといにカリフラワーブロッコリー(っていうの?)でサブジを作ったことと、
塩麹につけといた鮭を焼いてみたらすごいしょっぱくなって塩鮭状態になってたので白いご飯に混ぜて酒ご飯にしたらマジうまかったことを除いて特記することはなく・・・。
んも~どうしようかな~旅行~
インドはやめたって昨日書いたけど、インド人とチャットしてたら人恋しさがあふれ出てきてしまって、でも最近読んでいる
Diamond Cutter
の本で、過去のinprint(刷り込みですね)から自由になることが、まあ、それぞれの人生の上での課題なのだ的な話を思い出して、インド人は、死んだパパに性格が異常に似ているので、どうしても振り切れない自分のinprintがあることを感じた。
そこから自由になること。
過去の刷り込みから自分が自由になること。
ACの課題と一緒じゃないか。
最近はプログラムと仁神術とか、瞑想とか、チベット仏教とか仏教とかの重なりを感じざるを得ない。
こないだの家族の夢の中の父の描写にかんしてなんとなく何度も考えている。
つまり、父は自分の世話は家族に任せて自分自身を捨ててしまったのだ。
ACのような人間には、自分の責任をとりたがらない人がものすごく多い。子供のときに自分の世話をしてくれなかった親を求めて、配偶者や子供を作る。精神的肉体的に頼り続け、うまくいかないと相手のせいだとおもう。
問題は大人になった自分の世話を他人がしてくれないことにではなく、大人である自分自身の世話を他人に任せたり頼ったりすることを期待するのがもんだいなのだけど。ACやきょういぞんやその他の人格障害者にはそれは見えない。
自分のWell beingを母や私たちに任せてしまった父は、自分が年老いて死にそうになっているにもかかわらず、それを省みず、心理的な痛みも自分で見ようとはせず、お酒を飲むことで痛みを忘れるという生きかたを選択してしまった。
他人の人生を抱えることはできないのだ。
たとえそれをしたくても。
相手のせいだとおもうのは、私だって同じだ。
そうおもう相手がいるたびに、私は自分の依存度を目の前に突きつけられる。
インド人が馬鹿だとか、母は人格障害だとか、書くたびに私は彼らへの自分の依存度をさらけ出す。
今は見たくないとおもって書いているけれど、私はこの日記を残しているので、少なくとも数年後に振り返ってみたときに自分のおもったことはここに残っている。
残っているだけではなく、これを読んでいる人にも丸見えだ。
私の自己分析なり、だらだら愚痴なりを読んで、読んでいる人が自分もそうだな、とか共感して自分自身の心理や行動を省みたりしてもらえたら御の字ですが。
ところでこないだはインドから、昨日は日本から、翻訳の仕事せんかい、サンプル送ってやるからやれや的なメールが来るんだけど、なんか信用できないなあ・・・・。
うーん。
・・・・・・しょうがない。メキシコにでも行くかなあ。
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