あけましておめでとうございます。
14時間差の私は今起きてお汁粉のあんこだけをすすっている。
(お餅がまだ堅いから)


いや〜なんかすごい付き物落ちた感がいがめない。

昨日は夜の9時半から始まる仏教系の...メディテーションのクラスって言えばいいかな? にいって来た。

そこはチベット仏教をもとにしているけど、俺たちは政治的にはノンポリだから!というところだった。

なかなかきれいで、新しくヨガスタジオと行っても信じちゃうよ?見たいなばしょ。
でも瞑想ルームにはでかいきんきらきんの仏像群ができてた。なんつの?中国とかタイとかにありそうな仏教テーマパークかな?見たいな仏像/観音群。
(写真アップしました)

あそー、とか思いながら、瞑想が始まる前に歓談の時間があり、その間にクオーター日本人、ハーフフィリピン人、クオーターメキシコ人の(ややこしい)メキシカンフィリピーノアメリカンの女の子と話してた。彼女はちっこくて若くてかわいかった。


思い起こしてみれば、会社でもそうだったけど、ちっこくて若い女の子に私はすかれがちなのかな、とおもった。何だろう、でっかくて安心感があるのかしら?

火曜日のクラスがおすすめよ、ヘーそうか、教えが気に入れば来たいけどなと思いつつも、瞑想が始まり、白人の男の人のお説教が始まってところどころ
「....へ?」

というところがあったのだけど、まあ年越しを瞑想しながら迎えるというのはいつもしたかったことなので、目をつむる。
そして、きんきらきんのちっこい観音さんをかってきた。

お店の人によると、その観音さんは慈悲のシンボルらしい。
ちょうど瞑想のとき、来年のほうふは
「自分に限りなく慈悲深くなる」
だったので、なかなかよかった。

他人に慈悲深く、同情的になるのは簡単だけど、ついてくるのはどこか上から目線。でも自分に同情的になるのはなかなか難しいこと。

俺は精一杯やっている、よくがんばった!のこえよりも、
何やってきたんだ、何かどうしようもなかったんか他には?

という自責の声のボリュームと頻度の方がうんと多い。
それをへらすように。そうすれば、他人にもその言葉をぶつける頻度は(直にでなくても心の中でも)へってくる。

何よりも自分が生きやすくなってくる。これが大切だ。
そういう意味ではとても良い効果がありました。


ところでお汁粉にステビアを入れすぎたせいでなんか苦いな。


笑えたのは、アラノンの知人達が数人来てたこと。


ただ、新年を瞑想で迎えたいというのは同じ考えだったらしく。
冴えないおじさん郡でえーむさー、と思ったけど、新年の挨拶などを交わす。

そうだよな、冴えないからって、切り捨てちゃ行けない。
同じような考えをもっていたってことだものね。

うむ。

まっそんな感じで浅いのか深いのかわからない、廻る虫より新年のご挨拶でございました。

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