静かなクリスマス

2012年12月26日 日常
ていうか実感ないけど。

何もしてないです。
自宅で五時に夢中の志摩子さんを見ながら、ジンシン術してたら寝ちゃった。
その後掃除をして、伽羅香焚いてます。

クリスマスのクの字もねえんか。
ちなみにNYは25日はお店も銀行もお休みですので、日本の正月みたいなもんです。
その代わりに、元旦はお店開いていると思う。




今年はホント後半が仕事のことに悩まされた年だった。
おかげでまさに矢のように日々が過ぎてった。

夏に日本に行くか、夜働くか(あるいは解雇)を迫られて、あわてて日本に行くも、その後すぐにインド舞踊のショウだったし、その月の最後には夜間勤務を命じられて、NOといってハリケーンサンディ到着。
おかげで一ヶ月自宅勤務の後にドミニカに旅行。
旅行前にHRと話せて12月いっぱいってことに
旅行後にAの前立腺がんがはっきりして、自宅勤務からつかのかのオフィス勤務。
風邪でぜろぜろ気管支炎になったも、胸が痛いといったら心電図で引っかかり、24時間脈拍測るのつけたまま最後のオフィス勤務日に。

あ、なんか引っ張ってたけど、

じつは金曜日、この日記を書いて、HRと話して、さあ皆さんにさよならメールを送ろうかね、としているところで一気にパソコの電源が切れる。
ていうか、オフィスの建物中の電源が落ちる。
(昼間の三時)

結局そのまま緊急避難して、エレベーターで降りたら、4階それぞれ散らばっている同僚たちがビルの入り口にそれぞれたむろしていたので、さよならをいいたい人だけに、
「今日が最後なんだ。いろいろありがとう」
などといってハグハグ。
いっぱいハグができてさよならがいえて、よかった。


って言う幕引きだったの。


ねードラマチックでしょ?

なんかびくびくしていたあほチン粉の上司にはさよならも言わず無視して出てった。

もうウンコどものことなんか気にしないわ。

翌日はインド舞踊のクラスの皆さんにタイ料理やでお誕生日おめでとうのご飯をおごってもらい、その翌日はAにノブにつれてってもらった。

そしてその翌日に、Aはやっぱり手術が必要だってことに。


.....。


きのうはミーティングに行って、帰ってきてから昔のアラ友(でももうすぐ70歳)にお話を聞いてもらいながら、というより厳密に言うと、話を聞きながら大泣きに泣いた。


プログラムというのは、どんなときも、つらいときに私の支えになってくれる。



Aの手術が成功して、なんてことはないさ、と笑って来年も過ごせるように。


神様。

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