http://d.hatena.ne.jp/yukonakamura108/20110428/1304009847

こちらに載っています。

ぜひ転載してください。

http://d.hatena.ne.jp/yukonakamura108/20110412/1302585992

こちらがお手紙プロジェクトが発生したきっかけになった訪問の様子

【今回の調査の経緯】

塩釜市で泥のかき出しのボランティアをしている時に、ある先生と出会いました。気仙沼の障害児学校の音楽の先生でした。志津川に住み、家は倒壊を免れたもののライフラインが寸断して暮らせないので、避難所暮らしをされていました。自らも被災されているなか、ハンディキャップある子供たちがどこに避難しているか、少ない燃料と格闘しながら街をめぐっていました。先生に同行させてもらいました。

 2日目は単独行動で、志津川の避難所を山登りながら周りました。被災者にお話を聞くと、3週間服も下着も替えていらっしゃらないお婆さんがいます。本当は毛糸の帽子を変えたいのに、3週間同じままだと涙を流されるお婆さんがいます。物資係に話すと、数が揃わないから渡せないという。結局説得して、変えてもらいました。山積みになっている物資ダンボールから、少しでも明るい色をとピンクを選んで持っていくと、おばあさん達に大人気でした。一人ひとり少しずつ違うニーズをゆっくり聞き出し、それをダンボールの森から探し出して届けるという活動を行っていました。方言が100%分からず、悔しかった。あまりに壮絶な体験をされていらっしゃいます。生半可な気持ちでは向き合えません。私は普段TVのドキュメンタリーを作っている人間ですが、カメラを向ける気には到底なれませんでした。手を握って、一緒に涙することしかできませんでした。

とにかく話を聞いてあげる人、それも女性が求められていると言われました。人の声や気持ちを必要としていると痛感しました。私自身も長期で活動が出来ればいいですが、今はいくつかのNGOと協力したり、独自に企業に大口支援を要請して、物資を送っています。また被災者の方はもうニュースは原発ばかりで、私達は見捨てられているのではないかと思っていらっしゃいます。情報もなく世の中から隔絶する恐怖です。

東京で私も何か出来ないかという声を多く聞くので、このマンパワーを形にしたいと、お手紙プロジェクトをはじめました。一人ひとりに届くように、小さな紙に書いて送ってもらい、集まったら私が届けにいきます。

出会った方々とは毎日のように電話で話をしています。手紙、嬉しいと思いますと仰ってくださいました。

                    
                    


http://d.hatena.ne.jp/yukonakamura108/20110426/1303797048


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