http://www.iff.co.jp/saito/archives/2011/04/32_1.html

《業績中心社会における主婦の座》

女性のアルコール消費の伸びを支えているのは、主として二十代、三十代の若い世代であり、この年齢層についてだけみれば、既に飲酒人口の男女比は一対一に近づいている。彼女たちはもっぱら職場で飲酒習慣を身につけ、やがて主婦となって行くわけである。

ところで職場というものは元来、生産性(業績)が唯一の価値基準であるような、ある意味で単純素朴な世界であり、そこでは微妙な人間的配慮が不当に低く評価されてしまうものである。
そしてこの分野は伝統的な性の役割分担から言うと男性の担当ということになっていたため、男に都合のよいような価値の体系が張りめぐらされてしまっている。

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現代の若い女性たちのほとんどすべては否応なく、いったんこうした職場の生活に入り、その中で自分の性に失望するという体験を持つことになる。
伝統的な社会では、"男一匹"を気取る男たちの社会と一対になった、女たちの価値基準の体系があって、そこに"妻"や"母"の役割が用意されていた。つまり、男は男なりに、女は女なりに自分らしく生きる道が用意されていたのであるが、こうした区分が(たてまえ上)否定され、男の価値基準に一本化されてしまった現在の社会では、女性は必ずいったん自分の性に落胆せざるを得ないのである。

業績中心の社会に見切りをつけて「どうせ私は女よ」と言える人はともかく、なまじこれに適応して社会的業績に関心を持ちだすようになると、主婦役割との折り合いが悪くなる。
というのも、中途はんばに性区分が否定されている我々の社会の中で、主婦の役割は、かつての堂々たる権威を失ったまま、無能な女のたまり場のように思われ始めているからである。

こうして、現在ではかなりの割合の主婦が自分の社会的自己実現を結婚(つまり夫の出現)によってはばまれたと感じており、夫に対して漠然とした被害者意識と攻撃感情を抱くにいたっている。
とはいえこれらの感情はほとんどの場合素直な表現を抑えられており、本人自身にも気づかれていない。なぜなら彼女たちにとって既に結婚そのものが社会的業績なのであり、だからこそ職場での成功を断念したのであり、今更これを捨てるわけにもいかないからである。

そのかわり、女性たちは主婦としても"業績"の追求に熱心になる。
業績はいつも他者から評価されていなければならない。さしあたって子供たちが、業績追求の道具とされやすく、これを周囲の評価に耐え得るようにしょうとするところから"教育ママ"的態度が生じ、道具として用いられた子供たちの反乱が登校拒否や家庭内暴力の形で表現されることになる。

一方、主婦としての業績追求の対象も見あたらず、夫への否定的感情を持て余している人々は、そうした感情を抑えこんでいるうちに喜怒哀楽の表出ができなくなり、無感動と空虚感の中に閉じこめられる。
そして時に、抑圧された夫への憎悪は鋭い不安感や抑うつ感として突出したり、身体的症状に転換して表現されたり、対象を変えて爆発したりして当人や周囲を混乱させるものである。

最近、自分の子供を必要以上に折檻して、くり返し怪我を負わせてしまう母親が増えてきており、こうした幼児虐待への対処が精神科医の関心を惹きつつある。

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