ええ言葉や。
さて。
日記にもあるようにクラッターズ・アノニマスにいってきました。
そこですばらしいパンフレットをもらったんです。
題名は 「resentmentを手放す」
resentment 【名】
怒り、敵意{てきい}、恨み、憤慨{ふんがい}、憤り
ここではクラッター(不要なもの)はたまったもんだから、「恨み」とほんやくします。
つまり
「恨みを手放す」
不用品が私達の現実的なスペースを場所を占有するように、うらみも私達の心を消耗します。
私達は不用品を手放せないのと同じように、過去に私達に行われた過ちを許すことができないのです。
恨みは癒える事なく長く悪化した、凍りついた感情的な傷と失望です。
恨みは私達を過去に縛り付け、繰り返し憤りの感情を引き起こします。恨みは過去の不正を集め、いつまでもしまいこむことで、自分自身の外側から過去の出来事を客観的に眺める事も自分に対して同情的になる事も阻みます。
私達が恨みを抱く過去の出来事も、人物も、私達をコントロールし続け、私達の愛する能力--- 自分を愛する事も含めた能力---に限界をつくりだします。たとえ私達が恨みを抱く人物が、いかなる愛をも受け取る資格がないと私達が信じていても、私たち自身は愛を得る資格あるのです。
恨みを抱き続けることに、私たち自身がどれほどの犠牲を払っているか一度理解をすれば、癒しの過程がどんなに困難なものであっても、人々はそれを超えていこうとするでしょう。
*****
冒頭の一節です。
誰かに怒りをもち続けたりうらんだりしていることが私のエネルギーの無駄遣いになるということを感じ始めたのは2-3年前だと思います。
回復への道を歩み始めた最初の頃は、ものすごい怒りと悲しみの量に圧倒され、一日中何もできずに泣いたり眠ったり、また怒りが噴出したときは眠っている最中に怒鳴っていたり、大変でした。
もちろん最初の最初は実家で家族と住んでいたときだったので、泣いたりするのはミーティングの後や友達といるときでした。
グループの人から電話番号をもらっても、何を話していいのかもわからず、一度電話したことがあってもどうして言いかわからないので相手がどうしているのか聞いたりしてましたね~。
ああ思い出した。そういや最近会ったビギナーの人もそうしてたなあ。ビギナーなのに、長くいる人の問題を聞いたりして・・・。ビギナーは自分の要求をまっすぐ他人に伝えられるほど他人を信頼していないから、貸借関係をまず持とうとします。まず、貸しを作ってから出ないと、自分の欲求を表現できないのです。共依存の関係に首までどっぷり使っている人ほどその傾向があります。
あと、アラノンの県外の集会に行くのに高速バスの乗り場まで送りに来てくれた友達と別れるのが寂しくて、というのと送りにきてくれたのもうれしくて、ものすごい泣いたりしてた。
感情がほとばしるというの助走だったような。
あのときに彼女がいてくれなかったら、毒を含めない愛情を与えてくれるような彼女がいてくれなかったら私の回復は遅れていたかもしれない。
とにかく
あ、そうそう、時間がかかったという理由は、上記のように感情的にかなり大揺れに揺れていたし、それまでの怒りの感情で突き進んでいた頃というのは、ものすごいエネルギーがあったからそんな怒りで抑えられた自分のエネルギーなんて向ける目もなかった。
それに別居とかあったからな。
そういうごたごたがすんで、父も死んで、いろんなことがどうにもならないのにいつまでも執着してしまう自分ということが感じられるようになってから。
もともと欝っぽいのにあまりのエネルギーのなさに呆然としてしまうくらい。
まっそれからですね。
あの人たちを許していかないと、あの人たちが全員死んでしまったっていつまでも私の人生の邪魔になることがわかってきました。
これもパパが身をもって教えてくれたことだな。
日本時間の今日はパパの誕生日になりました。
あくまでもあなたの心と身体はあなたのもの。大切にしましょう。夫の身体と心は、あなたにとって心地良いときだけ大切にしましょう。斎藤学「斎藤学ネットグループカウンセリング」より
さて。
日記にもあるようにクラッターズ・アノニマスにいってきました。
そこですばらしいパンフレットをもらったんです。
題名は 「resentmentを手放す」
resentment 【名】
怒り、敵意{てきい}、恨み、憤慨{ふんがい}、憤り
ここではクラッター(不要なもの)はたまったもんだから、「恨み」とほんやくします。
つまり
「恨みを手放す」
不用品が私達の現実的なスペースを場所を占有するように、うらみも私達の心を消耗します。
私達は不用品を手放せないのと同じように、過去に私達に行われた過ちを許すことができないのです。
恨みは癒える事なく長く悪化した、凍りついた感情的な傷と失望です。
恨みは私達を過去に縛り付け、繰り返し憤りの感情を引き起こします。恨みは過去の不正を集め、いつまでもしまいこむことで、自分自身の外側から過去の出来事を客観的に眺める事も自分に対して同情的になる事も阻みます。
私達が恨みを抱く過去の出来事も、人物も、私達をコントロールし続け、私達の愛する能力--- 自分を愛する事も含めた能力---に限界をつくりだします。たとえ私達が恨みを抱く人物が、いかなる愛をも受け取る資格がないと私達が信じていても、私たち自身は愛を得る資格あるのです。
恨みを抱き続けることに、私たち自身がどれほどの犠牲を払っているか一度理解をすれば、癒しの過程がどんなに困難なものであっても、人々はそれを超えていこうとするでしょう。
*****
冒頭の一節です。
誰かに怒りをもち続けたりうらんだりしていることが私のエネルギーの無駄遣いになるということを感じ始めたのは2-3年前だと思います。
回復への道を歩み始めた最初の頃は、ものすごい怒りと悲しみの量に圧倒され、一日中何もできずに泣いたり眠ったり、また怒りが噴出したときは眠っている最中に怒鳴っていたり、大変でした。
もちろん最初の最初は実家で家族と住んでいたときだったので、泣いたりするのはミーティングの後や友達といるときでした。
グループの人から電話番号をもらっても、何を話していいのかもわからず、一度電話したことがあってもどうして言いかわからないので相手がどうしているのか聞いたりしてましたね~。
ああ思い出した。そういや最近会ったビギナーの人もそうしてたなあ。ビギナーなのに、長くいる人の問題を聞いたりして・・・。ビギナーは自分の要求をまっすぐ他人に伝えられるほど他人を信頼していないから、貸借関係をまず持とうとします。まず、貸しを作ってから出ないと、自分の欲求を表現できないのです。共依存の関係に首までどっぷり使っている人ほどその傾向があります。
あと、アラノンの県外の集会に行くのに高速バスの乗り場まで送りに来てくれた友達と別れるのが寂しくて、というのと送りにきてくれたのもうれしくて、ものすごい泣いたりしてた。
感情がほとばしるというの助走だったような。
あのときに彼女がいてくれなかったら、毒を含めない愛情を与えてくれるような彼女がいてくれなかったら私の回復は遅れていたかもしれない。
とにかく
あ、そうそう、時間がかかったという理由は、上記のように感情的にかなり大揺れに揺れていたし、それまでの怒りの感情で突き進んでいた頃というのは、ものすごいエネルギーがあったからそんな怒りで抑えられた自分のエネルギーなんて向ける目もなかった。
それに別居とかあったからな。
そういうごたごたがすんで、父も死んで、いろんなことがどうにもならないのにいつまでも執着してしまう自分ということが感じられるようになってから。
もともと欝っぽいのにあまりのエネルギーのなさに呆然としてしまうくらい。
まっそれからですね。
あの人たちを許していかないと、あの人たちが全員死んでしまったっていつまでも私の人生の邪魔になることがわかってきました。
これもパパが身をもって教えてくれたことだな。
日本時間の今日はパパの誕生日になりました。
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