7月14日の日記

2010年7月14日 日常
社会が依存症になったとき

直訳ですが。
Anne Wilson Schaefの本なんだけど、(彼女の本は10冊くらいしばらく前に買い込んでた・・・こんなときにはやっぱりアマゾン)最近のヒット。

依存症のシステムがわかりやすく書かれている。

俺って依存症だったんだな~。
依存症とされていた父や歴代彼氏などがそうだったから、自分のことは棚に上げてたけど。

結構きつい。

依存している対象物に対してアクトアウト(日本語で言うと・・・・なんだ?まあ、依存している対象物に依存する行為をすること・・・ね)をしていたほうが楽。

でもつづけられなくなっちゃうわけよ。
あるとき。

いつもそうだよなあ。
そこが私の健康なところなんだけど。
気づいている、というか、意思ではなく。

意志は続けたいのよ。
続けたいんだけどもう続けられなくなってしまう。

そこで降伏するしかないのね。

ここで降伏できることを感謝しなくちゃいけない。私の内部の何かに。神様、かも知れないけど。

でもさ~、なんかやっぱり依存症者は依存症を守りたいわけ。否認もそのために必要なわけ。
否認していれば、依存的行為は続けることができるから。

私が続けられないことは、依存症者である私も相手もベネフィットを得ることができるのです。
そして、連絡を取らないことが唯一の愛情の証なのですね。

こういう愛情もあるんだ。

互いを幸福にしない感情は、というか、情は、コミュニケーションを絶つということが最善の愛情の証なわけで。


私は相手を愛していなかったけど、相手に中毒して依存していただけだけど、いまとなっては。
病気は私を支配するけど小さな声が、回復という名の小さな声が、自分の病気を目の当たりにしながら、
「これも回復のおかげだよ」という。

私がこの12年、セラピーを含めて回復に向かったおかげで、自分の関係依存が明らかになってきて、その症状のど真ん中にいながらも、ちらつく絶望の中でさえも、回復に自分が向かっていることを信じることができるのは、本当に今まで自分がよくなりたい一心でワークしてきたからだ。

否認を覆すのはつらい。

でも、そうしなければ、回復は望めない。


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