7月1日の日記

2010年7月1日 日常
よわよわしいのはこころがよわよわしているからか。

なんか、昨日クラウンハイツに大失敗!なコンドを見に行く途中で、おばあちゃんかお母さんらしき人とその孫/子供をみかけた。地下鉄で。
そのおばあちゃんかお母さんらしき人はたぶん、元ドラッグかなんかやってたんだろうなあ、(かいまもやっているのかもしれないが)という外見。でも、元気な子供の呼びかけに飽きることなくずーっと相手をしていた。

それを聞きながら私はitouchでsolitudeをしていたのだけど、途中突然泣けてきてしまった。

もしかしたら私が子供を持つとしたら、私の親が私に与えてくれたものより少ないものしか与えられないのかもしれないとおもった。

私が2歳で祖父母のいるうえに移ったときからたぶん、まあ、その前からも多分、母は私にとって必要なときに甘えられる人ではなかったんだと思う。それが、私が幼稚園の年長になったときに、姉1が骨折、まもなく姉2がヒステリーで(当時は原因不明の重病ということだった)歩けなくなった。

しょっちゅう姉1のため姉2のため病院通いをしている母は、近所の人に私を預けたまま、引取りに来なかった事もしばしばあった。
ただ単に、忙しくて忘れてたんだと思う。 一人でうちに帰る坂道を上がっていくとき、自分が忘れられているっていることをかみ締めながら歩いていた記憶がある。

はらも立ったけど、そんなことをいえるような環境じゃなかった。
でも少なくとも、私の情緒は「母に腹を立てている」そして「母はとても疲れていて忙しいから寂しいと稼動して迎えに来てくれないのとかそういことを言っちゃいけない」という感覚を持つくらい、境界ははっきりしてたんだ。
そこまでの精神的な自立は培ってもらってた。
それはすごいことだと思う。

ふむ。

こないだ母が来たときに、
「XXちゃんは一番小さくていつまでも小さくていてほしいと思ってたのに、一番早く大きくなっちゃった」とうれしそうにセンチメンタルに言っているのを聞いて、怒りと同時に悲しみもわいてきた。そのときに、何もいえなかったのは、よかったのか悪かったのかわからない。

でも40歳の大人になった私は、大人の立場としてあんたのせいだとはもういえなくなったのだ。

いつの間にか大きくなったのはあなたが私を育てることを放棄したからだ。

いつの間にか大きくなったのは、あなたが私から早いうちに目を離してもっと年上の姉達の世話にあきくれていたからだ。

いつの間にか大きくなったのは、私には誰もいなかったから一人で大きくなるしかなかったからだ。

あなたや、家族とかけ離れた生活をしているのは、あなた達から必要なケアや補助や温かみを得られなかったからだ。

だからこそ、私はずっと独りでいるしか方法を知らない。

そのなかにはたくさん怒りが含まれている。

でもだからってどうすればいいのか。

私は2歳にも4歳にも戻れない。

今ある問題は私のものだ。
私が解決しなくてはならない。


お互いの心理的/感情的/肉体的な境界や持ち物や何かを取り合いするように依存しあっている母と姉を見ていると、うらやましささえ感じる。でもあの病気の中では生きていけなかった。

私の健康な部分は、病気の中で生きていけない強さを持ってしまった。

それだけじゃねえ。
何も解決しないんだけどさ。




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