恥の意識があるということはここに何かが隠れているということです。
2010年6月25日 日常はい。
昨日は久々に日本人セラピストさんとのセッション。
考えてみれば、ここ2週間してなかった。その代わりジュディスのところには二週間前に行ったけど。
いろいろ話してて思ったのは、彼女の与えてくれたものは自分との融合とゆうか仲良くなることをとても助けてくれた。
自分の限界とか、間違いとかそういうことを受け入れられるというか。
そういう意味ではAのことからの回復という大きなチャンスを彼女と通ってくることができてよかったと思う。
でも私は、間違っているか正しいかはわかんないけど、今まで間違っているとか、絶対にしないとか思ってたことをしたいと思っている。
それが自分にとっていいことか周りにとってもいいことか、結果なんかわかんないけど、絶対的に間違っていることではないと思っている。
ある程度のサポートも受けているし。
ただ、今までのセラピストさんはどうも彼女の価値観で私の状況を判断していると思う。それは善意であっても、彼女の価値観/善悪の判断はあくまで彼女のものであって私の人生とは関係ない。
でも彼女にはそれが見えないように思える。それが私とのセラピーのネックになっているし、私は十分なサポートを彼女からえられてないという感覚につながる。
善悪の判断なんて求めてはいないのだ。私へのサポートを求めているのだから。
それが彼女にできないのならば、私はできる人に向かっていくだけだ。
ということなのだ。
昨日は久々に日本人セラピストさんとのセッション。
考えてみれば、ここ2週間してなかった。その代わりジュディスのところには二週間前に行ったけど。
いろいろ話してて思ったのは、彼女の与えてくれたものは自分との融合とゆうか仲良くなることをとても助けてくれた。
自分の限界とか、間違いとかそういうことを受け入れられるというか。
そういう意味ではAのことからの回復という大きなチャンスを彼女と通ってくることができてよかったと思う。
でも私は、間違っているか正しいかはわかんないけど、今まで間違っているとか、絶対にしないとか思ってたことをしたいと思っている。
それが自分にとっていいことか周りにとってもいいことか、結果なんかわかんないけど、絶対的に間違っていることではないと思っている。
ある程度のサポートも受けているし。
ただ、今までのセラピストさんはどうも彼女の価値観で私の状況を判断していると思う。それは善意であっても、彼女の価値観/善悪の判断はあくまで彼女のものであって私の人生とは関係ない。
でも彼女にはそれが見えないように思える。それが私とのセラピーのネックになっているし、私は十分なサポートを彼女からえられてないという感覚につながる。
善悪の判断なんて求めてはいないのだ。私へのサポートを求めているのだから。
それが彼女にできないのならば、私はできる人に向かっていくだけだ。
ということなのだ。
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