ほほう。
実はこの間日本にいったとき、隣に座った女の子が教えてくれた。
シークレットってやつ。

読んでないけど時々気になる。

Aとあって、付き合いだしたとき、実は引き寄せたかなって思ってた。
望んでいるものがパーフェクトではないけど、来た、って感じた。

でも怖かった。
それを持ち続けるのはそれを望むのよりももっとエネルギーが要ることだった。

頼るものがなかった。
自分しか。

でも支えなくてはいけなかった。自分とその関係を。

もう4年も5年も前の話。
過去の話しだ。
もう前に行かなくちゃと思っているけど、いつの間にか今でも考える。

うれしかったんだすごく。
怖かったけど。
あのときのことがうれしかったんだ。

家族のことより自分のこと考えなきゃねって言ってくれた事とか。
うれしかったんだ。

お前はわがままだって言われ続けてたから。

わたしがやりたいことをすることは、あの人たちがわたしを利用することができなくなるから、
だから
それはわがままだっていわれてたからね。

もっとわがままになりなさいと言われて、うれしかったんだ。

そういうこととか。

前の日記を昨日偶然読んで、思ったのは
かわいそうだったな自分だった

私のためになることよりも、以下にわたしを利用するか、ということしか考えてなかった家族に育って、その家族をそのまま置いてきたことへの罪悪感に苦しんでたその頃の自分が、
かわいそうだな~っと思った。

そこは怒るところだろう、あの人たちが苦しんでいるのは自分たちで作り出したから。
それをわたしが負わなくてはいけないといわれ続けて。
それがわたしの責任だと思い続けてて。

わたしを支えてくれる人のいないところで育って、からがら逃げ出して、
一人になってやっと安全だと思えた。

わたしが寂しいとか孤独だとか、支えがなくてかなしいだとか、そんなことを感じることさえ自分に許せなかったわたしがそれを感じ出したらばらばらになるほどの感情が出てきて、自分でもどうしていいのかわからなかったときに、いてくれたひとがAだった。

Aはわたしの親。
ほしかったけどいなかった、親。
きっとあの人も私を子供のように見てて、だからこそ関係の均衡は保たれなかったし、保つような関係ではなかった。

すこしづつ思春期に移っていければいいのだけどな。

まあ、すこしづつね。




コメント