なんかセルフケアつうとメンタルケアって全体的なケアと言う感じがするが自分の世話と言うとなぜか洗濯板で洗濯物を洗っていると言う光景が思い浮かぶ。
これはいったいなんだ?

ランチタイムにあらノン行ってきて、泣いたのでおかげですっきり。
ほかのミーティングでも時々あってたアラ知人が隣に来てくれて手を握っててくれた。

手を差し伸べられてもその手をとることは難しく、今回始めて意識して、差し伸べてくれた手をとって、彼女のほほにキスをしてありがとうと言った。

差し伸べられた手は私に何かを与えるような振りをしていつも私に何かを求めていたと言う環境に育つと、差し伸べられた手のその意味を知るまでは受け取らなくなってしまった。

自己のコントロールと言う名前の壁の中から出られない。

roomの中の人々は見返りなしに与えることを学んでいる人たちだ。
見返りを求めていないのではない。分かち合うことを求めている。そして私と同じように、差し伸べられた手が、私のためではなく、差し伸べた本人が何かを私から奪おうとしていたあの似た環境で育ってきた人たち。回復の道を行く人は、自分たちがどこから来たかに目をそらさずに直視し、そしてそこから出て行くことを決めた人たちだ。

だから私はroomの中では安心ができるのだ。

コメント