肩こった。

2008年8月29日
ああ、明日の旅が不安。
何が不安かっていうと一人で何かをすることはあまり怖くないんだけど、人と交わるってことが怖い。

怖い人と育って交わってたからじゃねえかと突っ込むけど、まあねえ。別にアショカンの人は怖くないし、みんな結構ほっといてくれるし優しいおばさんとかもいっぱいいるからいい。

でもなんでだかちょっとひとりで寂しい気もする。

今日はマッサージを受けてから帰ろう。帰ったら洗濯しなくちゃ。

昨日の夜になんかすごく不安になってAに電話してみた。でなかったけど、メッセージ残してなんかいろいろすごく怖いんだみたいな事をいって、返事いらないから、って電話切ったのに、朝今電話機いたって言うメッセージが残ってて、旅行行くのはいいことだよ、と言ってた。

私と別れる間際にフランス一人で行ってて、去年の7月ごろ私のことを吹っ切ったころにまた行ってたので、相手もそういうプロセスをえているんだろうなと思う。
Aのことを考えるといろんなことにしり込みしてしまうけど、しり込みしてしまえる自分も好きになれたということでいいでないかと世の中に対して自分をオープンにしていかなくてはいけない!

と思う。

エジャーズと別れて一人でNYに来たときは、毎日が過ぎていくことが安らぎだったけどもちろん同時にとても辛かった。好きだった人との日々からどんどん遠ざかっていってしまうのだ。記憶は何度も何度も租借して、味わって、味わっていれば日々が過ぎるのではないかと、もしかしたらまた戻ってくるのではないかと、そんな考えに麻痺されたようになって今日という日をすごしている。

そんなのはもう、やめようよねとか自分に語りかけるのだけど、どうも年を取ったせいか臆病になっているのかもな。ホルモンの勢いに乗って行くことのむなしさとか、ていうかホルモンの勢いに乗れることへの憧れって言うか、なくしてしまった物への郷愁って言うか。

今度はバイオレートされる感じではなくやっぱり共生できる感じのしなやかな人がいいなとか。
鹿はそういう意味では近かったけど、メンタルと知性の問題で難しかったから、今度は知性メンタル面と肉体感覚面でのマッチが必要よねというとハードルは上がるけど、もうこうなったら計算づくではなんともならないんだから、次々と次に行くしかないじゃんか。

私が行くべきところに私は行くんだろうし、私が会うべき人に会うのである。不運にもマッチングがなかったとしてもそれはそれでそういうめぐり合わせで、別れがあったとしてもそれはそれでそういうめぐり合わせだった。

Aとのことはほんとのことを言うと終わる気がしていなくて、どうしてかわかんないけど、もしかしたら法律的に縁を切るまではそういう思いがしないだけなのかもしれないけど。

今のままの私でいいよという人が現れるまで、いや、あらわれてもしばらくはこのままで。

すべてはなるようになるのだから。

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