風邪引いてた。
2008年7月15日なんか土曜日の夜、ベッド上で窓から入ってくる夜風に当たってたらのどがいかれた。おかげで熱まで出て日曜日は寝ち曜日になった。(ごめん)
眠るのが娯楽というのは日本人だけらしい。
新人研修のためトレーニングに同僚が来ててそばにいるのでいつものように思いっきり日記がかけない。
その代わりに、さきにワードで書いてみた。
いや、土曜の朝にのど風邪を引き悪化して発熱。1日寝ていた日曜だった。
でもたぶん感情的にねつがったまっていたに違いない。
寝ておきてを繰り返しながら家事もすこしして、うちの中がすこし片付いた。洋服を一杯入れるには折りたたまずに重ねるといいということに気づいた。しわにもならないし、量もたくさんはいる。
日本に帰ったとき、何で私はこんなに服があるんだろうかと思ったけど、どうも機能性重視の姉2と基本的に感覚が違うらしい。私は好きな服を買う。TPOも考えるけど、そういう服はほつれたり合わなくなればさっさと捨てる。でもそうでない服というのがあって、素材や細工やデザインがかわいかったり気に入ってたりするのだ。持ってても着ない服もある。でもかわいいから取っておくのだ。捨てらんないよ。出会いだもの。
作品の話とかしてて、(姉はバロック音楽をしている)私とのアートに関する感じ方というか利用の仕方もまったく違うことに気づく。姉はスケールがきれいにできたということが気持ちよく、私は言いたいことがより効果的に言えるメディアを探して模索する。
同じ兄弟でもこんなに違うのかね。
姉は、私がその過去のほりさげをすることが私の幸福につながらず、もっと楽しいことや幸福の自己実現をしてはどうかということをいう。私がこういうことをしたのは、留学もして卒業もしてそれなりに優しい彼氏も持って、それなりに金も稼いだけど、どうも物足りない。幸せでない。優しい彼氏も長い目で付き合っていける相手ではない気がするけど別れることができない、先にいけない、というようなことがあった結果仕方なくはいっていった回復への道だったんだよ、と言う。つまり私は通り一遍の幸福というもんではなんだか不十分だったのかもしれない。
人生こんなもんだよ、と思うことをあきらめたくなかったんだと思う。その結果が父や母を責めることになってしまったかもしれないけど、それが目的ではなくて、他人の都合や感情ばかりを優先して自分の感情を忘れてしまっていた自分を取り戻さなくてはならなかったのだ。
んなんじゃなければしないっつうの。
でもおかげで、というか、はっきりしてきたのは、父が死んでからだけど、父は「父」というひとではなく、父の性格を持ったそういう人だったので、その中の、自分の好きな人に対してはとことんまで尽くしてしまって、尽くしすぎてしまって馬鹿にされて、腹立たしく思ってしまう、とかそういうのとか、ほんとうに強度の共依存的な性格を、それが本人を苦しめてしまったこととか、悲しいけど、でもそばにいる家族が、そんな父を守ってくれていたというか、そんな父の優しさをやさしさとして認めてくれていた義兄とか、本当に父に私にはできなかったことを一杯してくれてて、うれしく思うと同時に、自分ではできなかったことをやっぱり悲しく思ってやっぱりめそめそしてた。
でもなくとどうも具合がよくなるみたいで、月曜日の今日はのど飴をなめていれば大丈夫になった。
昨日のヒット食品は緑茶ハーゲンダッツ。
黄な粉をぶっ掛けてたべてたら、ハーフパイント一個全部食ってしまった。風邪を引くとのど越しが良くて、きもちのいいミルク系のものが食べたくなる。
ので豆乳とアイスクリームばっかり食べてた。黄な粉緑茶アイス・・・ロックだぜ!
眠るのが娯楽というのは日本人だけらしい。
新人研修のためトレーニングに同僚が来ててそばにいるのでいつものように思いっきり日記がかけない。
その代わりに、さきにワードで書いてみた。
いや、土曜の朝にのど風邪を引き悪化して発熱。1日寝ていた日曜だった。
でもたぶん感情的にねつがったまっていたに違いない。
寝ておきてを繰り返しながら家事もすこしして、うちの中がすこし片付いた。洋服を一杯入れるには折りたたまずに重ねるといいということに気づいた。しわにもならないし、量もたくさんはいる。
日本に帰ったとき、何で私はこんなに服があるんだろうかと思ったけど、どうも機能性重視の姉2と基本的に感覚が違うらしい。私は好きな服を買う。TPOも考えるけど、そういう服はほつれたり合わなくなればさっさと捨てる。でもそうでない服というのがあって、素材や細工やデザインがかわいかったり気に入ってたりするのだ。持ってても着ない服もある。でもかわいいから取っておくのだ。捨てらんないよ。出会いだもの。
作品の話とかしてて、(姉はバロック音楽をしている)私とのアートに関する感じ方というか利用の仕方もまったく違うことに気づく。姉はスケールがきれいにできたということが気持ちよく、私は言いたいことがより効果的に言えるメディアを探して模索する。
同じ兄弟でもこんなに違うのかね。
姉は、私がその過去のほりさげをすることが私の幸福につながらず、もっと楽しいことや幸福の自己実現をしてはどうかということをいう。私がこういうことをしたのは、留学もして卒業もしてそれなりに優しい彼氏も持って、それなりに金も稼いだけど、どうも物足りない。幸せでない。優しい彼氏も長い目で付き合っていける相手ではない気がするけど別れることができない、先にいけない、というようなことがあった結果仕方なくはいっていった回復への道だったんだよ、と言う。つまり私は通り一遍の幸福というもんではなんだか不十分だったのかもしれない。
人生こんなもんだよ、と思うことをあきらめたくなかったんだと思う。その結果が父や母を責めることになってしまったかもしれないけど、それが目的ではなくて、他人の都合や感情ばかりを優先して自分の感情を忘れてしまっていた自分を取り戻さなくてはならなかったのだ。
んなんじゃなければしないっつうの。
でもおかげで、というか、はっきりしてきたのは、父が死んでからだけど、父は「父」というひとではなく、父の性格を持ったそういう人だったので、その中の、自分の好きな人に対してはとことんまで尽くしてしまって、尽くしすぎてしまって馬鹿にされて、腹立たしく思ってしまう、とかそういうのとか、ほんとうに強度の共依存的な性格を、それが本人を苦しめてしまったこととか、悲しいけど、でもそばにいる家族が、そんな父を守ってくれていたというか、そんな父の優しさをやさしさとして認めてくれていた義兄とか、本当に父に私にはできなかったことを一杯してくれてて、うれしく思うと同時に、自分ではできなかったことをやっぱり悲しく思ってやっぱりめそめそしてた。
でもなくとどうも具合がよくなるみたいで、月曜日の今日はのど飴をなめていれば大丈夫になった。
昨日のヒット食品は緑茶ハーゲンダッツ。
黄な粉をぶっ掛けてたべてたら、ハーフパイント一個全部食ってしまった。風邪を引くとのど越しが良くて、きもちのいいミルク系のものが食べたくなる。
ので豆乳とアイスクリームばっかり食べてた。黄な粉緑茶アイス・・・ロックだぜ!
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