海いったの

2008年6月17日
あのあとね。

いたのは二時間くらいだった。
行きの電車で向かいに座った感じ悪いおっさんとその妻。
不幸そうなその妻は体重増加気味で悲しそうだった。おっさんのモラハラにやられているな?ビーフアップしたおっさんは人に毛深い足を押し付けてくる。すっごい気持ち悪いと思って足を組んだりしてた。

その胸には巻き毛の小さな女の子がピンクのドレスを着て眠っている。
私は腹の中で
「お前が妻を大事にしないから、お前の娘は自分を大切にしてくれない男と結婚して不幸になるんだよ!」
と毒づいていた。

それはまったく、私のプロジェクションなのだが。

そのあとに、パラソルを二本も担いだ頑丈そうなおっさんとその妻と娘を見かける。

おっさんは、おいらが大黒ばしら!強くてやさしそうだった。
そんなおっさんを見て、うちの父もああだったらな、と思ったけど、父はなんか重たいものとかは自分が持つものだと思ってた。ただバッグとか、そういうのはママにもたせてたけど、ママがいないときは自分で持ってたような気がする。私達が小さいころは。

パパは子煩悩なお父さんだったんだよ、と真ん中の姉が言ったことが耳に響く。
なみだ目になりながら。歩く。

なぜか父の日のロングビーチは半分くらいがエイジアンだった。
なぜだ?なぜなんだろう。

俺も二時間くらい寝て、雨が降りそうなので5時くらいに帰ってきた。
帰りの地下鉄で、ドイツから来た親子連れを見かけた。
きっとタクシー代を浮かそうと地味なお父さんが地下鉄のマップを一生懸命見てた。でもその前に、お父さんは、デジカメで地下鉄に乗った息子たちと妻を取ってた。
それを大切にしまって、マップを一生懸命見る。
舵取りはお父さんなんだな。

お父さんは自分のお金で家族全員をニューヨークにつれてきたことを誇りに思っているんだろうな、と思った。
そして、大切な人だからカメラに収めておきたいと思うんだろうな、と思った。

そういえば、父はすぐに私の写真を撮りたがった。ちょっと人がきたり、気が向いたりすると酔っ払って写真を撮ってた。私はうざいなと思ってわざとそっちを向かなかったりしたけど、父はそれでも写真を撮ってた。

父は自分の写真はあまりなくて、他の家族の写真ばかりで。

父の葬式後に会った父の同僚が言ってたのは、私に何かが起きて、先立たれるんじゃないかと心配していたそうだったことだ。
だからあんなに写真を撮ったのかな。

人の家族ならはっきり見えることが、自分の家族では見えなくなる。依存症は家族の病だと言う。
なぜならば依存症は関係の病だからだ。
病気は個人の体にとどまらず、その人に関わる人との関係に存在してしまう。そしてその人との距離が近ければ近いほど、病の影響があるのだ。

愛は存在したのにね。

だからこそ余計に悲しいと思う。

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