日々いろいろ
2008年6月6日なんか昨日はあまり気分がよくなかったんだけど、あまり気分がよくないということが自分ではわからないということに気づいた。
恋愛依存のプログラムでまず自分との健康的な関係をきずくということが先決というのがあるのだけど、私の場合あまりにもカオスの中で育ったせいか(そしてカオスの中にいるのが普通という感覚を持っているため)、自分の状態がまったくわからないという風になってしまうのだ。
いろいろ自分が感じていることは最近わかるようになってきたのだけど、感じているからそれでなあに?みたいな感じに自分の全般的なパフォーマンスと言うか、状態がよくわからないのだ。
そういうの、わたしAに判断してもらってたんだよね。Aはそういうのわかって教えてくれるから。
つかれているんじゃないの?とかいわれても、したいことがあれば疲れてないもんとがんばるし、自分で今これができてこれができないということがわからない。
だからAがこれしたいというといいよと言って行くんだけど、本当は行きたくなかったり疲れてたりしてても自分で気づかないというか無視するから後で相手に当たったりつっかかったりしてなんかめちゃくちゃになる。
あれだよ、赤ん坊が眠いのに無理して遊んでぐずって泣き止まなくなって眠れなくてみたいな状態になるんだよな。そういうときは、一人だとなんかよくわかんなくていつまでもおきてたりするんだよね。
一人でいると当たる相手がいないから安全なんだけど(相手は)、自分に当たっているのに解らない。
はあそうか。
でもそうやってAに読んでもらって管理してもらってたからAのことすっごい好きだったんだ。でもそれって完全に依存だよね。
重かったろうなあ。
こういうこと考え出すとまたAへの愛着がわいてくるんだけど、うーん、私が私のお世話をしてあげない限り難しいだろうな。
今はどんな感じだろう。
濃いホットチョコレートを飲んでおなかが一杯です。
今朝は目覚めで
「あれ、私のAへの感情依存がなくなった・・」と感じた。
それは寂しいものだけど、軽い気持ちがした。
昨日ベルトリッチのdreamers http://en.wikipedia.org/wiki/The_Dreamers_%28film%29 という映画を見たのだけど、
(まだ途中)
アメリカ人の男の子がフレンチの双子の男女に食われちまうというはなし。
でもこれは近親相姦のことを描いてて、日本では変な輩が萌えちゃいそうだけど、途中まで見たところでいえば、兄に支配されている妹がどれだけ神経を病んでいるかという部分が見え隠れして痛々しい。
しかしこの回復に歩んでからというもの、心理学的トラウマ云々という見方がものすごく強くなっているので、そういうものの見方から自由になることがすこし難しくなってきている気がする。
ま、そういうことをかけるようになったということも回復の一部かなという気もするし。
センセーショナルということは人の感情を揺れ動かすことがあるからであるけどもそれが誰かが誰かをある意味で虐待しているとか、何らかの痛みを思い起こさせるとか、でも同時にそれをいろんな観点で見れる様になるとかそういうことが含まれていると思う。
芸術家で心理学的なものの見方を拒絶する態度を持つ人がいるけどそれは恐れであって、おそらくそのようなトラウマがなくなったら物が作れなくなるんじゃないかと恐れているんじゃないかとも思う。でも自分をどこまで深く見つめてそれに対してどこまで理解をできるかということはものづくりをする上でとても重要なことだと思う。
http://www.iff.co.jp/cgi/affirmation/index.shtml
で
とありました。
私はずーーーーっとおこってたからないてたんですねここ何年か。
恋愛依存のプログラムでまず自分との健康的な関係をきずくということが先決というのがあるのだけど、私の場合あまりにもカオスの中で育ったせいか(そしてカオスの中にいるのが普通という感覚を持っているため)、自分の状態がまったくわからないという風になってしまうのだ。
いろいろ自分が感じていることは最近わかるようになってきたのだけど、感じているからそれでなあに?みたいな感じに自分の全般的なパフォーマンスと言うか、状態がよくわからないのだ。
そういうの、わたしAに判断してもらってたんだよね。Aはそういうのわかって教えてくれるから。
つかれているんじゃないの?とかいわれても、したいことがあれば疲れてないもんとがんばるし、自分で今これができてこれができないということがわからない。
だからAがこれしたいというといいよと言って行くんだけど、本当は行きたくなかったり疲れてたりしてても自分で気づかないというか無視するから後で相手に当たったりつっかかったりしてなんかめちゃくちゃになる。
あれだよ、赤ん坊が眠いのに無理して遊んでぐずって泣き止まなくなって眠れなくてみたいな状態になるんだよな。そういうときは、一人だとなんかよくわかんなくていつまでもおきてたりするんだよね。
一人でいると当たる相手がいないから安全なんだけど(相手は)、自分に当たっているのに解らない。
はあそうか。
でもそうやってAに読んでもらって管理してもらってたからAのことすっごい好きだったんだ。でもそれって完全に依存だよね。
重かったろうなあ。
こういうこと考え出すとまたAへの愛着がわいてくるんだけど、うーん、私が私のお世話をしてあげない限り難しいだろうな。
今はどんな感じだろう。
濃いホットチョコレートを飲んでおなかが一杯です。
今朝は目覚めで
「あれ、私のAへの感情依存がなくなった・・」と感じた。
それは寂しいものだけど、軽い気持ちがした。
昨日ベルトリッチのdreamers http://en.wikipedia.org/wiki/The_Dreamers_%28film%29 という映画を見たのだけど、
(まだ途中)
アメリカ人の男の子がフレンチの双子の男女に食われちまうというはなし。
でもこれは近親相姦のことを描いてて、日本では変な輩が萌えちゃいそうだけど、途中まで見たところでいえば、兄に支配されている妹がどれだけ神経を病んでいるかという部分が見え隠れして痛々しい。
しかしこの回復に歩んでからというもの、心理学的トラウマ云々という見方がものすごく強くなっているので、そういうものの見方から自由になることがすこし難しくなってきている気がする。
ま、そういうことをかけるようになったということも回復の一部かなという気もするし。
センセーショナルということは人の感情を揺れ動かすことがあるからであるけどもそれが誰かが誰かをある意味で虐待しているとか、何らかの痛みを思い起こさせるとか、でも同時にそれをいろんな観点で見れる様になるとかそういうことが含まれていると思う。
芸術家で心理学的なものの見方を拒絶する態度を持つ人がいるけどそれは恐れであって、おそらくそのようなトラウマがなくなったら物が作れなくなるんじゃないかと恐れているんじゃないかとも思う。でも自分をどこまで深く見つめてそれに対してどこまで理解をできるかということはものづくりをする上でとても重要なことだと思う。
http://www.iff.co.jp/cgi/affirmation/index.shtml
で
6月7日 男よ泣け、女よ怒れ
男は、もっと泣く必要があります。女は、もっと怒る必要があります。
社会の中で金を稼ぎ、家族を維持し、仕事だけに没頭し、牛や馬のように働かされ、感情の表現を制限されてきた男たち。やさしさ、温かさ、深い人間関係、意義のある感情のコミュニケーションを知らないで生きてきた男たち。失われたチャンスをおおいになげくべきです。あなたたちの涙は、水害を起こし、家や田畑を流すほどたまっているはずです。
虐げられ、自分の意見も言えず、ただ耐えてきた女たち。自分の持つ能力を発揮できる場をもたず、まわりの者の世話ばかりをして、責任をもってリーダーとして行動するチャンスをもてなかった女たち。あなたたちは、おおいに怒るべきです。あなたたちの怒りは、火山のように爆発し、町を滅ぼすほどのパワーがあるはずです。
水害のあとには、新しい草木の芽が生え、火山から出た溶岩は新しい土地をつくりあげます。
男よ、泣け!
女よ、怒れ!
とありました。
私はずーーーーっとおこってたからないてたんですねここ何年か。
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