なんか
2008年5月9日今むかーし頼んで取らせてもらってたインタビューテープをテレビ代わりにみることにしたんだけど(昨日から)、気が付くとトランスクリプト書いている自分がいてさ。
うちにいても気がやすまらんです。
マック君め。もしかしたら私、一人無給労働過労死しちゃうかも・・・。
昼休みにマッサージ行ってきました。
オードリーさんに
ロングタイムノーシーって言われたけど、でも2週間くらいしか間あいてないと思うんだよね。でも彼女の強くやさしいオイルマッサージで顔の疲労感が取れた感じ。
これで35ドルは安いよね。きっと安い。
体が元気だと顔も元気になる。
あの忙しい人でも顔が元気な人は、どうなっているんだろうね。
私は忙しいとつい顔に出ちゃいます。
今日は麻酔君とご飯を食べる約束。
麻酔君とはファミリーアジェンダが似ているので、そういう話で盛り上がっている。どっちかって言うと、アラともみたいな乗りだけど、普通の男子はそういうことを話しことになれてないから、なつかれてしまったのかもしれない。
でも30歳よりはもう少し、距離的にはちかい気がするんだよね。ただ肉体的に惹かれていないということがメインで・・・。
30歳は肉体くらいが引かれる要素だものなあ。今朝、土曜日何しているのコールを入れてみたけど、返事がない。
昨日(おとといか?)通訳の仕事の直前までテキストしてたけど、なんかなんだこれ?と思い出したのでやめちゃったの。
なんかよくない方向にいきつつあるなあ。
一発やりてえと体が申しておりますので、なんかつなげているかんじがあるけど、めんどくさくなってきた。
他にしろよ他に。
さて。
昨日Aにメッセージを残して(通訳の仕事のびっくりしたことを伝えたかった)夜に電話が入ってて、よくわかんないけど今日はケイタイにいるよというので電話をした。最後に心配事とかをいったらだいじょうぶだよ、と言ってた。
それを聞いたら安心した。
そんで、今どこにいるのと聞いたらうちにいるといわれ、どこにいるのと聞かれたからセントラルパークだよといった。
そしたらbe cheerfulといわれ、
へ?と聞き返したら
be careful
といわれた。
なんで?
と聞いたら
危ないかもしれないから
というので
明るいから大丈夫だよお
と答えた。
心配をしてもらってうれしかった。
Aは、わたしにとってやっぱりすごく特別な存在で、私はいつまでたってもAのことがすきなんだなあと思う。
一緒にいることができなくなってしまったことは、本当に悲しいことだけど、私がよくなって、私自身がやわらかくなったことで、Aのぎざぎざしたところが痛いと思うようになってしまったのだ、と思う。
昔みたいに、ハードでタフな感じだったら大丈夫だったんだろう。でも、私はどんどん殻を脱ぎ捨てて、そのままでふわんとできるようになってきている。
危険で殺人的な感情や事柄が周りからすこしづつ、離れてきている。
怖いと思うことに立ち向かわず、よけて通るようになってきている。
やりたいと思うことで恐怖が持ち上がってきたときには、その恐怖がどこに根ざしているものなのか、耳を傾けることができるようになってきている。
そういう自分は、やはりAのぎざぎざに対して不快感を持ってしまう。
Aのぎざぎざは、ゆっくり話をしたりできればいつかは取れてくるのだけど、(そして親密感が生まれる)最後にそれを味わったのは、彼女ができたことを知って、私も住んでたあのアパートに行ったときのことだった。
Aはやわらかくなっていて、それは彼女のせいなのかなと思った。解らない。そうだったのかもしれないしそうでなかったのかもしれない。
いずれにせよ、私は私のニーズに対して正直でいるしかないのだ。
エッチしてえなあと思う自分のニーズと、Aへの気持ちに対してぜんぜん矛盾を感じないという不思議なことが起きている。
不思議じゃ脳。
************
父の死とかも交えて(父への気持ちとAへの気持ちはない交ぜになっているから)肉体的なものとしての愛情が減ってきてしまっているのかもしれない。心配事は、去年のクリスマスは?とか去年のお誕生日は?とかきかれてて、それを平気な顔で私は答えられるのかどうかということだったのだけど、今から答えかんがえていおかなきゃいけないかなあ?という私に心配しなくていいからさっさとカード取っちゃえばいいだけなんだから。と言ってくれた。
Aは自分ではどう思っているんだろう?と思った。
私のこと本気で好きじゃなかったにしても、私がAのこと男の人としてみれなくなってきていたというのも大きな要因ではあった。男と女の関係つうのはなんかリーサルなちょっと戦争みたいなところがあって、そういうのがもう辛くなってしまってて、だからと言って性欲がなくなったとかではなくて、やっぱり私の中でもう他の人と会いたいとか、思う気持ちもでていたと思う。
だから、本当にお互い様なのだけど、私のその気持ちは本当に止められるものなら止めたかったけど、一緒に幸せでいられるならばそうしたかったけど、一緒に時間をすごすのも辛くなってきてて、お互い様だったんだなと思う。
これも何度も通った道だけど相手に愛着があるのに、関係がうまくいかなくなるって、本当に辛いことだなあと思う。
Aは私の次に好きな人が現れて、よかったねと思うけど、私もよく考えると前みたいな「男女」した関係に誰とでももどりたいか戻りたくないかといわれると、戻りたくないのかもしれない。
本当にAと一緒にいても辛くないならば、こういう風になれた自分こそが結婚してお互いのこと気にして大事にできる関係がきづけるようになると思うけど、でもやっぱりこないだあって思ったけど、やっぱりAと一緒にいるのはなんか相手も辛そうだし、相手が辛そうなのは私も辛い。
それならば、辛い関係はおいておいて、先に行ったほうがいいのだ。多分きっとそうなのだ。もしも、もしも咲きに行って戻ることができるならば自然にそうなるのだし、そうならなかったら人生の一時期をとっても密な時間ですごせた大事な相手として大切に付き合っていけばいいのだ。
Aは、
君と過ごした時間はとてもユニークでかけがえのないときだったし、その時間は大切にしてて、僕と常に一緒にいるんだよ、ということを何度も伝えてくれた。
時が変えてくれるものは恵みでもあるけれどでもやっぱり自分でもどうしようもないものもたくさんあって、それは手放していかなくちゃいけないものなんだ。
うちにいても気がやすまらんです。
マック君め。もしかしたら私、一人無給労働過労死しちゃうかも・・・。
昼休みにマッサージ行ってきました。
オードリーさんに
ロングタイムノーシーって言われたけど、でも2週間くらいしか間あいてないと思うんだよね。でも彼女の強くやさしいオイルマッサージで顔の疲労感が取れた感じ。
これで35ドルは安いよね。きっと安い。
体が元気だと顔も元気になる。
あの忙しい人でも顔が元気な人は、どうなっているんだろうね。
私は忙しいとつい顔に出ちゃいます。
今日は麻酔君とご飯を食べる約束。
麻酔君とはファミリーアジェンダが似ているので、そういう話で盛り上がっている。どっちかって言うと、アラともみたいな乗りだけど、普通の男子はそういうことを話しことになれてないから、なつかれてしまったのかもしれない。
でも30歳よりはもう少し、距離的にはちかい気がするんだよね。ただ肉体的に惹かれていないということがメインで・・・。
30歳は肉体くらいが引かれる要素だものなあ。今朝、土曜日何しているのコールを入れてみたけど、返事がない。
昨日(おとといか?)通訳の仕事の直前までテキストしてたけど、なんかなんだこれ?と思い出したのでやめちゃったの。
なんかよくない方向にいきつつあるなあ。
一発やりてえと体が申しておりますので、なんかつなげているかんじがあるけど、めんどくさくなってきた。
他にしろよ他に。
さて。
昨日Aにメッセージを残して(通訳の仕事のびっくりしたことを伝えたかった)夜に電話が入ってて、よくわかんないけど今日はケイタイにいるよというので電話をした。最後に心配事とかをいったらだいじょうぶだよ、と言ってた。
それを聞いたら安心した。
そんで、今どこにいるのと聞いたらうちにいるといわれ、どこにいるのと聞かれたからセントラルパークだよといった。
そしたらbe cheerfulといわれ、
へ?と聞き返したら
be careful
といわれた。
なんで?
と聞いたら
危ないかもしれないから
というので
明るいから大丈夫だよお
と答えた。
心配をしてもらってうれしかった。
Aは、わたしにとってやっぱりすごく特別な存在で、私はいつまでたってもAのことがすきなんだなあと思う。
一緒にいることができなくなってしまったことは、本当に悲しいことだけど、私がよくなって、私自身がやわらかくなったことで、Aのぎざぎざしたところが痛いと思うようになってしまったのだ、と思う。
昔みたいに、ハードでタフな感じだったら大丈夫だったんだろう。でも、私はどんどん殻を脱ぎ捨てて、そのままでふわんとできるようになってきている。
危険で殺人的な感情や事柄が周りからすこしづつ、離れてきている。
怖いと思うことに立ち向かわず、よけて通るようになってきている。
やりたいと思うことで恐怖が持ち上がってきたときには、その恐怖がどこに根ざしているものなのか、耳を傾けることができるようになってきている。
そういう自分は、やはりAのぎざぎざに対して不快感を持ってしまう。
Aのぎざぎざは、ゆっくり話をしたりできればいつかは取れてくるのだけど、(そして親密感が生まれる)最後にそれを味わったのは、彼女ができたことを知って、私も住んでたあのアパートに行ったときのことだった。
Aはやわらかくなっていて、それは彼女のせいなのかなと思った。解らない。そうだったのかもしれないしそうでなかったのかもしれない。
いずれにせよ、私は私のニーズに対して正直でいるしかないのだ。
エッチしてえなあと思う自分のニーズと、Aへの気持ちに対してぜんぜん矛盾を感じないという不思議なことが起きている。
不思議じゃ脳。
************
父の死とかも交えて(父への気持ちとAへの気持ちはない交ぜになっているから)肉体的なものとしての愛情が減ってきてしまっているのかもしれない。心配事は、去年のクリスマスは?とか去年のお誕生日は?とかきかれてて、それを平気な顔で私は答えられるのかどうかということだったのだけど、今から答えかんがえていおかなきゃいけないかなあ?という私に心配しなくていいからさっさとカード取っちゃえばいいだけなんだから。と言ってくれた。
Aは自分ではどう思っているんだろう?と思った。
私のこと本気で好きじゃなかったにしても、私がAのこと男の人としてみれなくなってきていたというのも大きな要因ではあった。男と女の関係つうのはなんかリーサルなちょっと戦争みたいなところがあって、そういうのがもう辛くなってしまってて、だからと言って性欲がなくなったとかではなくて、やっぱり私の中でもう他の人と会いたいとか、思う気持ちもでていたと思う。
だから、本当にお互い様なのだけど、私のその気持ちは本当に止められるものなら止めたかったけど、一緒に幸せでいられるならばそうしたかったけど、一緒に時間をすごすのも辛くなってきてて、お互い様だったんだなと思う。
これも何度も通った道だけど相手に愛着があるのに、関係がうまくいかなくなるって、本当に辛いことだなあと思う。
Aは私の次に好きな人が現れて、よかったねと思うけど、私もよく考えると前みたいな「男女」した関係に誰とでももどりたいか戻りたくないかといわれると、戻りたくないのかもしれない。
本当にAと一緒にいても辛くないならば、こういう風になれた自分こそが結婚してお互いのこと気にして大事にできる関係がきづけるようになると思うけど、でもやっぱりこないだあって思ったけど、やっぱりAと一緒にいるのはなんか相手も辛そうだし、相手が辛そうなのは私も辛い。
それならば、辛い関係はおいておいて、先に行ったほうがいいのだ。多分きっとそうなのだ。もしも、もしも咲きに行って戻ることができるならば自然にそうなるのだし、そうならなかったら人生の一時期をとっても密な時間ですごせた大事な相手として大切に付き合っていけばいいのだ。
Aは、
君と過ごした時間はとてもユニークでかけがえのないときだったし、その時間は大切にしてて、僕と常に一緒にいるんだよ、ということを何度も伝えてくれた。
時が変えてくれるものは恵みでもあるけれどでもやっぱり自分でもどうしようもないものもたくさんあって、それは手放していかなくちゃいけないものなんだ。
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