うぬぬ

2008年4月20日
上昇しているかはどうかはわからないが人生は続くよ死ぬまでは。
って感じですか?

一番近々のことを言うと、
スフィのワークショップっつーのにいって、なんか訳わかんないけ土、訳わかんなくてこんなことなんでずーーーーーーーっと屋ってんのかなあ?と思ってあくびしていたら涙が出てきて、涙が出てきたなあ、と思ったらなぜか、ロングアイランド沖の砂丘の風景が浮かんできて、私あそこが本当に好きで、好きなんだけど上るとそんなに好きじゃなくて、でも船から見ているとほんとにきれいで、本当に大好きで、でもあそこは船じゃないといけないから、きっともう二度といけないんだ、と思ったら本気で涙が出てきた。

わたしはAといた3回の夏の間、毎回ボートに乗るたび、これが最後かもこれが最後かも、と思いながら乗ってた。
Aはそんなことないよみたいな、きっとさきもあるよみたいなことを言い続けてくれて、わたしは最後のほうにこんな素敵なボート乗りなのに苦痛で仕方なくなってきてて、もう悲しくて、辛くて、最後に乗ったボートのとき、疲れて眠っているAの顔を、フロントグラス越しで写真に取ったりしていた。

終わっていくことが悲しくて、そばにいることも出来なかった。
いっしょに船に乗ってても、Aが船尾にいるときはわたしが船首にいて、Aがやってくるとアンコンフォタブルになって後ろに回ったりしてた。

Aが、ほんとはわたしのことが好きじゃなくて、そのことが辛くて、そのことが許せなくて、腹がたって仕方がなくて、それをやめられないのが辛くて、自分をごまかせないことに腹がたって、本当に辛かった。

毎回ボートに乗るたびに、「これが最後かもしれない、目に焼き付けておこう、」と何度も思った。

何度焼き付けても、何度これで最後と思い切ろうと思っても、思い切れなかった。

わたしが体験したことは、切り捨てるにはあまりにも素敵で思いがけなくて、大好きで大切で、でもしかも一切私に選択の余地はない、ただ与えられるだけのもの、しまっておくことも、キープすることも出来ない、流れていく時間、大事で何とかしまっておきたいのに、置けない、大事な大事なものだった。
与えられるものだから、奪うことすら出来ない。その時間をただ受け止めて行くしかない、素敵な贈り物だったんだけど、キープできなかった。

悲しい。
悲しくて、涙が止まらなくなってきて、本気で泣き出してしまって、本当に悲しくて、悲しくて悲しくて

悲しい。
今でもその余波はあって、私はきっとずっと悲しかったんだなあと知る。こんなに悲しんで、こんなに泣いて、まだでるのかというくらい涙が出て、本当にいつかはきっと泣かないですむ日がくるんだろうけど。

こんなに手放したくないものが、与えられることがあるなんて、思っても見なかった。

そしていつかは全てが終わるなんて本当に終わるなんて、やっぱり信じたくなかった。
否定したくて怒っていたかった。
わたしのものじゃないから、いつかはなくなってしまうのは知ってたけど、Aもわたしのものじゃないから、いつかははなれてしまうのを知っていたけど、その痛手を少しでも和らげようと、今なくなる、明日なくなる、今日なくなる、といつもいつもエッジにいるみたいな気持ちで過ごしてて、

なくしたくないような思い出があっただけでも感謝したい、感謝したいと思うけど神様やっぱりわたしは辛い。

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