NYに戻ってきた

2008年4月2日
仕事に戻る。
一時間半遅刻して。

夜の10時から寝て朝4時におきる。前回と違ってやっぱり具合悪くないからいいなと思う。

目が覚めて、母のこととかを日記に書く。
母は、大きな桜の木みたいな人だなっと今回思った。
花盛りの桜みたいな人。
ふわっとしてて薄いピンクで輝いてて、そばにいると気持ちよくて幸せになれる人。

母のことは絶賛する人が多いけど、わかる気がする。今回、父がなくなって、父の影にいた母があらわになって行くのを見ると、本当の母の姿が見えた気がする。

母はとても強い人だと思う。私は、私達は母を守っていたつもりだったけど、母は私達のそんなちっぽけな保護心なんか必要ない人だった。
信念の強い、やさしい不思議な人。
母が父に会って生涯をともにしたことも、母という人に磨きがかかったことのひとつなんだと思う。

母は、
「パパと結婚してよかったと思う。パパと一緒でなくて、やさしい包容力のある人といたらきっとママは傲慢で人の痛みの解らない人になってたと思う」と言ってた。

私が
「浮気したりして金妻になってたかもよ。」といったら大笑いしてたけど。そんな母もなんだか目に浮かぶ。

母は、やっぱりいろんな試練を重ねて、すごくきれいになった人なんだと思う。

朝起きて、母の寝息が隣に聞こえないことで、あ、ママがいない、と思った。一瞬また急にすごく寂しい気持ちになりそうになったけど、母の桜の木は私の中にも生えていることを思った。

私は、この世でたった3人しかいない、母の子供のうちの一人だから、私はすごくラッキーだし、人にない力を持っているに違いないのだ。使い方がよくわからないけど、でもきっとそうに違いない。

成田へ行くバスを待つ間、一緒に繁華街を手を繋いだり腕を組んだりして歩いた。まるでこれから二人でお買い物に行くみたいにうきうきしてたけど、これから別れるんだと思うと寂しかった。

今度は一緒にウィンドウショッピングをしたり、カラオケいったりしようね、といった。一緒に遊ぼう。限られた時間を楽しめるように。

私は、ママと過ごす時間はいつも、お姉ちゃんがいたりパパがいたりして、どうしても私とママが話す時間や一緒にいる時間が限られるから、それもすごく辛かった。

昨日もおねえちゃんがぎりぎりになって、見送りに行きたいといわれたけど、断った。
悪いけど、私はママと二人きりになりたいの。お姉ちゃんはいつもママといられるじゃない。私はいられないのよ。

とはいわなかったけど、少しはママとの時間をすごさせてほしい。

帰りのバスが出たときに、曲がり角を曲がったとき、ママが大きく手を振って見送ってくれた。

神様お願いだから、これがママとの最後の別れになったりとか、させないでください。

あと一年少なくともあと二年。
待って。

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