母とのイシューが浮かび上がってきたこと。

私は母の延長だったので、今でも母のそばにいると、無言の要求に無言の供給に答えてしまう。

大体NYにいたころから具合悪かったのに、何もしない姉と母(ため息つきまくり)を横目で見てたら、もう自分が動かざるを得なかった。

まあ気持ち的にはそれでいいんだろうけど、帰ってきてからの反動が怖かった。自分でも怖くなるくらいに食欲が落ち、微熱が続き、起き上がれない毎日。

一回軽く衝突があったんだけど、
母は
「これとこれとこれができなくちゃ。」
と言って立ち去る。

それを「はあ?」と思って(思えたところがすばらしい)
「ちょっとまって、それは私にそれ全部やれって言ってんの?」
とつっこむ。
すると
「あなたにやってなんていってないでしょう?」
と来る。
そこで、
「じゃあこれこれが必要って言ってママは何でどっかいっちゃってほかの事とかしちゃうわけ?私一人が頼まれもしないのにやるのが当然だと思っているわけ?」

「そんなことない」
と憮然とする母。

「やってほしいなら頼んでよ。無言でやれっていわれて、やったら頼んでないなんていわれたくないよ。」

こういうやり取り実に多いんですよね。

私の場合は、母の尻拭いをすることが多くて、しかもそれを表明しないことが多かった。表明するとその至らなさが父から母への攻撃理由になる。それが怖くて黙って黒子に徹してた。それにいい気になって母は私に両祖母の面倒や食事の世話、あるときなど見かねて下の世話までしたもんだった。

もちろんそんなことはないことになっている。そしてもっと怖いのは私の意識の上でもないことになっているのが怖い。

何もしない、といわれて、何もしてないと思い込んでしまう。食事や選択や掃除をしてても何もしてないこととして勘定してももらえない。
それが本当に機能不全なのだ。それは私自身の中でも勘定されていないからだ。
私が外国に来てもさまざまなことができるのはあらゆる情報収集能力と自己管理の能力があるから。でもそんなことはないことになっている。

母に大人として対応すると、母が萎縮してしまう。そんな母を見ないために私は「何もできないけどなんでもできなくてはいけない子供」にならなくてはいけない。

それは自分で見捨てられないために、無視されないために、かけらのような愛情でも失わないためにはぐくまれた私のサバイバルスキルだ。

だからこそ今でも職業的な意味でも苦しんでいる部分がある。
私にはこれができる、これがしたい、といえないのだ。
それ=罪悪になってしまうから。

これに気づいたのはここ数日。
それがまたいやだから、日本に帰っても友達のところに泊まり歩く。家族とは一緒に時間をすごしたくない。だって、割に合わないもん、いろいろやっても何もしてないことになっていることに。

父は、私のやっていることをほめてもくれた。でもそれが同時に母から私に対する冷たい態度を増長もした。
母から冷たい態度を取られると、私はさらに必死になって黒子になって走り回る。そして挙句の果てに爆発するのだ。
私がこんなにしているのに。

そして母は
あなたに頼んでいない、というのだ。

明らかに、私がすべき、と母が判断する家事は私に残されているのに、である。

ああ、機能不全。

実家でゆっくりやすむなんてできないよ。
休みに行くほうが間違っている。だからこそ心身ともに疲れた私は実家には帰れない。

メキシコに行くことになっちゃうんだよね。
ま、それが大人の選択ってもんか。

それを生前パパにもわかってもらえて、私はうれしかった。
うれしかったよ。

今回は月曜に帰ってきて火曜にすぐに会社だからもう日本でフル活動はしない。

友達に会うのももう二回分くらい約束しちゃったけど、最小限に絞る。だって賞味3日しかないものね(到着→3日(うち1日納骨)→かえる)。

とにかくいまは安静に。
カタックダンスもちょっとお休み。
寝ましょう。

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