マッサージ様様

2008年3月5日
ようようでなく様様

体がふわーッと軽くなった。おかげで仕事もはかどる。

昨日の夜は泣きながら声を上げてたすけをもとめた。なぜかこれをしながら、そういや四年前にNYに戻ってきたときこうしてたな、と思い出した。そんなことで痛々しくなっている私を介護してくれたのがAだった。

もうAは介護してくれない。
俺が一人でしなくちゃいけない。
そう思って助けを求めることもできなかった。

だからこないだAに助けてくれないとわかってても助けを求めるということは初めの一歩だった。
あなたがいたことで痛みが和らいだから、だからあなたにいてもらいたいと思う。

それがAの言ってたAの今日依存癖のせい・・というのなんだろう。
でもわたしはあのころAに助けてもらえるなんて思ってなかったから神様に助けを求めてた。あのころはAは神様ではなく、なんか親切な人だった。いつの間にかAは私の神様になってた。

悲しいけれど、それが終わりの始まりだと思う。

でもパパの写真に涙して助けを求めた。
助けを求めるということは助けてもらえるとどこかで信じているから。
Aからでなくても、神様から。
神様助けて。
神様助けて。

ずーーーーーーーーっと言ってたら楽になった。

目が覚めてママに電話した。
私は、自分に助けを求める資格なんてないと思ってた。
いろんなことで罪悪感につぶされそうだった。
パパにあいに行かなかった私が泣く資格なんてあるのかと心の底で思ってた。

セルフケアは罪悪感を伴う罰みたいなもので、私は私の人生を生きようと気張ってたけど、それに伴って辛い思いは消えなかった。
それはAとの結婚にも反映されてた。私が幸せになってはいけない。そんな決まりが私をがんじがらめにしていった。
だから私はいつまでもなくなったものをうらんでいるのかもしれない。発揮できなかった思いを。愛情を。

でもきっとそれはみな意味があったのかもしれない。
何よりもだからこそ何かうそがあって、真実ではなかった。私と真実の関係を結べなかったからって、他の誰かと結べないというわけではないのだ。同時に、私もAと真実の関係を結べなかったからって、他の誰かと真実の関係を結べないというわけではないのだ。

意味があったことは、
あんなに素敵できれいで高級で特別なことがたくさんあったのに、なぜか私が幸せじゃなかったこと。
私は何を求めていたんだろう。
私は何をそんなに自分が特別だと思ってたのだろう。

私も平凡な人なのに、何を思い上がってたんだろう。
与えられたもので、私はうれしかったのに。もっともっとと求めれば求めるほど私は不幸になっていった気がする。

感謝の気持ちが足りなかったのか。
感謝をしても足りなくて怖かったのか。

解ろうと思っても解らない。

私は相手のことは好きだったけど、でもどこかが違ってた。

そういうことってあるんだな。

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