私は祖父母と叔父、二人の姉と両親と、最大メンバー数8人の大家族に育ったので、その反動でやたらと人一緒にいることが難しい人何だと思ってたんだけど、ホリデーになれば7人の叔父叔母とそのいとこたちに、もまれながら育った私は実は以外といとこ全体に馴染みがあり、そして上から下まで年の離れた人達を下からまとめる(?)役目をしてた事を思い知らされた。
20代前半で嫁に行った二番目の姉、同じくその頃病気になった一番上の姉は、そういった付き合いから遠ざかってた(つっても私も0代後半で異国に行っちゃいましたけど)。

葬式に集まったいとこ達を見て、素敵だなと思った。

大事だなあと思えた。

とはいえ、
体はかきこきに凝っているし、ひとりになれない辛さは全身の疲労感で表現されているし、後、3日、後二日・・・と自分に言い聞かせながら自宅に帰る日を心待ちにしている。

とは言え、又落ち込むんだろうか。
寂しい病にかかっちゃうんだろうなあ。

高校時代、短大時代、その後の時代、NY時代、ネット時代とそれぞれの友達が通夜や告別式に来てくれた。嬉しくて。

それぞれの人たちがとても私のその時期を象徴しているみたいで、嬉しかった。

短大の時の友達と通夜の後にファミレスで食事してたのだけど、私はむかしっから人懐こく、いつのまにか仲良くなってたらしい。
実は私はその二人の友達が最初から気になってたから、友達になりたいなあ、と思ってたのだ。
あの頃の私は人と自分の境界線がハッキリしていないから、いけいけどんどんだったと思う。好きな人は好き。そうでもない人はそうでもない。別に嫌いな人はいないけど、好きな人はハッキリしてた。

Aとのことも、以外と私は依存心が強いんだよねえ。といったら、
わかってねえよこいつ、と言われた。
なにが?と聞くと、
人がすきでしょ、人といるのすきでしょ、と言われる。
それは二人がたまたま私の好きな人たちだったから、なのだけど。
私は友達のセレクトが厳しいのだよ。

NYにいると結構一人でいることが多いから、良く分からない、と言う。すきでない人とはあまり時間を過ごせない。逆に好きな人なら多少無理してでも、時間を作る。

私は、好きな女友達がいて、幸せだな、と思った。

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