過去日記の助け

2008年2月1日
過去日記を読んでいやな気になってくこともあるのだけど、今回は助かった。

昨日もまた泣いていろんな人にプログラムコールをかけたけど、最終的にはA宅に最後に行った日の翌日に書いた自分の日記に励まされた。

Aにアビューズされてたこと、ころっと忘れるんだよね、私。

あの人の、強烈に人をイネイブリングして人を引き寄せ、その後アビューズをする、というやり方で人を「調教」する方法のことを忘れてた。

わたしとの電話の最中に今の彼女からの電話がかかってきて
「いいよいまからくれば?」
というやり取りが聞こえてぎゃっと激痛が走ってそのあとまたないたりもしたけど、よく考えてみれば、その彼女もまた私のように薄氷を踏む思いで関係を続けているんだろう。
Aに常にお伺いを立てながら。

お伺いを立てて、それに沿った行動をしていれば、依存しているといわれ、自分の意志に沿った形で行動していればわがままだといわれた。

私が私でいることも、Aの意志に沿うこともすべては悪く、そしてその責任は君にある、と常に標的になっていた。

共依存でコントロールフリークの人間と付き合うとこうなる。
私の父も、自分では何もしないくせに、母にあれをしろこれをしろこれができていないあれができていない、と常に注文をし、それが気に食わないと罵声を浴びせたり手を上げたりしている人だった。

Aは父だったのだな。
手を上げないからいい、と思ってたのだけど。

Aは父だったのだ。

私が私を愛することは難しく、コントロールと虐待を愛情と勘違いし、それはなぜなら見慣れたものだったから。

私は父を愛したいという思いの延長で、Aとの関係を始めたのだけど、結局は、父のアルコホリズムとコントロールと虐待の病気に耐えられないとの同じようにAとも同じ理由でうまくいかなくなった。

もちろん、私もAにやり返したけどね。
コントロールはうまくいかなかったけどさ。でもおそらくお互い、やられた分はやり返したんだろう。

お互いの病気が引き合った関係だから、そのバランスで何とか持っていた関係だから、悪化しても良化してもどちらにせよ関係は続かなかった。

あった、ということ自体が不思議でもあるくらいで。

今日のアファメーションで

他人に冷たくされたり、裏切られたり、悪口を言われたりひどいことをされたり、馬鹿にされたら怒りが湧き起こるのは当然ですが、それを持続させると自分を傷つけます。
あの人はあんなことをした許せないとうらみつらみが消えず、被害者意識を抱き続けると、血圧が上がったり平穏な生活をなくして、自分の損になります。

再度同じことが起こらないよう問題の解決に当たったら、相手を許しましょう。相手を再教育する必要はないので、あの人はああするべきだ、こうするべきだ」と頭をめぐらすのは時間の無駄です。
それよりも自分の幸福、心の安らぎを得るにはどうすればいいかに時間を費やしましょう。

自分のために他人を許しましょう。

とあった。

今私がしているのは相手がああすればいいこうすればいい、と思っているんだな。

もうどうしようもないんだからほっとけばいい。

ただ思い出させたのは、昨日のインターンシップの顔合わせで行ったアパートが昔、Aとそのアシスタントがカフェをオープンしようかという話をしてた場所のすぐ近くだったのだ。けっきょくAは手を引いたけど、顔合わせをしたブリトリーのかわいい義理の弟が彼女とカフェの近所にギャラリーを開いてて、ジェンのことも知ってた。私に一生縁のない場所と思ってたレッドフックの高速下の分かれ道が、彼女のアパートから見えた。

4年たって、360度の回転を遂げてまた同じ場所にいるようだ。私は映画がしたくてAにコンタクトを取った。それがあっという間に横道にそれて行った4年間だけど、それたと思ったら元に戻ってた、みたいな、本当に不思議な気持ちがする。

初心に帰って、もう一度やり直そう。

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