面白いなと思う

2008年1月29日
ここ二日続けてAとの夢を見た。
恋人として仲良くしている夢というわけではなく、友達として話している、という夢だ。

昨日の朝はもっと悲しかったのだけど、おかげで一日悲しく、でもミーティングでリリースしたのでかなり落ち着けた。

帰ってきてからスポンサー達(私は勝手に彼女達をスポンサーにしている)とセラピストに電話して、寝たらまたこの夢だ。

でも、もっと現実的だったので、今朝はそんなに感情に巻き込まれずにすんだ。

気が付いてみれば、というかすぐに忘れてしまうのだけど、今の私の生活パターンはAと別居してからきずいたものだ。
確かにプログラムも仕事も同居していたときからあったけど、すべては痛みから逃れるため、Aとの生活という激痛から逃れるためだった。

そして私はやっとあの生活から回復をし始めている。

私のことを愛していなかったのに、あんなに押してきていたA行動の意味が解らなかった。「君だけが今の僕の生活でポジティブなもの」といわれていて、愛していると何度も言われてたのが、こんなに愛の存在しない激痛生活(苦笑)になるなんて信じられなかった。

私のショックがあまりに大きすぎて自分の痛みも受け止められなかった。愛してもらえてないということは明白だったにもかかわらず、彼の口からでる

「君は僕を愛していない、受け入れていない、結婚したからこうなった、結婚しなければうまくいってたかもしれないのに」

という言葉が毎回剣のように私を突き刺した。

日記にもかけず人にも話せず、なんていっていいのかわからず、ショック状態で何とか今の状況から脱したい、でもAのことは好き、そして相手も「あっちにいってほしい、でもそばにもいてほしい」という猛烈に矛盾している状態に絶えられなかった。

私の思考はそのころにとんでいってしまうのだけど、私の生活はその後に築いていったもので埋まっている。
でもなぜその時間に私は行ってしまうのか?

私は知りたかったから。
なぜそうなったのか、知りたかったから。

今はある程度理解ができる。
Aは人が愛せない人なのだ。
同時に誰かがそばにいないと生きていけない人なのだ。

だから友人のようにコミットメントの浅い関係のような、お互い別の人と結婚しているような状態での関係が一番心地よいのだ。たぶん。

そして、彼を求めるニーズがあるのはなぜか?

ニーズは満たされると解消されるのである。
私のニーズは満たされないまま終わってしまった。
Aがムーブオンできたのは、Aのニーズは私によって満たされていたからだ。私は愛していた人からのひどい扱いによって満たされないニーズを抱えたまま、この一年を過ごしていた。

悲しいけれど現実は、自分の負った傷は他人に手助けをしてもらうことはできても、実際には自分でその治してくれる人たちのところにいって助けを求めながら自分で治していくしかないのだ。

私は自分の負った傷を理由にさらに自分をさいなんでいた。
でも私が負った傷は逃げられなかった子供時代と最近の関係との間で起こったことであり、傷つけてきた人たちのところにはもう戻らないということを心に誓わなければならない。

そして自分の傷を癒していく。

私の闇は、病んだ環境から出てきたために、健康な人という人はどんな人なのかわからないこと。また健康な人と思って信じて、傷ついてしまうことを恐れているということ。そして、私を必要としてくれる人のところにいってしまうこと。私が求めている人ではなく。

私の求めている人は、誰なのか。

それは次の彼氏の登場で解るわけだ。
いつだろうかねえ。

ある種楽しみだ。

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