へヴィーな夜

2008年1月10日
IFPの主催するインディペンデントフィルムメイカーのための弁護士によるワークショップに行く。

その場所がミートパッキングだったので、多少びびりながら行く。だってそこはたった2ブロックしか離れてないのだから。私がかつて住んでいた鬼門と・・・。

毎日この盛り場を買い物バッグとかぼろいかばんを持って歩きながら帰ってたなあ。
こんな地価の高いところに住んでたけどホームレスのような気がしてたなあ。と胸が痛む。

この場所だって、今のオフィスと数ブロックしか離れてないけど絶対行かない。昔、かのおっさんと始めて食事をしたあのレストランは新しいマックストアになってしまった。

ははは。

思い出はこうやって塗りつぶされていく。

かのおっさんに小切手が届いているはずだからメールしてくれと頼んだ年始だったけど、音沙汰がないので「近所にいるのでもしもうちにいるんだったら持ってきてくれないかな?」

と電話を入れてみるも返事がない。

こまったのう。

ふと考えてみると、もしもおっさんがいなくなると、私の携帯の切り替えができなくなる。
まあそのときはそのときだけど。

ていうか、おっさんいなくなると離婚ができなくなるって言うのが一番怖いよね。
ああ、できるのかな?

わかんねえな。

いろいろとLLCとSCOOPの話を聞いたあとに、ずいぶん通ってなかったラブアディクションのミーティングに行く。

行って話したあと、ものすごい体の反応がでる。
不快になると脳がシャットダウンしてしまうのだけど、まさにそうなる。寝ているわけではないけど、半覚醒状態になって本当にだるく、そのまま寝てしまう。

私はまさにラブアディクトなんだな、と思う。
結婚するあたりでこのミーティングに行くのが辛くなってやめてしまった。まさに依存真っ盛りの状態では、回復の道をたどるのは辛い。だからこそ、それがひと段落してからやっと人は問題を認識できる。

私も、もしかしたらこのミーティングに通ってたら、おっさんの言葉によって自分を切り刻んでさいなむ量が減ってたかもしれない。
でも私はまさに真っ盛りだったので、おっさんの心無い態度や言葉は私のせいだと信じていた。
たとえその中にポジティブなものがあったとしても、それすらも私は自分をさいなむ道具にしていた。

どっちにせよ、おっさんはおっさんなのだ。

私はおっさんを愛する努力をした。おっさんは私のアル中で虐待を行う父と、共依存で残酷な母、パラノイで分裂病の姉のすべてのクオリティを兼ね備えた貴重な存在だったのだ。

だからこそ、自分にとって毒になると思いながらもてばなすことができなかった。過去にしてしまった家族への罪悪感を持って自分を罰した。

関係のダイジェストをシェアする機会があって、本当に良かった。そのあと貧血のため公園で伸びていたけど。

帰ってからサムゲタン入りカラードグリーンカレーの食事を取りSIX FEET UNDERのdvdを見て、眠った。

昨日はたくさんのことをしたのに、まだまだ、と自分を追い込んでしまう。その追い込みはもうやめよう。自分を傷つけるだけだもの。

自分の追い込み癖は、将来自分の身近な人を追い込むくせになってでてきてしまう。

自分を大事にできないと大事な人も大事にできない。
自分にやさしくできないと、大事な人にやさしくできない。
自分を愛せないと、大事な人を愛せない。

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