あけおめことよろ
2008年1月2日昨日はアッパーウェストにあるお寺にいってきた。
ほんの少しだけど法要も聞けて、今ではなぜ鐘の音は108なのかも説明できる。えっへん。
その後、おおきな・・あれは鈴というのか?をゴーンとたたくことで厄落としをする。
わたしも叩いた。
ここでの法要も、108つの幻想を捨て、物事をあるがままに見る事が悟りの道なのです、ともとかれてた。
カタックの先生のいってたとおりだ。カルマという幻想を捨て、物事をありのままに見ることができる様に、人々はさまざまな体験をしていくのだ。なぜなら人々は物事を過去の経験を通してしか捉える事ができないからだ。
それをブレイクするのは、わかっていてもとても難しい。
実感。
あらゆる哲学や心理学や宗教はもとが同じなのでつながっているのだよ、という事はたびたび思ってた。プログラムもしかり。
友達sもそこで合流し、その後年越しそばと甘酒をもらい、走りに行くためセントラルパークへ。早く行き過ぎたのが失敗だったけど、でも花火と同時に走り始めた。
冬の花火も大きく美しく、葉の落ちた木々の間から澄んだ寒空に上がる極彩色を眺めるのは楽しかった。走り始めてまもなく、花火を背にしてしまうルートに差し掛かったのでその前に止まって終わるまで花火を眺めてた。
花火の終わりはいつも少し寂しく、わたしはA宅にいたころ一人でよく見に行ったハドソン川の花火を思った。
なぜ、思い出すのは一番悲しい思い出なのかな?と自分に問うた。
横浜でエジャーズと見た花火もあったではないか。花火を見て喜んでいるわたしをじっと見ている彼に、
「花火見ないの?」
と聞くと、
「あんた見ているほうがいい。かわいいから」
とまで普通に言ってくれたことをなんで思い出さないのか。(まあ13年位前ですからね)
わたしがエジャーズを好きだったのは、ああやってなんだかわたしの好きなようにさせてくれて、そしてそれを楽しんでくれている彼だった。
とはいえ、あれもまた三ヶ月の命だったからこそ持ったのだろうが。
今朝目覚めて、一番先に頭に浮かんだのは、
「あれ(Aとのこと)もただの人との関係のうちのひとつなんだ」
ということ。
私は今スポンサーとはなれてしまって別のスポンサーを探しているが、そこに未練もいたみもない。私は私にあう人を探しているのだ。「結婚」という二文字が入ってしまったために、わたしの中での存在はとても大きかったのだけど、どんな関係もそれぞれの寿命があり、それぞれにお互いのニーズを満たす役割があるのだ。
だから私も新しい人間関係にたいしオープンになり、それなりに楽しめばよい。
そう書いたところでめったに話したことのないプログラムの友達から電話があった。
そしてその後、別の友達の友達のパーティーに参加することにした。
こういうことを書いていると、何か確認作業をしているような気がする。
わたしの回復の記録でもあるのだから。
おっとそのあまり話したことのない(私は時々彼女に電話してたけど)彼女に電話でAに文句を言ったこと、を話した後に、なぜか恥の意識が上がって来てタバコを吸ってた。
すいたくもないタバコをすいたくなるのは、こういう感情のグリッジに反応するのだなーと芽吹いてきたアマリリスの茎にタバコをふきかけながら思う。
でも、先日友達から持たせてもらった丸餅を二個焼いて、数週間も漬け込んでおいた(結果的に)しいたけと昆布の漬け汁で作ったお雑煮は、微妙にフレッシュなかおりは飛んでいるけど、おいしい。
枯れそうな大根と、オーガニックチキンと、青菜の代わりにカラードグリーンを入れて、俺は雑煮を元旦に食っている。
progress not perfection.
完璧主義を目指せば短所になるが、よりよくなるように精進することは、善なのである。
ほんの少しだけど法要も聞けて、今ではなぜ鐘の音は108なのかも説明できる。えっへん。
その後、おおきな・・あれは鈴というのか?をゴーンとたたくことで厄落としをする。
わたしも叩いた。
ここでの法要も、108つの幻想を捨て、物事をあるがままに見る事が悟りの道なのです、ともとかれてた。
カタックの先生のいってたとおりだ。カルマという幻想を捨て、物事をありのままに見ることができる様に、人々はさまざまな体験をしていくのだ。なぜなら人々は物事を過去の経験を通してしか捉える事ができないからだ。
それをブレイクするのは、わかっていてもとても難しい。
実感。
あらゆる哲学や心理学や宗教はもとが同じなのでつながっているのだよ、という事はたびたび思ってた。プログラムもしかり。
友達sもそこで合流し、その後年越しそばと甘酒をもらい、走りに行くためセントラルパークへ。早く行き過ぎたのが失敗だったけど、でも花火と同時に走り始めた。
冬の花火も大きく美しく、葉の落ちた木々の間から澄んだ寒空に上がる極彩色を眺めるのは楽しかった。走り始めてまもなく、花火を背にしてしまうルートに差し掛かったのでその前に止まって終わるまで花火を眺めてた。
花火の終わりはいつも少し寂しく、わたしはA宅にいたころ一人でよく見に行ったハドソン川の花火を思った。
なぜ、思い出すのは一番悲しい思い出なのかな?と自分に問うた。
横浜でエジャーズと見た花火もあったではないか。花火を見て喜んでいるわたしをじっと見ている彼に、
「花火見ないの?」
と聞くと、
「あんた見ているほうがいい。かわいいから」
とまで普通に言ってくれたことをなんで思い出さないのか。(まあ13年位前ですからね)
わたしがエジャーズを好きだったのは、ああやってなんだかわたしの好きなようにさせてくれて、そしてそれを楽しんでくれている彼だった。
とはいえ、あれもまた三ヶ月の命だったからこそ持ったのだろうが。
今朝目覚めて、一番先に頭に浮かんだのは、
「あれ(Aとのこと)もただの人との関係のうちのひとつなんだ」
ということ。
私は今スポンサーとはなれてしまって別のスポンサーを探しているが、そこに未練もいたみもない。私は私にあう人を探しているのだ。「結婚」という二文字が入ってしまったために、わたしの中での存在はとても大きかったのだけど、どんな関係もそれぞれの寿命があり、それぞれにお互いのニーズを満たす役割があるのだ。
だから私も新しい人間関係にたいしオープンになり、それなりに楽しめばよい。
そう書いたところでめったに話したことのないプログラムの友達から電話があった。
そしてその後、別の友達の友達のパーティーに参加することにした。
こういうことを書いていると、何か確認作業をしているような気がする。
わたしの回復の記録でもあるのだから。
おっとそのあまり話したことのない(私は時々彼女に電話してたけど)彼女に電話でAに文句を言ったこと、を話した後に、なぜか恥の意識が上がって来てタバコを吸ってた。
すいたくもないタバコをすいたくなるのは、こういう感情のグリッジに反応するのだなーと芽吹いてきたアマリリスの茎にタバコをふきかけながら思う。
でも、先日友達から持たせてもらった丸餅を二個焼いて、数週間も漬け込んでおいた(結果的に)しいたけと昆布の漬け汁で作ったお雑煮は、微妙にフレッシュなかおりは飛んでいるけど、おいしい。
枯れそうな大根と、オーガニックチキンと、青菜の代わりにカラードグリーンを入れて、俺は雑煮を元旦に食っている。
progress not perfection.
完璧主義を目指せば短所になるが、よりよくなるように精進することは、善なのである。
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