二進法の法則

2007年12月26日
今日は元日本妻sの片割れMちゃんと、その妹のYちゃん、それにMちゃんの彼氏と飲茶に行った。
クリスマスのためほとんどのレストランやお店は閉まっている中、フル活動のチャイナタウンはものすごい人だった。
かなりちっちゃくてきたなめのチャイニーズレストランに決め、そこで話しながら食べる。
大勢でいろんな話をしながら食べるのはおいしいね。

こういうことながいことしてなかった気がする。

そのまま色々買い込んでMちゃん宅へ。
シャンパンを飲んだりしながらしゃべるしゃべる。
お題は主に結婚と恋愛のこと。
mちゃんは二年前に辛い離婚をした。
その時期にわたしは一緒に話を聞けるようなときではなかったけど、今になってまたなかよくしてもらっている。

日本に帰るといいながら、一年がたち、つつましいながらもほほえましい生活をしているMちゃんだけど、やっぱり日本にかえるかもしれない。

その中でとっても印象に残った話をここに書いておこう。
結婚は二進法である、ということ
0か、1か
あるか、ないか
もちろん気持ちは200段階くらいあっていろいろと揺れ動くのだけど、最終的に続けるか続けないのか、それだけに限る、ということ。

わたしは
カップルセラピーのとき辛くて辛くて、Aの真実が見えれば見えるほど辛くなっていった。
辛さのあまりもうだめだと断念した。

わたしはもうそれから約一年たちながら、やっと終わりの最後の段階に来ている気がする。

受け入れること。
自分の限界と相手の限界を受け入れること。
現実を受け入れること。

Mちゃんによれば、相性が悪かったんだよ、と。
相性が悪い相手が引き合って、お互いが辛い思いをしてしまった。引き合う気持ちが強いから余計に辛い。
辛いということを認識することも辛い。
Aの世界にあこがれたわたしはその一部になりたかった。でもそこで繰り広げられるアップダウンの連続は、脆いわたしの神経には到底耐えていけるものじゃない。

ファンでいればいいじゃないの。
とMちゃんは言う。

でも結婚は生活だから、自分と会わない人といると辛いのよ。
結婚は10段階のうち5まで来た、とおもっても、なくなったら0になっちゃうのよ。

あるか、ないか、
のるか、そるか
一か八か

そういう賭けで、のるかそるかしかない。

でもね、あなたはまだ子供が産める年齢なんだから、別の人に会って穏やかな生活をしながら、自分の人生を歩むことができる。

わたしより8歳くらい上のMちゃんは、もう子どもがうめない。
結婚をして子どもが欲しかったけど、相手が仕事をやめてどんどん借金が膨らんで、最後に自己破産をした。そのころ流産をして子どもが出来なくなってしまった。

別れてね、相手にはまだ自分の子供を作るチャンスがある。
でも、私にはないの。
子ども欲しかったのに、大事なチャンスを逃してしまった。

わたしはAと一緒にいたら子供を作ることは出来ない、と思ってた。でも、それでもいいと思ってた、というと
それでもずっと一緒にいるならいいけど、その関係が壊れたとき、そして自分の子供が産める時期を逃すと、まだ新しい可能性がある男の相手のこと、恨むよ。

と言った。

そうかもしれない、と思った。

わたしは、そう思って、Aとの関係を終わりにしたんだった。
辛くて忘れてしまった。あのころの選択のこと。

いろんなことを忘れてしまった。
悲しくて。
一緒にいないことが悲しくて。

でも、よかったんだ。

「0か1なんだから、一人だったらいつでもやり直せるんだよ」
そういってくれるあなたがいること、感謝します。

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