現実は神様の意志

2007年12月25日
今日は仕事の後、アラ友のおうちの家族のディナーに参加した。
アラ友の家族に会うのは初めてだけど、彼女によく似た強いお母さんと、美人のお姉さんがいた。
アラ友はわたしと同じ3姉妹なのだけど,真ん中のお姉さんが18歳で自殺をしている。だから、今は一番上のお姉さんと彼女だけがいる。

お母さんとお父さんは彼女が11歳のときに離婚をして、離婚後まもなく、お父さんと今の彼女が家族で住んでた家に引っ越した。

お母さんは3人を連れてアップステイトに引っ越して、その数年後に真ん中のお姉さんが自殺してしまったらしい。

気丈そうな気の強いお母さん。
でも、お父さんとその彼女が今年のクリスマスを娘達に会わず過ごすことを聞いて、やっぱり少し痛そうな感じがした。

わたしも、下手をすればAに食い下がって、子どもを作った後に浮気をされて、痛い思いをしていたかもしれないと思うと、そうならなかった事が救いなのだなと思う。

思うけれどそうは思っても全てが解決するわけではない。
お食事の後半は思ってもいないディープな家族の話をすることになった。

お母さんはわたしが10年以上も一人で外国で暮らしていることを聞いてとてもびっくりしてた。でもすごいわね、とほめてくれもした。でも同時に、お母さんに電話して会いたいといいなさいとかいってきたので、仕方なく、会いたいと言ったところでわたしのニーズを満たす力がわたしの家族にはないんです、という話になってしまった。

そこでアラ友が、たとえば亡くなったお姉さんが生きてて、病院に出入りしてて、お父さんと離婚してなかったらって考えてみてよ、彼女はそういう状態の家族を持っているのだから、というようなことをいってくれて助け舟を出してくれた。

そんなこんなで思っても見ないディープな話になったのだけど、お医者さんの彼女によく似た気丈でスマートなお母さんは、そういう話にもそれなりについていってた。

後で彼女にお母さんはとても強い人だね、その強さはあなたも受け継いでいるよね、と言った。

その後カソリックの教会のミサに参加した。

きれいなコーラスが立て続けに流れている中、途中で泣き崩れてしまった。大きな教会の奥に描かれていたモザイク画のキリストを見ながら、神様はこういう風にして、わたしとAを守ってくれたんだねえ、と思った。
let go let god.とはこういうことか、と思った。
神様が、Aが辛くないように、Aと一緒に入れる人をちゃんとAに与えてくれたんだな、と思った。私は、プログラムがあって、こうやって私をホリディシーズンに誘ってくれる友達を与えてくれて、こうやってミサに参加して、きれいな教会でスピリチュアルな気持ちになれて、友達が横にいてくれて、そういうことを神様がちゃんとくれたんだなと思った。

でもそう思ってても、やっぱり心は痛く、神様のしてくれたことに腹を立てた。
どうしてわたしじゃないの?どうしてAのそばに今夜いるのは私じゃないの?と思ってたらやっぱりとってもすごく悲しくなって、みんなが賛美歌を歌っている間、椅子に座り続けて泣いていた。

友達が、頭を撫でてくれて、着席した後、泣き止むまで手を握っててくれた。

本当に神様がしてくれて幸せなことならばなぜこんなに心が痛むのだろうと思った。
なぜこんなに未練が断ち切れないのだろう。
神様を恨んだ。
現実を恨んだ。
自分の弱さを恨んだ。
Aを恨んだ。
この世の全てを恨んだ。
Aの幸せも恨んだ。

なぜ、わたしの願いはかなわないの?

一緒にいて辛かった自分の心を恨んだ。
心無い言葉を投げつけてたあのころのAを恨んだ。
わたしはAがお母さんに捨てられたことを一度も冗談なんかにしなかったのに、わたしの母が暴力を受けてたことを冗談みたいにして話したりしてた。
本当に辛かったのに、怒ると私がセンシティブなせいだとなじった。

なんでそんなことが言えたの?
なんでそんなことをしたの?

どうしてわたしをそんな風にして傷つけて平気だったの?

どうしてそんな風にわたしをキズツケテキタひとをわたしはおいもとめるの?

わからないことだらけだった。

でも、クリスマスに賛美歌を歌うのは楽しくて、英語の歌詞でも知っている歌なら歌えることをうれしくも思った。
おばあちゃんが生きてたころ、ピアノを弾きながらみんなで賛美歌を歌ってたことを思い出した。
おばあちゃんはプロテスタントだったけど、こうやってわたしが外国に暮らして、教会にいっても困らない程度の歌のボキャブラリーを作ってくれた。

そんなことを思いながら、歌った。

かえってきてからまた悲しくなっておお泣きしてしまった。
そしてAにも泣きながら電話してメッセージを残した。

いいんだ。

わたしの気持ちを吐き出して、
吐き出して吐き出して
楽になるならば、
出してしまえ。
それで嫌われるなら
本望だもの。

毒を吐いたメールや電話も
辛い思いから出た言葉だけど
あなたに聴いてもらう必要があるから
わたしはそうする。

わたしがもうそうする必要がなくなるまで
そうする。

私に出来るのは、わたしの痛みを軽減していくことだけなんだから。

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