さまざまなこと
2007年12月25日昨日はへびーだったけど、いろいろいいこともした。
メキシコのイスラムヘレスで会ったオーストラリア人とメールでやり取りをしていて、電話をもらってたので、電話をしてみた。
いま、バージン諸島にいてヨガセンターに通っているらしい。
年齢はたぶん四十代半ばか後半?
でもその人とはジャーマンの女の子も交えて夜空の下で星を見ながらハンモックに横になってた。
その間いろんな生き方とか旅のこととか話してた。
おかげで電話をしてもすぐに会話がつながる。
私のマスンテのフッテージも見せてたので、
「すごいいいとこだね!二月に行くよ!」
と言ってた。
彼も私と同じように関係を終えている過程にいて、私に
「何もしないで感情をただ感じて、息をすることに集中するんだよ。」
と私にヨガを使った感情の通り抜け方を話してくれてた。
辛いときに息を詰めてしまうのは、痛みがあるから。
覚えているときは楽になっても、すぐに痛みと息のつまりは戻ってきてしまう。
ああ。
そばにいてくれるといいのになあ。
その人と時間をすごした時にはAのこと忘れてた。
その翌日もコリアンちゃんがいたので忘れてた。
そのときにあれ?わすれている?と思ったことを思い出した。
どこか遠くにでも誰かとつながれるということを知ることはすばらしいね。
そのあと同僚のカメラマン君に私のポートレイト撮影をしてもらうべくうちに来てもらった。
おかげで掃除もしたし、外での撮影のあと家に帰ってfunkyになったけどがんばって洗濯もした。
いろいろいいことをするとこのままでいたい私が怒るのだ。
上記書いた後マッサージを受けにジェニーさんとこいって来た。ジェニーさんは毎回違う感じでマッサージしてくれる。
あれ?ちがうひと?と思ったくらい今日は最初から違った。
でもものすごく良くて途中また夢現になってしまった。
そういうことってよくあるのかしら・・。
私はジェニーさんが一番だなあ。
その前に、去年から今年にかけての日記をまた読んでた。
わあ、なんかぼうっとしてたと思ってたけど、必死になって泣きながら通ってきたのか。
Aを求める気持ちと、一緒にいて辛いと思う気持ちと戦いながら。
一緒にいて辛かったのは、私の求めているものをAが持ち合わせてなかったこと。だけどそれなのになぜ、Aを求めるのだろうか?
と不思議になる。
持ち合わせている振りをされたことをそのまま信じ込んで,どうしてもきもちがはなれなかったから?
私の純粋にすきという気持ちがほしいあまりに、うそを演じなければならないAのいやみが突き刺さってきたから?
わからない。
何で辛かったのかも解らない。
たぶん、私が相手にできないことを強要していて、相手も私にそれができないといえず、お互いを追い込んでしまったからか?
Aも追い込まれながらも私の手をはなせなかったからか?
本当にわからない。
わたしがほしいものをAからえられないのに、じゃあ私は何でAを求めたのか?
それはまさに、このパターンが子供のころに培ったものと同じだったからか?
過去にとらわれて身動きができなくなっていることが辛かった。ほしいものをえられないのに、ほしがることが辛かった。相手を追い込んでしまって、相手に拒絶されるのが辛かった。
自分のニーズを拒否されると同時に自分で自分のニーズを拒否しなくてはならないと思っていたことが辛かった。
相手が満たせないニーズの存在は私が悪い人間だからだと信じようとしたことが辛かった。
なによりも、幸せだった時期がもうないということが辛かった。
一緒にいても幸福感を感じず、緊張感や圧迫感ばかりが高まるのが辛かった。
もしかしたらAが正しかったのかもしれない。もしかしたらカップルセラピーを続けていれば何とかなったのかもしれない。
もしかしたら私のせいなのかもしれない、と思い続けていたことが辛かった。
手放せばまた一人が待っている。それが怖かった。
一人でい続けてもう一年がたったのに、それを認めることが怖かった。
私が一人でいるということを認識するのが怖かった。
辛ければミーティングに通い、プログラムの友達やセラピストに電話をし、こうやってマッサージを受け、ダンスを踊り、踊りに行き、人と話し、仕事をし、食事を作り、楽しい時間をすごす、そういうことを一人でしているということを認識したくなかった。
一人でいるほうが幸せだということを認識するのが辛かった。
私は、Aといたかったから。
Aと一緒にいるころ、一緒にいることが猛烈に幸せだった。
ほんわりとあたたかくなった。
私が私でいていいのだと思えた。
それが、
私が私でいてはいけなくて、私のニーズはわがままで、私はだらしがなくて、生産性のないやつだと責められてたのが辛かった。
一緒にいて幸せじゃないのは、僕が君と結婚したからだと責められてたのが辛かった。
そしてそれを信じて自分を責めたのが辛かった。
本当は、Aはただしあわせじゃなかっただけで、Aはただ私を受け入れることができなくて、Aはただ私をあいしていなかっただけだったのに。
私は私を責め続け、一人でいることすら怖くなった。
Aと一緒にいないことを私が自分を絶えず攻め続けたから。
本当に本当に
辛い恋愛に終わってしまった。
本当は、一緒に年老いて生きたかったのに。
子供を持つことはできなくても、Aのそばにいたかったのに。
クリスマスイブにして、いろんなことを思う。
メキシコのイスラムヘレスで会ったオーストラリア人とメールでやり取りをしていて、電話をもらってたので、電話をしてみた。
いま、バージン諸島にいてヨガセンターに通っているらしい。
年齢はたぶん四十代半ばか後半?
でもその人とはジャーマンの女の子も交えて夜空の下で星を見ながらハンモックに横になってた。
その間いろんな生き方とか旅のこととか話してた。
おかげで電話をしてもすぐに会話がつながる。
私のマスンテのフッテージも見せてたので、
「すごいいいとこだね!二月に行くよ!」
と言ってた。
彼も私と同じように関係を終えている過程にいて、私に
「何もしないで感情をただ感じて、息をすることに集中するんだよ。」
と私にヨガを使った感情の通り抜け方を話してくれてた。
辛いときに息を詰めてしまうのは、痛みがあるから。
覚えているときは楽になっても、すぐに痛みと息のつまりは戻ってきてしまう。
ああ。
そばにいてくれるといいのになあ。
その人と時間をすごした時にはAのこと忘れてた。
その翌日もコリアンちゃんがいたので忘れてた。
そのときにあれ?わすれている?と思ったことを思い出した。
どこか遠くにでも誰かとつながれるということを知ることはすばらしいね。
そのあと同僚のカメラマン君に私のポートレイト撮影をしてもらうべくうちに来てもらった。
おかげで掃除もしたし、外での撮影のあと家に帰ってfunkyになったけどがんばって洗濯もした。
いろいろいいことをするとこのままでいたい私が怒るのだ。
上記書いた後マッサージを受けにジェニーさんとこいって来た。ジェニーさんは毎回違う感じでマッサージしてくれる。
あれ?ちがうひと?と思ったくらい今日は最初から違った。
でもものすごく良くて途中また夢現になってしまった。
そういうことってよくあるのかしら・・。
私はジェニーさんが一番だなあ。
その前に、去年から今年にかけての日記をまた読んでた。
わあ、なんかぼうっとしてたと思ってたけど、必死になって泣きながら通ってきたのか。
Aを求める気持ちと、一緒にいて辛いと思う気持ちと戦いながら。
一緒にいて辛かったのは、私の求めているものをAが持ち合わせてなかったこと。だけどそれなのになぜ、Aを求めるのだろうか?
と不思議になる。
持ち合わせている振りをされたことをそのまま信じ込んで,どうしてもきもちがはなれなかったから?
私の純粋にすきという気持ちがほしいあまりに、うそを演じなければならないAのいやみが突き刺さってきたから?
わからない。
何で辛かったのかも解らない。
たぶん、私が相手にできないことを強要していて、相手も私にそれができないといえず、お互いを追い込んでしまったからか?
Aも追い込まれながらも私の手をはなせなかったからか?
本当にわからない。
わたしがほしいものをAからえられないのに、じゃあ私は何でAを求めたのか?
それはまさに、このパターンが子供のころに培ったものと同じだったからか?
過去にとらわれて身動きができなくなっていることが辛かった。ほしいものをえられないのに、ほしがることが辛かった。相手を追い込んでしまって、相手に拒絶されるのが辛かった。
自分のニーズを拒否されると同時に自分で自分のニーズを拒否しなくてはならないと思っていたことが辛かった。
相手が満たせないニーズの存在は私が悪い人間だからだと信じようとしたことが辛かった。
なによりも、幸せだった時期がもうないということが辛かった。
一緒にいても幸福感を感じず、緊張感や圧迫感ばかりが高まるのが辛かった。
もしかしたらAが正しかったのかもしれない。もしかしたらカップルセラピーを続けていれば何とかなったのかもしれない。
もしかしたら私のせいなのかもしれない、と思い続けていたことが辛かった。
手放せばまた一人が待っている。それが怖かった。
一人でい続けてもう一年がたったのに、それを認めることが怖かった。
私が一人でいるということを認識するのが怖かった。
辛ければミーティングに通い、プログラムの友達やセラピストに電話をし、こうやってマッサージを受け、ダンスを踊り、踊りに行き、人と話し、仕事をし、食事を作り、楽しい時間をすごす、そういうことを一人でしているということを認識したくなかった。
一人でいるほうが幸せだということを認識するのが辛かった。
私は、Aといたかったから。
Aと一緒にいるころ、一緒にいることが猛烈に幸せだった。
ほんわりとあたたかくなった。
私が私でいていいのだと思えた。
それが、
私が私でいてはいけなくて、私のニーズはわがままで、私はだらしがなくて、生産性のないやつだと責められてたのが辛かった。
一緒にいて幸せじゃないのは、僕が君と結婚したからだと責められてたのが辛かった。
そしてそれを信じて自分を責めたのが辛かった。
本当は、Aはただしあわせじゃなかっただけで、Aはただ私を受け入れることができなくて、Aはただ私をあいしていなかっただけだったのに。
私は私を責め続け、一人でいることすら怖くなった。
Aと一緒にいないことを私が自分を絶えず攻め続けたから。
本当に本当に
辛い恋愛に終わってしまった。
本当は、一緒に年老いて生きたかったのに。
子供を持つことはできなくても、Aのそばにいたかったのに。
クリスマスイブにして、いろんなことを思う。
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