変わっていくこと
2007年12月22日今日は隣に座っているオランダちゃんの最後の日。
夏のあたりでAとの日々の連絡をたってから、つらくて彼女に漏らしたりしてた。
こないだの木曜日のこととかも当日に話を聞いてもらったりして、ずいぶん慰めてもらった。
私はこの会社に来てdisfunctionalにアクトアウトしている子達を見て絶対私のプライベートなんて漏らせない、と思ったけど、Aと切れれば切れるほど、私の中にも余裕ができて、今この目の前で起きていることに対して対応ができるようになったと思う。
思えば今の仕事を始めたときが、終わりの始まりだったのでまさに大きな過渡期の二年間をここで過ごしてたのだけど、わけ解らん、というのと同僚(ならびに雇用主)がガキで我慢ならん、といいながらも、暇にかまけてAの感情的な世話に、別れてからは自分のオブセッションに明け暮れてた。
時間をかけて本当に少しずつ、ぽろ、ぽろ、と垢がはがれるように(汚い表現だけど)曇りというか、オブセッションが取れていくのと同時に、一時期焼けるような痛みに襲われ続けたけど、ひりひりと痛む痛みも少しずつ引いていくような気がする。
高波のように寄せては返す感情に巻き込まれておぼれて息ができなくなって死んでしまうのではないかと思うくらいな気持ちもあったけど、一緒に住んでたころあのAのアパートで一人静かに落ち込みながら、ふと死を考えてしまった瞬間を思うと、それに比べればましだと思う。
あの瞬間、私は引きずられる思いに呆然としながら、
「せっかく永住権とったのに。」
と思ったのを覚えている。
Aとのことであまりにさびしく絶望的な感情になって、仕事もなく、落ち込んでたために何もできず、そのことを相手に責められ続けて
「死にたいなあ」
と久しぶりにぼんやり思ったのを覚えている。
そのときに、ここにいてはやばい、と思ったことを覚えている。
切れ切れにしかない思い出の順序は忘れてしまったけど、
「わたしはいらないひとなんだ」
と思う思いはあまりにも長いこと慣れ親しんだ辛い考えで
それを一人でうつ状態に追い込まれて思うだけで
そのまま何かをしてしまいそうで怖かった。
きっと
私が鹿に思ったのと同じように、Aも「ごめんね仕方ないんだよ」と思っているに違いないとは思うだろう。
AはAで、自分を守るためにAを自分の姉のところに置いてけぼりにしたお母さんに捨てられたという思いが、私を遠くにおいて何とかつながりを持ちたいという妙な行動にでるんだろうと思う。
昨夜カタックの先生と話したように、自分の生まれた国を離れるということは、自分に与えられた枠=カルマから抜け出す一歩だったというようなことを話してた。
自分のいた環境を内部からではなく外から見ることによって、距離を置いて見ることができるようになり、それによって自分の行動もその内部の規則によって動いてきたことを知る。
わたしのAとの関係と親との関係も少し話したら。
「その関係があって良かったのよ。そうすることで潜在していた思いや痛みが表面に出てくることでそれを手放せるのだから。
多くの人はその経験にたどり着くことも、又はたどり着いてもそのことに気づくこともできず、解消することすらさえも知らずに一生を過ごす人が多いのだから。」
そういわれて、ああ本当に良かったなと思う。
私が今手放す過程の悲しみは、Aのことを表面としながら実は私の生い立ちの中での悲しみと苦しみを手放している。
生い立ちの中で刷り込まれた
お前はいらない子なんだ
お前はいなくていい
お前は何の役にも立たず
私の重荷になるだけだから
私の思いどうりに動かなければ
捨てるよ
というような無価値感を手放すために今ここを通っているのがわかる。
ここを通れば
この気持ちを手放し、他人の評価や期待のために生きる必要性を感じる事が減ると思う。
私は相手の期待を私がよいと思える程度叶え、その報酬を得る。その行為を愛していれば愛しているほど、私にはその行為が苦にならないので、報酬を得る量も増えるのだから。
自分の行為は自分のためで、自分以外の誰のためでもないことを良くわかるために今ここを通る。
夏のあたりでAとの日々の連絡をたってから、つらくて彼女に漏らしたりしてた。
こないだの木曜日のこととかも当日に話を聞いてもらったりして、ずいぶん慰めてもらった。
私はこの会社に来てdisfunctionalにアクトアウトしている子達を見て絶対私のプライベートなんて漏らせない、と思ったけど、Aと切れれば切れるほど、私の中にも余裕ができて、今この目の前で起きていることに対して対応ができるようになったと思う。
思えば今の仕事を始めたときが、終わりの始まりだったのでまさに大きな過渡期の二年間をここで過ごしてたのだけど、わけ解らん、というのと同僚(ならびに雇用主)がガキで我慢ならん、といいながらも、暇にかまけてAの感情的な世話に、別れてからは自分のオブセッションに明け暮れてた。
時間をかけて本当に少しずつ、ぽろ、ぽろ、と垢がはがれるように(汚い表現だけど)曇りというか、オブセッションが取れていくのと同時に、一時期焼けるような痛みに襲われ続けたけど、ひりひりと痛む痛みも少しずつ引いていくような気がする。
高波のように寄せては返す感情に巻き込まれておぼれて息ができなくなって死んでしまうのではないかと思うくらいな気持ちもあったけど、一緒に住んでたころあのAのアパートで一人静かに落ち込みながら、ふと死を考えてしまった瞬間を思うと、それに比べればましだと思う。
あの瞬間、私は引きずられる思いに呆然としながら、
「せっかく永住権とったのに。」
と思ったのを覚えている。
Aとのことであまりにさびしく絶望的な感情になって、仕事もなく、落ち込んでたために何もできず、そのことを相手に責められ続けて
「死にたいなあ」
と久しぶりにぼんやり思ったのを覚えている。
そのときに、ここにいてはやばい、と思ったことを覚えている。
切れ切れにしかない思い出の順序は忘れてしまったけど、
「わたしはいらないひとなんだ」
と思う思いはあまりにも長いこと慣れ親しんだ辛い考えで
それを一人でうつ状態に追い込まれて思うだけで
そのまま何かをしてしまいそうで怖かった。
きっと
私が鹿に思ったのと同じように、Aも「ごめんね仕方ないんだよ」と思っているに違いないとは思うだろう。
AはAで、自分を守るためにAを自分の姉のところに置いてけぼりにしたお母さんに捨てられたという思いが、私を遠くにおいて何とかつながりを持ちたいという妙な行動にでるんだろうと思う。
昨夜カタックの先生と話したように、自分の生まれた国を離れるということは、自分に与えられた枠=カルマから抜け出す一歩だったというようなことを話してた。
自分のいた環境を内部からではなく外から見ることによって、距離を置いて見ることができるようになり、それによって自分の行動もその内部の規則によって動いてきたことを知る。
わたしのAとの関係と親との関係も少し話したら。
「その関係があって良かったのよ。そうすることで潜在していた思いや痛みが表面に出てくることでそれを手放せるのだから。
多くの人はその経験にたどり着くことも、又はたどり着いてもそのことに気づくこともできず、解消することすらさえも知らずに一生を過ごす人が多いのだから。」
そういわれて、ああ本当に良かったなと思う。
私が今手放す過程の悲しみは、Aのことを表面としながら実は私の生い立ちの中での悲しみと苦しみを手放している。
生い立ちの中で刷り込まれた
お前はいらない子なんだ
お前はいなくていい
お前は何の役にも立たず
私の重荷になるだけだから
私の思いどうりに動かなければ
捨てるよ
というような無価値感を手放すために今ここを通っているのがわかる。
ここを通れば
この気持ちを手放し、他人の評価や期待のために生きる必要性を感じる事が減ると思う。
私は相手の期待を私がよいと思える程度叶え、その報酬を得る。その行為を愛していれば愛しているほど、私にはその行為が苦にならないので、報酬を得る量も増えるのだから。
自分の行為は自分のためで、自分以外の誰のためでもないことを良くわかるために今ここを通る。
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