三昧
2007年12月22日地味だった昨日とはうってかわって(ってでも地味だけど)
昨日のアフターファイブは、
ヒーリングマッサージ
ミーティング
寿司
ダンススタジオのパーティ
と盛りだくさんだった。
こんないっぱいのことができるなんてすばらしい。
911被害者を対象としたさまざまな無料のヒーリングセッションが行われてた・・・・過去7年間も
私は付近で仕事をしてたので、保護対象者でFEMAの援助金とかもらったけど、911のときにすんでた場所とは2003年におさらばしているので、そんなの知らなかった。
ていうか、教えてくれないな。
そういわれてみれば過去にも911被害者対象にしたレイキヒーリングとかってみたことあるけど、じぶんも対象者だったことを忘れてた・・・。身近にもっと被害にあった人がいたからね。
タチと言ってくれたその人はプレイヤーで始まるのだけどもうその時点から涙が出て止まらなかった。あまりに涙が流れすぎて顔がかぶれた。
でも終わったらとっても胸と肩とかが軽くなった。
たくさん泣くとみぞおちの辺りがちじこまっての背中が丸まってしまうのだけど、そこを抑えて、何度も嗚咽する体の前後の動きにあわせて体を支えてくれる。
来週でこの援助は援助金が打ち切られるので終わるのだけど、最後の最後にこれてよかった。
そのあとミーティングへ。
新しい人が大勢きてて良かった。
そのあと寿司くいにいく。
胃が小さくなってきているので、いつものすしを頼んだけど、途中で気持ち悪くなった。
でてきたうにがぐちょぐちょだったので握りなおしてもらった。良かった。
相変わらず接客が三流で、案内の新任の人がそれの上っぽい人に私をどの席に案内するか?と聞いたらしく、返事の
「どこでもいんじゃない?」
がまる聞こえだった。
そのどこでもいんじゃないは、ホスト上がりっぽくて頭わるそうでいやだったけど私の担当とかじゃないので、良かった。
あそこはお茶をていねいにすすめてくれるバスボーイの接客が一番いい(笑)。
そのあとダンススタジオのパーティに。
誘ったじゃぱ友にはドタキャンされたけどあとで良かったなあと思った。
だってベリーダンス大会になっちゃったんだもん。
ライブミュージック入って思わず私も汗だくになって踊った。
そこでイラン人のフェラと半分ベトナム人で半分チュニジア人のアナスタに会う。
アナスタはものすごいダンスが素敵で、とっても自由に体と空間を操る人であこがれた。
今度アフリカ人のパートナーと一緒にパフォーマンスをするらしく、見に行こうかなと心が揺れる。
ていうか、踊りならいたい彼女に。
そのうちカタックの先生も来て、しばらく話してた。
彼女がこの3月になくしただんなさんの話を聞いて驚愕した。
彼女はパキスタン人だけど、昔はパキスタンからヨーロッパまでバスを乗り継いで行き来できて、ギリシャに行ったときにミュージシャンだっただんなさんに知り合ったそうだ。英語の話せない(もちろんヒンドゥーもウルドゥーもはなせない)だんなさんと付き合ううちにギリシャ語も覚え、なんと二人で一緒にニューヨークに来たそうだ!!!
す、すげええ!!!
モスレムの女性が一人旅をして回ることのすごさもそうだけど、それでしかも旅先で知り合った言葉の通じないミュージシャンにほれ込み、しかもそのままそこにいつかずに第3の国へ。
うわーーーーーー。
彼女は
「彼と私のつながりは音楽だったの。私は彼の音楽が大好きだったし、彼はインドの音楽が大好きだった。なくなる何ヶ月も前から彼が行くことは解ってたけど私にはそれを受け入れることができなかったの。」
彼女は彼と彼のお父さんと、昔の知り合いと彼女の手が入っている絵を描いて、それをクリスマスカードにしたのを見せてくれた。
「これのメッセージはどこからか来たのよ」
と添えてあった素敵なメッセージを見せてくれた。
彼のことを思うだけでまだ涙が出てくるという。
その二人のドラマチックな一生を思ったら私もまた泣けてきそうで困った。
そのあと日本人の女子が
三味線と太鼓とタップと歌と踊りとヒップホップを混ぜたパフォーマンスをみせてくれた。
ちょっと長いなあ、というのと、タップの靴が滑りそうなことと、歌が息切れであまり歌えてなかったので、それが課題だなあと思ったけど、三味線のリフがとってもかっこいかったし踊りも上手だった。
人がどんどんきだして、ベリーダンスのライブミュージックが入り、大勢の人が踊りだしたので、私も参加した。
踊りつかれて帰ったのは1時半で、けちな私もさすがにタクシー帰宅。
おやすいもんですあの楽しさに比べれば。
私が手放したもののおかげで私にはたくさんのいろんな楽しい出来事が起こっている。
神様のおかげ。
昨日のアフターファイブは、
ヒーリングマッサージ
ミーティング
寿司
ダンススタジオのパーティ
と盛りだくさんだった。
こんないっぱいのことができるなんてすばらしい。
911被害者を対象としたさまざまな無料のヒーリングセッションが行われてた・・・・過去7年間も
私は付近で仕事をしてたので、保護対象者でFEMAの援助金とかもらったけど、911のときにすんでた場所とは2003年におさらばしているので、そんなの知らなかった。
ていうか、教えてくれないな。
そういわれてみれば過去にも911被害者対象にしたレイキヒーリングとかってみたことあるけど、じぶんも対象者だったことを忘れてた・・・。身近にもっと被害にあった人がいたからね。
タチと言ってくれたその人はプレイヤーで始まるのだけどもうその時点から涙が出て止まらなかった。あまりに涙が流れすぎて顔がかぶれた。
でも終わったらとっても胸と肩とかが軽くなった。
たくさん泣くとみぞおちの辺りがちじこまっての背中が丸まってしまうのだけど、そこを抑えて、何度も嗚咽する体の前後の動きにあわせて体を支えてくれる。
来週でこの援助は援助金が打ち切られるので終わるのだけど、最後の最後にこれてよかった。
そのあとミーティングへ。
新しい人が大勢きてて良かった。
そのあと寿司くいにいく。
胃が小さくなってきているので、いつものすしを頼んだけど、途中で気持ち悪くなった。
でてきたうにがぐちょぐちょだったので握りなおしてもらった。良かった。
相変わらず接客が三流で、案内の新任の人がそれの上っぽい人に私をどの席に案内するか?と聞いたらしく、返事の
「どこでもいんじゃない?」
がまる聞こえだった。
そのどこでもいんじゃないは、ホスト上がりっぽくて頭わるそうでいやだったけど私の担当とかじゃないので、良かった。
あそこはお茶をていねいにすすめてくれるバスボーイの接客が一番いい(笑)。
そのあとダンススタジオのパーティに。
誘ったじゃぱ友にはドタキャンされたけどあとで良かったなあと思った。
だってベリーダンス大会になっちゃったんだもん。
ライブミュージック入って思わず私も汗だくになって踊った。
そこでイラン人のフェラと半分ベトナム人で半分チュニジア人のアナスタに会う。
アナスタはものすごいダンスが素敵で、とっても自由に体と空間を操る人であこがれた。
今度アフリカ人のパートナーと一緒にパフォーマンスをするらしく、見に行こうかなと心が揺れる。
ていうか、踊りならいたい彼女に。
そのうちカタックの先生も来て、しばらく話してた。
彼女がこの3月になくしただんなさんの話を聞いて驚愕した。
彼女はパキスタン人だけど、昔はパキスタンからヨーロッパまでバスを乗り継いで行き来できて、ギリシャに行ったときにミュージシャンだっただんなさんに知り合ったそうだ。英語の話せない(もちろんヒンドゥーもウルドゥーもはなせない)だんなさんと付き合ううちにギリシャ語も覚え、なんと二人で一緒にニューヨークに来たそうだ!!!
す、すげええ!!!
モスレムの女性が一人旅をして回ることのすごさもそうだけど、それでしかも旅先で知り合った言葉の通じないミュージシャンにほれ込み、しかもそのままそこにいつかずに第3の国へ。
うわーーーーーー。
彼女は
「彼と私のつながりは音楽だったの。私は彼の音楽が大好きだったし、彼はインドの音楽が大好きだった。なくなる何ヶ月も前から彼が行くことは解ってたけど私にはそれを受け入れることができなかったの。」
彼女は彼と彼のお父さんと、昔の知り合いと彼女の手が入っている絵を描いて、それをクリスマスカードにしたのを見せてくれた。
「これのメッセージはどこからか来たのよ」
と添えてあった素敵なメッセージを見せてくれた。
彼のことを思うだけでまだ涙が出てくるという。
その二人のドラマチックな一生を思ったら私もまた泣けてきそうで困った。
そのあと日本人の女子が
三味線と太鼓とタップと歌と踊りとヒップホップを混ぜたパフォーマンスをみせてくれた。
ちょっと長いなあ、というのと、タップの靴が滑りそうなことと、歌が息切れであまり歌えてなかったので、それが課題だなあと思ったけど、三味線のリフがとってもかっこいかったし踊りも上手だった。
人がどんどんきだして、ベリーダンスのライブミュージックが入り、大勢の人が踊りだしたので、私も参加した。
踊りつかれて帰ったのは1時半で、けちな私もさすがにタクシー帰宅。
おやすいもんですあの楽しさに比べれば。
私が手放したもののおかげで私にはたくさんのいろんな楽しい出来事が起こっている。
神様のおかげ。
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