一夜明けて
2007年12月14日見えてきたのは、
わたしには、Aから受けたAbuseがみえなかったってこと。
Aは、しようと思ってしたわけではないんだけど、わたしには、Aから受けるさげずみや非難に自分が値するものだと思い込ませていたので、わたしには見えなかった。
Aがしたのは、わたしをおびき寄せておいて、ガードをおろさせ、私にわたしが欲しいものを与えて、そしてなぶった。
わたしはアビューズという折の中に自分をとどめて、そこが安全な天国だと思い込もうとしていた。
心や体が少しづつ蝕まれていくのをみながら、自分の感覚や判断さえもう信用できず、ただただAの言葉を仰ぎ見るだけだった。
私はケージに入れられて、時折Aの優しい言葉や愛撫を受け、それに対して尻尾を振って喜ばなければ、罰せられた。
わたしにはもう何がなんだかわからなかったが、どんどん落ち込んでいく自分という人と、Aのいらつく態度とわたしを責める言葉を受けていると、どうしても彼の不幸はわたしのせいだと思わざるをえなかった。
彼の不幸や不満は私には一切関係なかったのだ。
Aはそれを私にぶちまけ投げ捨てることで、わたしはそのゴミ箱となって、それでもあのアパートにい続けようとがんばった。
わたしはAと一緒にいたかった。
最初のころの、やさしいAのことが忘れられなかった。その「やさしい」は条件付で、Aのことを無条件に受け入れる事が前提だったけど、そんなことは気にしなかった。わたしを「心配」して「ケア」してくれる人がいる、それだけで私は本当に満足していたつもりだった。常に耳元で聞こえる「逃げろ」とか、「危ない」とか言う言葉に時々とてもそわそわさせられては、その声は聞こえなかったことにしていた。
わたしは二人が一緒になれば、きっとうまく行く、と思ってた。私が我慢して、Aへの気持ちが真実なことを証明し続ければ。
きっと。
私とわかれて、Aはやっと自分の問題に気づき、セラピーを続け、平日の飲酒をやめて、やっと自分のムードスィングや、依存の傾向を認めた。わたしのせいにしていた不幸が、自分のものだとやっと確認することができた。そして、元の夫と同じ家の地下に惨めに暮らしているアーティストである、半分黒人で半分プエルトリコ人の彼女に出会った。
話を聞けば聞くほど、Aは私にした償いをその人にしているように聞こえる。彼女が制作する場をこしらえ、彼女の作品を飾り、彼女の生活に合わせて、アパートを少しづつ変えた。
彼の高級志向も、仕事が途絶えたために少しづつ鳴りを潜めている感じだった。
覚えているよりこじんまりとして小さいアパートを見ながら、私はここに収まろうと必死に自分を小さくしてきたことを悟った。
Aから受ける愛情に物足りなさを訴えては、自分を責めていたことを思い出した。
わたしのニーズを責め、わたし自身を否定したAのふるまいや言葉は、わたしの同意があってこそ、続けられていたのだ。
わたしは自分を責め続け、ぼろぼろになってしまった。
カップルカウンセリングをやめたのも、Aが本当の意味でわたしを愛していなかった証拠を突きつけられるのが、辛かった。自分の「犠牲」が犠牲以外の何者でもなく、何一つ報われることのない空しい行為だったこと、自己破壊の行為だったことを発見し続ける事が辛すぎた。
終わったあともわたしはわたしのニーズの大きさを責め続け、Aとの復縁を望み、それを否定しながらひそかな望みとして私にうえつけられていた。
一週間ほど前にあの本を読んで、わたしは自分の痛みに引き戻された、泣き続け、禁じていた言葉をAに投げかけたら、現実は、Aはその新バージョンのわたしともう6ヶ月の付き合いをしていた。
それはきっと神様が私に与えてくれた、わたしを守る盾なんだ。
こないでくれというAと説き伏せて、Aのうちに行く途中泣きながら友達に電話で話してた。行ってみたら、なぜか不思議にしかも素直に変化したところと変化していないところをすばやく見て取った。Aのアパートの変化は、まるで、わたしへの謝罪のように思えたのだ。
Aは私にしてあげられなかったことをこの人にしている、と思った。それは、わたしから小さな嫉妬を引き出したけど、でもそれよりももっとAがわたしに出来なかったことをこの人にしようとしていることが見て取れたのだった。
それはなぜか心が温まった。
私がここにい続けることは、Aにとって何の発見にもならなかった。私との関係も、その終結も意味があったものだったんだ、と思った。
わたしは静かに、自分がここでどう思いながら暮らしていたのか、どんなにAと一緒にいたかったのか、どんなにAが嫌がることを強いることが辛かったのか、どれだけわたしがAのことを考えてきたのかという真実を語った。
Aは泣きながらそれを聞いてた。
そして、君のおかげで自分がそれだけ病んでいたかがわかった。おかげで自分の問題について直面して取り組む事がで来て本当に感謝している。君が僕の依存症のことをずっといっていたのに耳を貸さなかった。ものすごい罪悪感にとらわれるけど、それは本当によくないことなのでもう自分を責めない。
君も自分を責めないでくれ。
と言った。
もっともっと沢山いろんなことを話した。
明日セラピーの予約があるのにもう行かなくていいかも、とかまでいってた。
(おいおいおれは_セラピストじゃないって何度いったらわかるんだい)
私はいい母親になると思う、といったら、僕もそう思うよ、といってた。君はちゃんとこどものために時間をとってあげられる人だから、と。
帰り際に、ハグをして、何度もキスをした。
「これっていいの?」と聞くと、
「キスだけだからいいんだ」
といってた。
相変わらずだな、と思ったけど。
わたしはもう、あの中には戻らない。
いつかまた、Aがもっとよくなって、もっともっといろんな要素が充実して、いつかまた出会う日があるかもしれないけど、わたしにはもっともっと大きな愛と力強い暖かいものが必要なのだ、と
久しぶりにすいたおなかに
おいしいクレープとスープを入れながら、
なき疲れた目を休めて思った。
わたしがAに執着したのは、Aが愛情と名づけて疑わなかった虐待をわたしが何とかして飲み込もうとしてたからだ。
わたしには、Aしか見えず、彼の言葉しか聞こえず、わたしの吐き気や欝の症状や重苦しい気持ちは、わたしの感覚には届かなかった。
おいしいご馳走といわれて、毒を食べさせられていても、わたしはおいしいと微笑み、ありがとうとお礼をいい、感謝をしそれを返すという一連のことで精一杯だった。
食事の後の吐き気も、その後にどんどん重苦しくなっていく自分の体も、Aの「感謝が足りない」といい言葉を胸にして、自分の体のどこがおかしいのかと悩んだ。しまいにはそんな体はいらないのに、とさえ思った。
私自身のニーズが疎ましかった。
ニーディだといわれて、そのまま受け取った。
わたしの問題だと思った。
わたしの問題だったのだ。
それは、解決方法が異なっていただけで。
わたしは自分のニーズを捻じ曲げ、切り刻み、ゴミ箱に投げ捨て、Aによりそうべく努力した。
そうではなく、私はわたしのニーズにあった人を選ぶべきだったのだ。わたしのニーズは、わたしの腕や足のように大切なものだったのだ。それは、わたしをより私に近づけてくれる大切な器官なのだった。
虐待も愛情だと言い聞かされて育った私に、殴られて「痛い」と表現すると、罰せられた私に、どうやってわかるだろうか。
Aも同じように、わたしを傷つけわたしがそれに対して抗議をするとわたしを辱め、侮辱した。わたしの痛いと感じる事が問題なんだと、わたしを責めた。
それをわたしは受け入れたのだ。
わたしはもうわたしを罰することはない。
わたしは、私が思っていたよりももっと大きく充実して、豊かで、愛情深い人間なんだ。
わたしには、Aはふさわしくない。
彼は、彼の道を行き、わたしは私に与えるものを持っている人に出会っていく。
神様
わたしの意志をあなたの意志にそわせてください。
あなたが私に与えたいものを、わたしが欲しがるように助けてください。
わたしの真実へ直面していくつよさを、わたしは本当に誇りに思っている。
わたしには、Aから受けたAbuseがみえなかったってこと。
Aは、しようと思ってしたわけではないんだけど、わたしには、Aから受けるさげずみや非難に自分が値するものだと思い込ませていたので、わたしには見えなかった。
Aがしたのは、わたしをおびき寄せておいて、ガードをおろさせ、私にわたしが欲しいものを与えて、そしてなぶった。
わたしはアビューズという折の中に自分をとどめて、そこが安全な天国だと思い込もうとしていた。
心や体が少しづつ蝕まれていくのをみながら、自分の感覚や判断さえもう信用できず、ただただAの言葉を仰ぎ見るだけだった。
私はケージに入れられて、時折Aの優しい言葉や愛撫を受け、それに対して尻尾を振って喜ばなければ、罰せられた。
わたしにはもう何がなんだかわからなかったが、どんどん落ち込んでいく自分という人と、Aのいらつく態度とわたしを責める言葉を受けていると、どうしても彼の不幸はわたしのせいだと思わざるをえなかった。
彼の不幸や不満は私には一切関係なかったのだ。
Aはそれを私にぶちまけ投げ捨てることで、わたしはそのゴミ箱となって、それでもあのアパートにい続けようとがんばった。
わたしはAと一緒にいたかった。
最初のころの、やさしいAのことが忘れられなかった。その「やさしい」は条件付で、Aのことを無条件に受け入れる事が前提だったけど、そんなことは気にしなかった。わたしを「心配」して「ケア」してくれる人がいる、それだけで私は本当に満足していたつもりだった。常に耳元で聞こえる「逃げろ」とか、「危ない」とか言う言葉に時々とてもそわそわさせられては、その声は聞こえなかったことにしていた。
わたしは二人が一緒になれば、きっとうまく行く、と思ってた。私が我慢して、Aへの気持ちが真実なことを証明し続ければ。
きっと。
私とわかれて、Aはやっと自分の問題に気づき、セラピーを続け、平日の飲酒をやめて、やっと自分のムードスィングや、依存の傾向を認めた。わたしのせいにしていた不幸が、自分のものだとやっと確認することができた。そして、元の夫と同じ家の地下に惨めに暮らしているアーティストである、半分黒人で半分プエルトリコ人の彼女に出会った。
話を聞けば聞くほど、Aは私にした償いをその人にしているように聞こえる。彼女が制作する場をこしらえ、彼女の作品を飾り、彼女の生活に合わせて、アパートを少しづつ変えた。
彼の高級志向も、仕事が途絶えたために少しづつ鳴りを潜めている感じだった。
覚えているよりこじんまりとして小さいアパートを見ながら、私はここに収まろうと必死に自分を小さくしてきたことを悟った。
Aから受ける愛情に物足りなさを訴えては、自分を責めていたことを思い出した。
わたしのニーズを責め、わたし自身を否定したAのふるまいや言葉は、わたしの同意があってこそ、続けられていたのだ。
わたしは自分を責め続け、ぼろぼろになってしまった。
カップルカウンセリングをやめたのも、Aが本当の意味でわたしを愛していなかった証拠を突きつけられるのが、辛かった。自分の「犠牲」が犠牲以外の何者でもなく、何一つ報われることのない空しい行為だったこと、自己破壊の行為だったことを発見し続ける事が辛すぎた。
終わったあともわたしはわたしのニーズの大きさを責め続け、Aとの復縁を望み、それを否定しながらひそかな望みとして私にうえつけられていた。
一週間ほど前にあの本を読んで、わたしは自分の痛みに引き戻された、泣き続け、禁じていた言葉をAに投げかけたら、現実は、Aはその新バージョンのわたしともう6ヶ月の付き合いをしていた。
それはきっと神様が私に与えてくれた、わたしを守る盾なんだ。
こないでくれというAと説き伏せて、Aのうちに行く途中泣きながら友達に電話で話してた。行ってみたら、なぜか不思議にしかも素直に変化したところと変化していないところをすばやく見て取った。Aのアパートの変化は、まるで、わたしへの謝罪のように思えたのだ。
Aは私にしてあげられなかったことをこの人にしている、と思った。それは、わたしから小さな嫉妬を引き出したけど、でもそれよりももっとAがわたしに出来なかったことをこの人にしようとしていることが見て取れたのだった。
それはなぜか心が温まった。
私がここにい続けることは、Aにとって何の発見にもならなかった。私との関係も、その終結も意味があったものだったんだ、と思った。
わたしは静かに、自分がここでどう思いながら暮らしていたのか、どんなにAと一緒にいたかったのか、どんなにAが嫌がることを強いることが辛かったのか、どれだけわたしがAのことを考えてきたのかという真実を語った。
Aは泣きながらそれを聞いてた。
そして、君のおかげで自分がそれだけ病んでいたかがわかった。おかげで自分の問題について直面して取り組む事がで来て本当に感謝している。君が僕の依存症のことをずっといっていたのに耳を貸さなかった。ものすごい罪悪感にとらわれるけど、それは本当によくないことなのでもう自分を責めない。
君も自分を責めないでくれ。
と言った。
もっともっと沢山いろんなことを話した。
明日セラピーの予約があるのにもう行かなくていいかも、とかまでいってた。
(おいおいおれは_セラピストじゃないって何度いったらわかるんだい)
私はいい母親になると思う、といったら、僕もそう思うよ、といってた。君はちゃんとこどものために時間をとってあげられる人だから、と。
帰り際に、ハグをして、何度もキスをした。
「これっていいの?」と聞くと、
「キスだけだからいいんだ」
といってた。
相変わらずだな、と思ったけど。
わたしはもう、あの中には戻らない。
いつかまた、Aがもっとよくなって、もっともっといろんな要素が充実して、いつかまた出会う日があるかもしれないけど、わたしにはもっともっと大きな愛と力強い暖かいものが必要なのだ、と
久しぶりにすいたおなかに
おいしいクレープとスープを入れながら、
なき疲れた目を休めて思った。
わたしがAに執着したのは、Aが愛情と名づけて疑わなかった虐待をわたしが何とかして飲み込もうとしてたからだ。
わたしには、Aしか見えず、彼の言葉しか聞こえず、わたしの吐き気や欝の症状や重苦しい気持ちは、わたしの感覚には届かなかった。
おいしいご馳走といわれて、毒を食べさせられていても、わたしはおいしいと微笑み、ありがとうとお礼をいい、感謝をしそれを返すという一連のことで精一杯だった。
食事の後の吐き気も、その後にどんどん重苦しくなっていく自分の体も、Aの「感謝が足りない」といい言葉を胸にして、自分の体のどこがおかしいのかと悩んだ。しまいにはそんな体はいらないのに、とさえ思った。
私自身のニーズが疎ましかった。
ニーディだといわれて、そのまま受け取った。
わたしの問題だと思った。
わたしの問題だったのだ。
それは、解決方法が異なっていただけで。
わたしは自分のニーズを捻じ曲げ、切り刻み、ゴミ箱に投げ捨て、Aによりそうべく努力した。
そうではなく、私はわたしのニーズにあった人を選ぶべきだったのだ。わたしのニーズは、わたしの腕や足のように大切なものだったのだ。それは、わたしをより私に近づけてくれる大切な器官なのだった。
虐待も愛情だと言い聞かされて育った私に、殴られて「痛い」と表現すると、罰せられた私に、どうやってわかるだろうか。
Aも同じように、わたしを傷つけわたしがそれに対して抗議をするとわたしを辱め、侮辱した。わたしの痛いと感じる事が問題なんだと、わたしを責めた。
それをわたしは受け入れたのだ。
わたしはもうわたしを罰することはない。
わたしは、私が思っていたよりももっと大きく充実して、豊かで、愛情深い人間なんだ。
わたしには、Aはふさわしくない。
彼は、彼の道を行き、わたしは私に与えるものを持っている人に出会っていく。
神様
わたしの意志をあなたの意志にそわせてください。
あなたが私に与えたいものを、わたしが欲しがるように助けてください。
わたしの真実へ直面していくつよさを、わたしは本当に誇りに思っている。
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