わすれるまえに
2007年10月26日きのうの見た夢の中で私は彼氏がいた。背が高い彼氏。白人だったような気がする。でも私はその彼を置いてどこかに行かなくちゃならなかった。私に寂しいと電話をしてくるのはなぜか彼ではなく父だった・・・。
ファザコンって言った友達がいたけど、そうなのかしら。というより、ストックホルムシンドロームだと思う。
怖い人、嫌悪感を感じる人を好きになろうとする努力を子供のころからしてきたから、同じように嫌悪感を感じ、恐れる人にすがり付こうとするだけで。
愛情の少ない場所では、ほんのかけらの愛情さえも貴重なダイヤモンドのように見えるものだ。それが傍からみたらパンくずでしかないものなのに。
愛情のデプリベーションに慣れている人には,豊富な愛情は恐ろしいものに見える。なぜならそんなものは存在してはならないから。デプリベーションの中で生き残るためには、豊富な愛情がある世界なんてこの世に存在してはならない。存在していることを認めてしまえば、自分のしていることの惨めさ悲しさ空しさを感じざるをえないから。自分の世界が壊れてしまうから。自分の無力さを感じなくてはいけないから。
自分の血のにじむような努力は何の役にも立たないと自覚しなくてはいけないから。
愛情の飢餓の中で生き残るためには、自分が飢餓の中で生きていると自覚しないことだったりする。特に、それが子どもとして無力の中で生きなくてはならないときに、その時期を生き延びるためには、真実を否定しなくては生きていけない。
中毒者にとって、イネイブラーとして現れてくれる人が出来た場合、どんな感じがするんだろう。まず相手のことがすごく好きになる。そして相手が自分よりうんと勝っていてうんといろんな事が出来る神様みたいな存在だと思い始める。子どもが母を見るように、その人に依存し始める。
うまく依存できなかったときには怒りを感じ、愛されていないとかんじ、利用されているとまで思うかもしれない。
私=アラノン、A=中毒者に一見見えるけど、私たちの関係の中では、Aはかなり私にとってイネイブラーだったし、私の回復への行動はアルチュウがソブラエティを求めているときの行動に似ている。
酒を飲む=中毒者ではないのだ。
酒を飲まない=キョウイゾンではないのだ。
問題は深く人間関係はややこしい。
ま、のどもと過ぎれば興味深いのだが。
ファザコンって言った友達がいたけど、そうなのかしら。というより、ストックホルムシンドロームだと思う。
怖い人、嫌悪感を感じる人を好きになろうとする努力を子供のころからしてきたから、同じように嫌悪感を感じ、恐れる人にすがり付こうとするだけで。
愛情の少ない場所では、ほんのかけらの愛情さえも貴重なダイヤモンドのように見えるものだ。それが傍からみたらパンくずでしかないものなのに。
愛情のデプリベーションに慣れている人には,豊富な愛情は恐ろしいものに見える。なぜならそんなものは存在してはならないから。デプリベーションの中で生き残るためには、豊富な愛情がある世界なんてこの世に存在してはならない。存在していることを認めてしまえば、自分のしていることの惨めさ悲しさ空しさを感じざるをえないから。自分の世界が壊れてしまうから。自分の無力さを感じなくてはいけないから。
自分の血のにじむような努力は何の役にも立たないと自覚しなくてはいけないから。
愛情の飢餓の中で生き残るためには、自分が飢餓の中で生きていると自覚しないことだったりする。特に、それが子どもとして無力の中で生きなくてはならないときに、その時期を生き延びるためには、真実を否定しなくては生きていけない。
中毒者にとって、イネイブラーとして現れてくれる人が出来た場合、どんな感じがするんだろう。まず相手のことがすごく好きになる。そして相手が自分よりうんと勝っていてうんといろんな事が出来る神様みたいな存在だと思い始める。子どもが母を見るように、その人に依存し始める。
うまく依存できなかったときには怒りを感じ、愛されていないとかんじ、利用されているとまで思うかもしれない。
私=アラノン、A=中毒者に一見見えるけど、私たちの関係の中では、Aはかなり私にとってイネイブラーだったし、私の回復への行動はアルチュウがソブラエティを求めているときの行動に似ている。
酒を飲む=中毒者ではないのだ。
酒を飲まない=キョウイゾンではないのだ。
問題は深く人間関係はややこしい。
ま、のどもと過ぎれば興味深いのだが。
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